「はー、やっぱりうちのローストビーフうまい。」
「なによ、レーサーデビューした時は『ニューヨークにゃ、金さえ出せばなんでもあるんだぜ!』って見向きもしなかったくせに。」
「ま、確かに牛の世話とか冷凍庫の霜取りしなくても肉食えるってのはありがたいけどね。すげぇきれいなレストランですげぇうまそうなのにうまくない肉が出てきた時のあの感じ。神様を呪いたくなるね。」
食後に、ダイニングのテーブルで炒りたての山盛りポップコーンにたっぷりの熱いバターを絡めながらジャッキー・グーデリアンはけらけらと笑った。
「あんたの舌が田舎モンなだけでしょ。ねーハイネルさん。ごめんね、誕生日だって聞いてたらもっと洒落た料理用意してたのに。」
グーデリアンの母が傍らからポップコーンのボウルの中にがりがりと塩を挽きいれる。丸っこい指先が一つをつまみあげ、味見すると満足そうにうなずいた。
「おいしいです。焼き具合も熟成具合もちょうどよかったです。」
コーヒーのカップを片手に、差し出された山盛りのポップコーンにいささか怯みながら、ハイネルが笑った。
「そぅお?遠慮してない?シュトロブラムスの社長さんのおうちだと、毎日星のついたレストランとかで、おいしいもの食べてるんじゃない?」
「こいつんち、素材はともかく質素だぜ。父ちゃんと二人してほとんど食べないから、俺が行くとコックさんが喜ぶ喜ぶ。」
「えっ、ハイネルさん、お母さんは?」
「普段は仕事でパリにいます。帰ってくるのは私の誕生日から年明けと、父とリサの誕生日くらいかと。」
「あらま。じゃあアメリカなんかにいちゃダメじゃないの!ジャッキー!あんた無理に引っ張ってきたんでしょ!」
「だってさぁ、こいつんち、こいつの誕生日ろくに祝わないっていうから。」
「はぁ?!」
「それは誤解です。一応家族そろって私の好物と軽いケーキ程度は食卓に並びます。ただ、すぐにクリスマスだからリサのプレゼントに色々と大変だったし、母には仕事で会う機会も多いので・・・。」
「そこはわかっててもお祝いなんて何回やってもいいものでしょ!うちなんて、おばあちゃんとジャッキーなんて一週間しか違わないけど、毎年バカ騒ぎよ。」
「二週続けてうそっこロブスターな。」
「うそっこロブスター?」
「ロブスターの形のハンバーグの種にベーコンとトマトソースのっけて、オーブンで焼いた奴だよ。おかげで俺、かなり最近までロブスターって陸の生き物だと思ってた。」
「簡単だけど豪華で子供に人気でねぇ。おばあちゃん、子供が好きだからって自分の誕生日にもそれリクエストしてたの。たぶん本音は、作るの楽で安上がりだからだけど。」
「子供んときは嬉しかったけど、今はちょっとキツイよなぁアレ。ミリーがもう大学かぁ。いつの間にか大人になっちまって・・・。」
グーデリアンが傍らに座る妹のミリアムの頬にキスをする。ミリアムはそばかすの散る頬を恥ずかしそうに染めた。
ここはケンタッキーのグーデリアン家。外は寒風が吹きすさんでいるが、ヒーターに加えて大きな薪ストーブの入ったダイニングは隅々まで暖かい。食べるのと喋るのに忙しいグーデリアン家の面々を相手に、ハイネルはにぎやかな質問攻めにあっていた。
「はーい、おまたせ。早く早く、ポップコーンを入れてちょうだい!。」
台所から姉のアンジェラがスパテラ片手に、鍋を持ちだしてきた。
「なに?いい匂い。」
「おばあちゃん直伝、キャラメルポップコーン!!」
「やだアニー、ダイエット中なのに!」
「おだまりなさーい!これを食べずしてクリスマスが迎えられると思ってるの?」
ふつふつと煮立つ厚手の片手鍋の中には茶色くとろりとした液がなみなみとできている。その中に妹のミリーが文句をいいつつも、ストーブで炒ったポップコーンをざらざらと入れた。
「やっぱこれよね、クリスマスは。」
アニーが手早くポップコーンを絡めてオーブンシートに取り出す。
「作っちゃったら食べないわけにはいかないじゃないの・・アニーの意地悪・・」
ちょっと涙すら浮かべたミリーのポップコーン色の髪を、グーデリアンはくしゃくしゃとかき回した。
「ミリーはそのままで十分に可愛いよ!な、ハイネル。」
既に成人した妹も、グーデリアンにとっては昔のままの姿なのだろう。ハイネルは微笑で頷いた。
「・・私、アニーみたいに背も高くないし・・鼻だって上向きだし・・」
「俺とおそろい!」
「そうよ。贅沢言わないの。私なんて、なんで金髪に産んでくれなかったのって昔ママに文句言ったんだから。」
アニーはうっとおしそうにストレートのブルネットを束ねるゴムをするりと外し、空いた椅子に腰を下ろしてポップコーンをつまみ始めた。
「ただいまぁ、遅くなっちまった寂しくなかったかい?俺はアメリカのどこからでも君を愛してるよハニィ!」
突然、ダイニングの扉が大きな音を立てて開き、黒髪で背の高い男が入ってきた。
「おかえりダーリン。ご飯は食べたの?」
「あぁ、接待で食べてきたよ。でもやっぱりハニーの料理が一番だけどなぁ。明日は久しぶりに川マスのフライが食べたいな。」
グーデリアンの父は自分の胸ほどもない、小柄でふくよかな愛妻を抱きしめる。ストレートな愛情表現にハイネルがどうしたものかと戸惑っている間も、子供達は慣れているのか、グーデリアンはハイネルににやりと笑いながら目配せをした。
「父ちゃん、ハイネルが困ってるぜ?」
「おー。すまんすまん。今日は顔色いいな!」
ハイネルに歩み寄った父は厚い手を差し出し、力をこめて握手する。
春先に突発的にグーデリアン家を訪れることになったハイネルは体調不良から寝込んでしまい、結局この父とは初対面だった。しかしその手からは古くからの知人のような温かさを含んでいた。
「先日はご挨拶もせずに申し訳ありませんでした。」
「いやいや。しかしなんというか・・同じくらいの身長と年齢なのに、ジャッキーとは品種が違うよなぁ。」
遠慮なく人を真正面から眺め、首をかしげる様子はグーデリアンとよく似ている。不思議と不快感は感じない。
「パパもそう思う?ジャージーとヘレフォードくらい違うわよねぇ。」
「あら、ジャージーとバイソンくらいじゃないかしら?」
「なんか毛色が違うもの。ジャッキーと違ってハイネルさんはきちんとした女の人にモテそうよねぇ。」
ずけずけと物を言うのはグーデリアン家の特徴なのだろうか。苦笑しながら、口を差し挟む隙が見つけられないハイネルは手持ち無沙汰にポップコーンを口に運んだ。
「好き勝手言ってんじゃねえよ。」
「えーっ、婚約者とかいそうじゃないの。」
「残念でした、こいつ色々とめんどくさすぎて連戦連敗。だよなぁハイネル?」
ポップコーンを思わず喉に詰まらせそうになり、ハイネルはじろりとグーデリアンをにらんだ。
「じゃハイネルさん、うちのミニーとかどう?いい子よ?」
「え?」
思いがけない方向に向いた話に、ハイネルがぽろりとポップコーンを取り落とす。
「ちょっと待てよ。俺、ミニーの結婚相手は俺が認めた相手じゃないと許さないからな!」
「俺もだ!ミリアムに結婚を申しこむなら俺とジャッキーを倒してから行け!」
「ちょ・・ちょっと・・・。」
「何言ってんの。あんたたち二人を倒せるのは霊長類の中ではゴリラくらいよ。」
「そうよ。第一パパ、私の結婚報告の時は結局むぐむぐ言ってそれでおしまいだったじゃないの。」
母とアニーに軽く撃破され、大男二人は一瞬で仲良く沈黙した。ハイネル家と同じく、グーデリアン家も結局は女性の地位が非常に高いということらしい。ハイネルは今頃一人で祖母と母とリサのマシンガントークの標的になっているだろう父の苦境を想像し、笑いを堪えきれなかった。
「よっしゃ、じゃあ牧場の夜の見回り行くかぁ!。」
あれだけ作ったポップコーンがあらかたなくなった頃、父がテンガロンハットを被り、立ち上がった。
母とアニーがテーブルの後片付けを始める。グーデリアンとミリーも立ち上がるのを見て、ハイネルもそれにならった。
「私も手伝います。」
声をかけたハイネルに、アニーが静止の声をかける。
「ハイネルさんはだーめ。」
「え?しかし、こんな寒い夜に、女性が・・」
上着のボタンを首の上までしっかりとめているミリーを見て、ハイネルが躊躇する。
「大丈夫よ。慣れてるし、私、台所の仕事下手だし。」
「お前じゃ役にたたねぇよ、ハイネル。」
「そうそう、自分が一番役に立つ仕事をするのがグーデリアン家流。私たちも今から、ジンジャーブレッドマンを300個作らなきゃいけないの。」
「今から、ですか?」
思わず振り返った時計は既に10時を回っていた。
「えぇ。クリスマスの教会で配るの。昼は忙しいから夜しか時間がなくて。明日は袋詰めするから今日焼いておかないと。」
「おばあちゃんとママだけじゃ大変だから、私も夫に子供預けて泊り込み参戦ってわけ。」
「生地は昨日ニーダーでこねて寝かしてあるけど、今からひたすらドウシーターでのばしてひたすら型で抜いて、ひたすら焼き続けるの。」
「100体くらいまでは楽しいけれど、200体超えるくらいになると無言になるのよね。焼き上がってしばらくは夢の中でジンジャーブレッドマンに追いかけられるわ。」
アニーが大げさに手を動かす。
「そういえば、おばあちゃんは?寝てるのかしら。」
「あら、ご飯食べた後、牧場主会だって彼氏が迎えに来ていそいそ出かけてったわよ。」
「・・牧場主会、来週よ?」
「・・・それって・・」
「・・・・・・逃げたわね。」
今まで賑やかだったダイニングに、一瞬にして恐ろしい沈黙が訪れた。
「うっそ!どうするのよママ?!ミリーやジャッキーは役に立たないし、パパなんか論外だし!だから今年こそは外注に出そうって言ってたのに!」
「どうするったって・・あーーー、クリスマスだからスタッフも帰ってるわよねぇ・・」
「ご近所ったって、こんな時間から来てくれる手際のいい料理上手って・・・あ。」
額を突きつけあったグーデリアン家の面々が、ふと一斉にハイネルのほうをむいた。
「な・・・なんですか?」
いやな予感がし、後ずさるハイネルの前にアンジェラが長い黒髪を後にかき上げながらずいっと身を乗り出す。壁際まで追い詰められ、上目遣いで見上げられる。
「・・・・・・・あの・・アニーさん・・?」
大胆に開いた胸元が否応なく視界に入り、ハイネルが思わず顔を上げると、菫のように濃い青の眼がじっとハイネルの顔を覗き込んでいる。
「・・あ、あの?」
腕を壁につかれ、囲い込まれる。赤い唇が触れそうなほどに近付き、薄く開いた。
「・・ハイネルさん・・クッキー・・手伝ってくれますよね?」
「は・・はい。」
「よっしゃあ、ママ、助っ人一人ゲットぉ!」
くるりと家族のほうを向いたアニーがガッツポーズをする。
「・・まったく、わが娘ながら素晴らしい手口だぜ。子持ちになってもパワーは衰えねぇな!」
「誰だよアンジェラとかつけた野郎は。俺なら絶対デヴィエラってつけてるね。」
「素敵よアニー!」
手放しで喜ぶ面々に、ハイネルはがっくりと肩を落とした。
「ということで、作業開始!ハイネルさん生地のばしてね!ママ、オーブンよろしく!」
長い黒髪をくるくると手際よくまとめ、のし板に手粉を打ちながらアンジェラが指示を出す。
「あぁ、今年は早く終わりそう!」
母はうれしそうに、バスマットのようなサイズのオーブンシートを切り続けている。
-あぁ・・今年もやっぱりこういう運命なのか・・
その横で、フランツ・ハイネルは生地を適当なサイズに切り分けながらため息をついた。
この世に生まれてこの方20数年、静かな誕生日など記憶にないのはどうしてだろう。
-私の安息の地は、この地球上にはないということか。
受難の主は嘆息し、来年こそは地球を脱出してやろうと心に決めたのだった。
「なによ、レーサーデビューした時は『ニューヨークにゃ、金さえ出せばなんでもあるんだぜ!』って見向きもしなかったくせに。」
「ま、確かに牛の世話とか冷凍庫の霜取りしなくても肉食えるってのはありがたいけどね。すげぇきれいなレストランですげぇうまそうなのにうまくない肉が出てきた時のあの感じ。神様を呪いたくなるね。」
食後に、ダイニングのテーブルで炒りたての山盛りポップコーンにたっぷりの熱いバターを絡めながらジャッキー・グーデリアンはけらけらと笑った。
「あんたの舌が田舎モンなだけでしょ。ねーハイネルさん。ごめんね、誕生日だって聞いてたらもっと洒落た料理用意してたのに。」
グーデリアンの母が傍らからポップコーンのボウルの中にがりがりと塩を挽きいれる。丸っこい指先が一つをつまみあげ、味見すると満足そうにうなずいた。
「おいしいです。焼き具合も熟成具合もちょうどよかったです。」
コーヒーのカップを片手に、差し出された山盛りのポップコーンにいささか怯みながら、ハイネルが笑った。
「そぅお?遠慮してない?シュトロブラムスの社長さんのおうちだと、毎日星のついたレストランとかで、おいしいもの食べてるんじゃない?」
「こいつんち、素材はともかく質素だぜ。父ちゃんと二人してほとんど食べないから、俺が行くとコックさんが喜ぶ喜ぶ。」
「えっ、ハイネルさん、お母さんは?」
「普段は仕事でパリにいます。帰ってくるのは私の誕生日から年明けと、父とリサの誕生日くらいかと。」
「あらま。じゃあアメリカなんかにいちゃダメじゃないの!ジャッキー!あんた無理に引っ張ってきたんでしょ!」
「だってさぁ、こいつんち、こいつの誕生日ろくに祝わないっていうから。」
「はぁ?!」
「それは誤解です。一応家族そろって私の好物と軽いケーキ程度は食卓に並びます。ただ、すぐにクリスマスだからリサのプレゼントに色々と大変だったし、母には仕事で会う機会も多いので・・・。」
「そこはわかっててもお祝いなんて何回やってもいいものでしょ!うちなんて、おばあちゃんとジャッキーなんて一週間しか違わないけど、毎年バカ騒ぎよ。」
「二週続けてうそっこロブスターな。」
「うそっこロブスター?」
「ロブスターの形のハンバーグの種にベーコンとトマトソースのっけて、オーブンで焼いた奴だよ。おかげで俺、かなり最近までロブスターって陸の生き物だと思ってた。」
「簡単だけど豪華で子供に人気でねぇ。おばあちゃん、子供が好きだからって自分の誕生日にもそれリクエストしてたの。たぶん本音は、作るの楽で安上がりだからだけど。」
「子供んときは嬉しかったけど、今はちょっとキツイよなぁアレ。ミリーがもう大学かぁ。いつの間にか大人になっちまって・・・。」
グーデリアンが傍らに座る妹のミリアムの頬にキスをする。ミリアムはそばかすの散る頬を恥ずかしそうに染めた。
ここはケンタッキーのグーデリアン家。外は寒風が吹きすさんでいるが、ヒーターに加えて大きな薪ストーブの入ったダイニングは隅々まで暖かい。食べるのと喋るのに忙しいグーデリアン家の面々を相手に、ハイネルはにぎやかな質問攻めにあっていた。
「はーい、おまたせ。早く早く、ポップコーンを入れてちょうだい!。」
台所から姉のアンジェラがスパテラ片手に、鍋を持ちだしてきた。
「なに?いい匂い。」
「おばあちゃん直伝、キャラメルポップコーン!!」
「やだアニー、ダイエット中なのに!」
「おだまりなさーい!これを食べずしてクリスマスが迎えられると思ってるの?」
ふつふつと煮立つ厚手の片手鍋の中には茶色くとろりとした液がなみなみとできている。その中に妹のミリーが文句をいいつつも、ストーブで炒ったポップコーンをざらざらと入れた。
「やっぱこれよね、クリスマスは。」
アニーが手早くポップコーンを絡めてオーブンシートに取り出す。
「作っちゃったら食べないわけにはいかないじゃないの・・アニーの意地悪・・」
ちょっと涙すら浮かべたミリーのポップコーン色の髪を、グーデリアンはくしゃくしゃとかき回した。
「ミリーはそのままで十分に可愛いよ!な、ハイネル。」
既に成人した妹も、グーデリアンにとっては昔のままの姿なのだろう。ハイネルは微笑で頷いた。
「・・私、アニーみたいに背も高くないし・・鼻だって上向きだし・・」
「俺とおそろい!」
「そうよ。贅沢言わないの。私なんて、なんで金髪に産んでくれなかったのって昔ママに文句言ったんだから。」
アニーはうっとおしそうにストレートのブルネットを束ねるゴムをするりと外し、空いた椅子に腰を下ろしてポップコーンをつまみ始めた。
「ただいまぁ、遅くなっちまった寂しくなかったかい?俺はアメリカのどこからでも君を愛してるよハニィ!」
突然、ダイニングの扉が大きな音を立てて開き、黒髪で背の高い男が入ってきた。
「おかえりダーリン。ご飯は食べたの?」
「あぁ、接待で食べてきたよ。でもやっぱりハニーの料理が一番だけどなぁ。明日は久しぶりに川マスのフライが食べたいな。」
グーデリアンの父は自分の胸ほどもない、小柄でふくよかな愛妻を抱きしめる。ストレートな愛情表現にハイネルがどうしたものかと戸惑っている間も、子供達は慣れているのか、グーデリアンはハイネルににやりと笑いながら目配せをした。
「父ちゃん、ハイネルが困ってるぜ?」
「おー。すまんすまん。今日は顔色いいな!」
ハイネルに歩み寄った父は厚い手を差し出し、力をこめて握手する。
春先に突発的にグーデリアン家を訪れることになったハイネルは体調不良から寝込んでしまい、結局この父とは初対面だった。しかしその手からは古くからの知人のような温かさを含んでいた。
「先日はご挨拶もせずに申し訳ありませんでした。」
「いやいや。しかしなんというか・・同じくらいの身長と年齢なのに、ジャッキーとは品種が違うよなぁ。」
遠慮なく人を真正面から眺め、首をかしげる様子はグーデリアンとよく似ている。不思議と不快感は感じない。
「パパもそう思う?ジャージーとヘレフォードくらい違うわよねぇ。」
「あら、ジャージーとバイソンくらいじゃないかしら?」
「なんか毛色が違うもの。ジャッキーと違ってハイネルさんはきちんとした女の人にモテそうよねぇ。」
ずけずけと物を言うのはグーデリアン家の特徴なのだろうか。苦笑しながら、口を差し挟む隙が見つけられないハイネルは手持ち無沙汰にポップコーンを口に運んだ。
「好き勝手言ってんじゃねえよ。」
「えーっ、婚約者とかいそうじゃないの。」
「残念でした、こいつ色々とめんどくさすぎて連戦連敗。だよなぁハイネル?」
ポップコーンを思わず喉に詰まらせそうになり、ハイネルはじろりとグーデリアンをにらんだ。
「じゃハイネルさん、うちのミニーとかどう?いい子よ?」
「え?」
思いがけない方向に向いた話に、ハイネルがぽろりとポップコーンを取り落とす。
「ちょっと待てよ。俺、ミニーの結婚相手は俺が認めた相手じゃないと許さないからな!」
「俺もだ!ミリアムに結婚を申しこむなら俺とジャッキーを倒してから行け!」
「ちょ・・ちょっと・・・。」
「何言ってんの。あんたたち二人を倒せるのは霊長類の中ではゴリラくらいよ。」
「そうよ。第一パパ、私の結婚報告の時は結局むぐむぐ言ってそれでおしまいだったじゃないの。」
母とアニーに軽く撃破され、大男二人は一瞬で仲良く沈黙した。ハイネル家と同じく、グーデリアン家も結局は女性の地位が非常に高いということらしい。ハイネルは今頃一人で祖母と母とリサのマシンガントークの標的になっているだろう父の苦境を想像し、笑いを堪えきれなかった。
「よっしゃ、じゃあ牧場の夜の見回り行くかぁ!。」
あれだけ作ったポップコーンがあらかたなくなった頃、父がテンガロンハットを被り、立ち上がった。
母とアニーがテーブルの後片付けを始める。グーデリアンとミリーも立ち上がるのを見て、ハイネルもそれにならった。
「私も手伝います。」
声をかけたハイネルに、アニーが静止の声をかける。
「ハイネルさんはだーめ。」
「え?しかし、こんな寒い夜に、女性が・・」
上着のボタンを首の上までしっかりとめているミリーを見て、ハイネルが躊躇する。
「大丈夫よ。慣れてるし、私、台所の仕事下手だし。」
「お前じゃ役にたたねぇよ、ハイネル。」
「そうそう、自分が一番役に立つ仕事をするのがグーデリアン家流。私たちも今から、ジンジャーブレッドマンを300個作らなきゃいけないの。」
「今から、ですか?」
思わず振り返った時計は既に10時を回っていた。
「えぇ。クリスマスの教会で配るの。昼は忙しいから夜しか時間がなくて。明日は袋詰めするから今日焼いておかないと。」
「おばあちゃんとママだけじゃ大変だから、私も夫に子供預けて泊り込み参戦ってわけ。」
「生地は昨日ニーダーでこねて寝かしてあるけど、今からひたすらドウシーターでのばしてひたすら型で抜いて、ひたすら焼き続けるの。」
「100体くらいまでは楽しいけれど、200体超えるくらいになると無言になるのよね。焼き上がってしばらくは夢の中でジンジャーブレッドマンに追いかけられるわ。」
アニーが大げさに手を動かす。
「そういえば、おばあちゃんは?寝てるのかしら。」
「あら、ご飯食べた後、牧場主会だって彼氏が迎えに来ていそいそ出かけてったわよ。」
「・・牧場主会、来週よ?」
「・・・それって・・」
「・・・・・・逃げたわね。」
今まで賑やかだったダイニングに、一瞬にして恐ろしい沈黙が訪れた。
「うっそ!どうするのよママ?!ミリーやジャッキーは役に立たないし、パパなんか論外だし!だから今年こそは外注に出そうって言ってたのに!」
「どうするったって・・あーーー、クリスマスだからスタッフも帰ってるわよねぇ・・」
「ご近所ったって、こんな時間から来てくれる手際のいい料理上手って・・・あ。」
額を突きつけあったグーデリアン家の面々が、ふと一斉にハイネルのほうをむいた。
「な・・・なんですか?」
いやな予感がし、後ずさるハイネルの前にアンジェラが長い黒髪を後にかき上げながらずいっと身を乗り出す。壁際まで追い詰められ、上目遣いで見上げられる。
「・・・・・・・あの・・アニーさん・・?」
大胆に開いた胸元が否応なく視界に入り、ハイネルが思わず顔を上げると、菫のように濃い青の眼がじっとハイネルの顔を覗き込んでいる。
「・・あ、あの?」
腕を壁につかれ、囲い込まれる。赤い唇が触れそうなほどに近付き、薄く開いた。
「・・ハイネルさん・・クッキー・・手伝ってくれますよね?」
「は・・はい。」
「よっしゃあ、ママ、助っ人一人ゲットぉ!」
くるりと家族のほうを向いたアニーがガッツポーズをする。
「・・まったく、わが娘ながら素晴らしい手口だぜ。子持ちになってもパワーは衰えねぇな!」
「誰だよアンジェラとかつけた野郎は。俺なら絶対デヴィエラってつけてるね。」
「素敵よアニー!」
手放しで喜ぶ面々に、ハイネルはがっくりと肩を落とした。
「ということで、作業開始!ハイネルさん生地のばしてね!ママ、オーブンよろしく!」
長い黒髪をくるくると手際よくまとめ、のし板に手粉を打ちながらアンジェラが指示を出す。
「あぁ、今年は早く終わりそう!」
母はうれしそうに、バスマットのようなサイズのオーブンシートを切り続けている。
-あぁ・・今年もやっぱりこういう運命なのか・・
その横で、フランツ・ハイネルは生地を適当なサイズに切り分けながらため息をついた。
この世に生まれてこの方20数年、静かな誕生日など記憶にないのはどうしてだろう。
-私の安息の地は、この地球上にはないということか。
受難の主は嘆息し、来年こそは地球を脱出してやろうと心に決めたのだった。
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「お、うまそう。ブイヤベース?」
「アクアパッツァ。」
ガスコンロの上の、厚手の平鍋がコトコトと音を立てている。
ネクタイを外したワイシャツの上にエプロンをつけたハイネルは、バゲットに薄くニンニク入りのオイルを塗った。
「どう違うのよ。」
グーデリアンはダイニングの小さなテーブルにクロスを敷き、カトラリーとグラスを用意した。
「サフランの有無じゃないか?」
「ふーん?」
グーデリアンが皿を持ったままサラダのルッコラを一枚つまみ、口に放り込む。
ハイネルのアパートメントにグーデリアンが転がり込んできて数カ月、自身の栄養状態にはほとんど関心がないがさすがにドライバーを放っておくわけにはいかないと、最近ハイネルは車で30分ほどの実家が雇っているコックに料理の下ごしらえを、さらに忙しい日は完成品を頼むことが多くなっていた。
ほとんど自宅で食事をすることがない多忙な父と子達のため、「何のために雇われたのかわからない」とぼやいていたコックはこの申し出に非常に喜び、配達時には冷凍庫に非常食として温めるだけで食べられるスープやデリ、自家製のコンフィチュールなどをついでに叩きこんでいくのだった。
「こら、つまみ食いしてるんじゃない。」
「後ろに目でもついてんのかよお前は。」
帰宅して30分ほどで、アクアパッツァと軽くトーストしたバゲット、白チーズと生マッシュルームとルッコラのサラダ、炒めたポテトに白ワインを添えて、瞬く間に軽い夕食がテーブルに現れた。
「俺、昔は魚はサラダと思ってたんだよなぁ。」
「・・はぁ?」
「俺んち、内陸だろ?毎日食い物はほぼ肉なわけ。たまに空輸で届くクラムとかエビは高級品でさ、メインっていうよりは、オードブルにちょこっと乗っかってくるトッピング扱いだったんだよ。」
「魚は肉と同等のプロテイン系食材だ。大体、多少怪しげなオイスターバーでも平気でガツガツ食らっているくせに。」
「お前、基本生もの苦手だもんな。前、ランドルに生牡蠣勧められてすげぇ困ってたよなぁ。」
「・・それ以上いうとデザートはなかったことにするぞ。」
「あ、ごめんごめん!!」
与太話とともに、食事は瞬く間に胃袋に消えた。
空いた皿をシンクに置き、冷蔵庫から冷えたフルーツカスタードを取り出しながら、ハイネルは何度か視線を壁の時計にやった。その様子をグーデリアンはテーブルに肘をついた姿勢で憮然と眺めていた。
「どうした、小骨でも噛んだのか?」
「いや、コックさんの下ごしらえもハイネルの味付けも完璧だった。だけどなぁ・・・」
「?」
グーデリアンはわざと時計のほうを見ながら、つぶやいた。
心の中ではまさか自分がこっち側になるなんて、と、女々しい気持ちを笑いながら。
「もう俺そろそろ限界・・・・。なぁ、今日もこの後仕事?」
「仕方ないだろう。」
再び席に着いたハイネルもため息をつきながらデザートを口に運び始めた。
発表直前の車に、担当者の代わった交通省からイチャモンに近い難癖がついたのがレースシーズンの終わった直後だった。
その内容に激怒した社長、ゲオルグ・ハイネルはスイスの山奥でささやかなスキーオフを楽しんでいた息子を即座に社用ヘリで召還し、有無を言わせず改良責任者として投入した。
スーツに着替える暇すら与えられなかったフランツ・ハイネルが負わされたミッションは言葉にすると至極簡単で、次のシーズンが始まるまでに車を改良するなり担当者を懐柔するなり、なんでもいいからある程度の成果を見せること。
その剣幕は、いつもは社長こそわが命と公言している社長秘書達がさすがにそれはと割って入ろうとするほどだったという。
「・・まぁ、予算が人質だからな。いつものことだ。」
「つってもさぁ、オフシーズンはこっちの開発とかもあるでしょ。」
「父も、忙しいのは知っていて私を投入するんだからよほど切羽詰まっているんだろう。仕方ないさ。私も父も、会社の部品の一つだ。」
「んもー。俺、最近欲求不満でしょっちゅうお前の夢見るんだぜ?」
「・・・は?」
食洗機に皿をセットしているグーデリアンを、袖口をするすると戻していたハイネルが振り返る。
「正確には、お前の形をした何か、だけど。すげぇ素直で可愛いしなんでも俺の言うこと聞くんだよ。」
「・・ついに頭が逝ったか。・・一度、精密検査でも受けて来い。」
ハイネルは大きなため息をつき、上着と車のキーを片手に持つと再び会社へと戻っていった。
-いや、本当に出てくるんだよなぁ
さほど広くもないアパートメントだが、ぽつんと一人で取り残されると急に寂寥感が迫ってくる。外の風がやたらと強く感じる。夜更かしをする気にもなれず、グーデリアンは早々にベッドに入った。こういう晩はアレが出てくることが多いのだ。
-あ、来た
目を閉じてしばらくすると軽くドアが開く音がして、ハイネルの顔をした可愛い何かが擦り寄ってくる。ベッドの上掛けをそっと剥ぎ、しなやかな肌が触れる。
その質感から匂いから、グーデリアンは最初はハイネルのサプライズだろうと信じて疑わなかった。
しかしそのハイネルによく似た生き物との行為は、本物とはまったく違っていた。
グーデリアンの要求のまま体を合わせ、素直に愛情表現をする。時にいじらしい顔を見せたかと思えば絶妙な手技や舌技でグーデリアン自身を愛撫する。何より、グーデリアンがしたいと思えばどんなに過激な体位でもくだらないリクエストでも相手をしてくれる。
決して本物ではないとわかっていながら、グーデリアンはここしばらくその何かとの逢瀬を楽しむことも多かった。
が。
「んー・・・・・?」
「どうした?」
ネコ耳裸エプロンという、ありえない格好のハイネルに押し倒されながら、グーデリアンは首をかしげた。上目遣いで頬を軽く上気させたハイネルは恐ろしく色っぽい。が、何かの違和感があるのだ。
「いや、ねぇ。ちょっと待って。」
グーデリアンは片手でハイネルを軽く押しとどめると、上体を起こした。
「・・次は何がしたい?お前の望みはなんでも聞いてやるぞ?」
腿の上に足を開いて座り、うっとりした目で呟かれる。普段だったら申し分のないシチュエーションなのに何が不満なんだろう。
-確かこの感覚、ハイネルと付き合う前はよくあったような・・
グーデリアンはふと、その感覚にぴったりと思い当たる言葉を思い出した。
「・・あ、そうか。」
「?」
「飽きた」
「な・・?」
思いがけない言葉に、ハイネルの姿をした何かは整った片眉をひくりと上げた。
「こんなバカげた格好までさせて、何を言ってるんだお前は!お前の好きにあれこれさせてやったのに!」
「いやもう、そのへんはすっげぇ楽しかったんだけどね。一通りやったら、満足した。」
ぺらりとエプロンの裾をめくりながらグーデリアンは言った。
耳はともかく、エプロンは意外に似合わないなぁなんて、本人が聞いたら即跡形もなく処分されてしまいそうな事を考えながら。
「解せん。私とあいつとどこが違うというんだ。お前の好きな体と声のはずだ。」
指を突きつけられ、あぁ爪の形まで同じだと冷静に認識する。
「あー・・なんかそういう上からのモノイイするとすっげぇお父さんに似てるよなぁお前。」
「・・年上が好みか?じゃあゲオルグ・ハイネルの姿に・・」
「いやいやいやそれは勘弁してちょーだい。ますます萎えそう、俺。」
「女にもなれるぞ?」
くるりと回ると、フランツ・ハイネルの雰囲気を残したまま体は女性のカーブを描いた。
「へぇ。」
「ちなみに、乳房も臀部も思い通りに。触ってみろ。」
グーデリアンが手で撫でてみると、控えめだった胸がふっくらと盛り上がり、臀部と腰のコントラストが際立つ。
「なるほどねぇ、確かに理想のサイズかも。」
牝馬を品定めする手つきで触るが、そこには既にこれとどうこうしたいという感覚はなく。
煮え切らないグーデリアンに、ハイネルはついに大きな声を上げた。
「私はインキュバスだぞ!これはお前の深層心理に潜む理想のフランツ・ハイネルなんだ!なのに何が不満なんだ!?」
正体をばらしてしまった相手に向かって、グーデリアンは腕組みをして考え込んだ。
「なんかね、スリルが足りないっていうか。こう、うっかりすると即寝首かかれそうなあの緊張感とか?絶対俺だけなんか見てなくて、俺がすげぇ気をつけてないとすぐあちこち行っちまう危なっかしさとか。」
「めんどくさいだけじゃないか。」
「あー、めんどくさいわな、確かに。セックスはいつまでも慣れないし。口もヘタだし。いいトコ突くとそれはそれで必死で暴れるししがみつくし。」
生傷の絶えない太い腕を眺めて、グーデリアンは笑った。周囲は喧嘩のケガだと思っているが、最近ではベッドの中でつけられたキズのほうがはるかに多い。もっとも、つけた本人は色々と耐えるのに必死で覚えてすらいないのがまた癪に障る。
「でもな、そんなのが色々投げ出していい顔見せる時がサイコーとか思うわけよ。多分。」
「・・マゾヒズム嗜好か?」
「そうかもな。あー、ハイネル限定で。」
「大体、フランツ・ハイネルの頭の中を覗いてみたらほとんどが車とか会社のことばかりだ。お前のことなんか片隅にあるだけだったぞ。」
「ははは。ハイネルらしいねぇ。つか、俺のスペースがあっただけマシってね。」
反撃に出たインキュバスに対しても焦る気持ちはなぜか起こらない。
「おまけに、その欲求なんて朝起きてお前とキスをして、一緒に食事して、夜寝る前にハグをする。そんなものだ。お前の性欲が満足できるとは思えない。60代の夫婦でももうちょっとマシな妄想をするものだ。」
「俺も似たようなもんだぜ。」
「ちっ・・せっかくいい餌場を見つけたと思ったのに・・・何がアメリカの種馬だ!何が全米が泣いただ!だからハリウッドの広告には信憑性がないんだ!!」
インキュバスは悔しそうに唇をかむと、捨て台詞を山ほど吐いて煙のように消えていった。
「はは。最後のところはハイネルらしかったな。」
とりあえず今夜はいい夢が見られそうだと、グーデリアンは暗闇に向かって手を振った。
次の朝、グーデリアンがコーヒーをいれていると、ハイネルが憮然とした顔でダイニングに顔を出した。
「・・・・・・・・・・・・・」
「もうちょっと寝ていても大丈夫だぜ?」
「・・昨日の夢に、お前が出てきたんだ。」
「ふーん。もしかしてハイネルも欲求不満ー?」
「お前と一緒にするな。第一、夢の中のお前は私に対してさんざん可愛げがないだのセックス下手だのめんどくさいだの!」
「ええええ?それ、俺のせいじゃないし!!!」
-あいつ、仕返ししに行きやがったな!
--------------------------------------------
ちょっと脱線で
「アクアパッツァ。」
ガスコンロの上の、厚手の平鍋がコトコトと音を立てている。
ネクタイを外したワイシャツの上にエプロンをつけたハイネルは、バゲットに薄くニンニク入りのオイルを塗った。
「どう違うのよ。」
グーデリアンはダイニングの小さなテーブルにクロスを敷き、カトラリーとグラスを用意した。
「サフランの有無じゃないか?」
「ふーん?」
グーデリアンが皿を持ったままサラダのルッコラを一枚つまみ、口に放り込む。
ハイネルのアパートメントにグーデリアンが転がり込んできて数カ月、自身の栄養状態にはほとんど関心がないがさすがにドライバーを放っておくわけにはいかないと、最近ハイネルは車で30分ほどの実家が雇っているコックに料理の下ごしらえを、さらに忙しい日は完成品を頼むことが多くなっていた。
ほとんど自宅で食事をすることがない多忙な父と子達のため、「何のために雇われたのかわからない」とぼやいていたコックはこの申し出に非常に喜び、配達時には冷凍庫に非常食として温めるだけで食べられるスープやデリ、自家製のコンフィチュールなどをついでに叩きこんでいくのだった。
「こら、つまみ食いしてるんじゃない。」
「後ろに目でもついてんのかよお前は。」
帰宅して30分ほどで、アクアパッツァと軽くトーストしたバゲット、白チーズと生マッシュルームとルッコラのサラダ、炒めたポテトに白ワインを添えて、瞬く間に軽い夕食がテーブルに現れた。
「俺、昔は魚はサラダと思ってたんだよなぁ。」
「・・はぁ?」
「俺んち、内陸だろ?毎日食い物はほぼ肉なわけ。たまに空輸で届くクラムとかエビは高級品でさ、メインっていうよりは、オードブルにちょこっと乗っかってくるトッピング扱いだったんだよ。」
「魚は肉と同等のプロテイン系食材だ。大体、多少怪しげなオイスターバーでも平気でガツガツ食らっているくせに。」
「お前、基本生もの苦手だもんな。前、ランドルに生牡蠣勧められてすげぇ困ってたよなぁ。」
「・・それ以上いうとデザートはなかったことにするぞ。」
「あ、ごめんごめん!!」
与太話とともに、食事は瞬く間に胃袋に消えた。
空いた皿をシンクに置き、冷蔵庫から冷えたフルーツカスタードを取り出しながら、ハイネルは何度か視線を壁の時計にやった。その様子をグーデリアンはテーブルに肘をついた姿勢で憮然と眺めていた。
「どうした、小骨でも噛んだのか?」
「いや、コックさんの下ごしらえもハイネルの味付けも完璧だった。だけどなぁ・・・」
「?」
グーデリアンはわざと時計のほうを見ながら、つぶやいた。
心の中ではまさか自分がこっち側になるなんて、と、女々しい気持ちを笑いながら。
「もう俺そろそろ限界・・・・。なぁ、今日もこの後仕事?」
「仕方ないだろう。」
再び席に着いたハイネルもため息をつきながらデザートを口に運び始めた。
発表直前の車に、担当者の代わった交通省からイチャモンに近い難癖がついたのがレースシーズンの終わった直後だった。
その内容に激怒した社長、ゲオルグ・ハイネルはスイスの山奥でささやかなスキーオフを楽しんでいた息子を即座に社用ヘリで召還し、有無を言わせず改良責任者として投入した。
スーツに着替える暇すら与えられなかったフランツ・ハイネルが負わされたミッションは言葉にすると至極簡単で、次のシーズンが始まるまでに車を改良するなり担当者を懐柔するなり、なんでもいいからある程度の成果を見せること。
その剣幕は、いつもは社長こそわが命と公言している社長秘書達がさすがにそれはと割って入ろうとするほどだったという。
「・・まぁ、予算が人質だからな。いつものことだ。」
「つってもさぁ、オフシーズンはこっちの開発とかもあるでしょ。」
「父も、忙しいのは知っていて私を投入するんだからよほど切羽詰まっているんだろう。仕方ないさ。私も父も、会社の部品の一つだ。」
「んもー。俺、最近欲求不満でしょっちゅうお前の夢見るんだぜ?」
「・・・は?」
食洗機に皿をセットしているグーデリアンを、袖口をするすると戻していたハイネルが振り返る。
「正確には、お前の形をした何か、だけど。すげぇ素直で可愛いしなんでも俺の言うこと聞くんだよ。」
「・・ついに頭が逝ったか。・・一度、精密検査でも受けて来い。」
ハイネルは大きなため息をつき、上着と車のキーを片手に持つと再び会社へと戻っていった。
-いや、本当に出てくるんだよなぁ
さほど広くもないアパートメントだが、ぽつんと一人で取り残されると急に寂寥感が迫ってくる。外の風がやたらと強く感じる。夜更かしをする気にもなれず、グーデリアンは早々にベッドに入った。こういう晩はアレが出てくることが多いのだ。
-あ、来た
目を閉じてしばらくすると軽くドアが開く音がして、ハイネルの顔をした可愛い何かが擦り寄ってくる。ベッドの上掛けをそっと剥ぎ、しなやかな肌が触れる。
その質感から匂いから、グーデリアンは最初はハイネルのサプライズだろうと信じて疑わなかった。
しかしそのハイネルによく似た生き物との行為は、本物とはまったく違っていた。
グーデリアンの要求のまま体を合わせ、素直に愛情表現をする。時にいじらしい顔を見せたかと思えば絶妙な手技や舌技でグーデリアン自身を愛撫する。何より、グーデリアンがしたいと思えばどんなに過激な体位でもくだらないリクエストでも相手をしてくれる。
決して本物ではないとわかっていながら、グーデリアンはここしばらくその何かとの逢瀬を楽しむことも多かった。
が。
「んー・・・・・?」
「どうした?」
ネコ耳裸エプロンという、ありえない格好のハイネルに押し倒されながら、グーデリアンは首をかしげた。上目遣いで頬を軽く上気させたハイネルは恐ろしく色っぽい。が、何かの違和感があるのだ。
「いや、ねぇ。ちょっと待って。」
グーデリアンは片手でハイネルを軽く押しとどめると、上体を起こした。
「・・次は何がしたい?お前の望みはなんでも聞いてやるぞ?」
腿の上に足を開いて座り、うっとりした目で呟かれる。普段だったら申し分のないシチュエーションなのに何が不満なんだろう。
-確かこの感覚、ハイネルと付き合う前はよくあったような・・
グーデリアンはふと、その感覚にぴったりと思い当たる言葉を思い出した。
「・・あ、そうか。」
「?」
「飽きた」
「な・・?」
思いがけない言葉に、ハイネルの姿をした何かは整った片眉をひくりと上げた。
「こんなバカげた格好までさせて、何を言ってるんだお前は!お前の好きにあれこれさせてやったのに!」
「いやもう、そのへんはすっげぇ楽しかったんだけどね。一通りやったら、満足した。」
ぺらりとエプロンの裾をめくりながらグーデリアンは言った。
耳はともかく、エプロンは意外に似合わないなぁなんて、本人が聞いたら即跡形もなく処分されてしまいそうな事を考えながら。
「解せん。私とあいつとどこが違うというんだ。お前の好きな体と声のはずだ。」
指を突きつけられ、あぁ爪の形まで同じだと冷静に認識する。
「あー・・なんかそういう上からのモノイイするとすっげぇお父さんに似てるよなぁお前。」
「・・年上が好みか?じゃあゲオルグ・ハイネルの姿に・・」
「いやいやいやそれは勘弁してちょーだい。ますます萎えそう、俺。」
「女にもなれるぞ?」
くるりと回ると、フランツ・ハイネルの雰囲気を残したまま体は女性のカーブを描いた。
「へぇ。」
「ちなみに、乳房も臀部も思い通りに。触ってみろ。」
グーデリアンが手で撫でてみると、控えめだった胸がふっくらと盛り上がり、臀部と腰のコントラストが際立つ。
「なるほどねぇ、確かに理想のサイズかも。」
牝馬を品定めする手つきで触るが、そこには既にこれとどうこうしたいという感覚はなく。
煮え切らないグーデリアンに、ハイネルはついに大きな声を上げた。
「私はインキュバスだぞ!これはお前の深層心理に潜む理想のフランツ・ハイネルなんだ!なのに何が不満なんだ!?」
正体をばらしてしまった相手に向かって、グーデリアンは腕組みをして考え込んだ。
「なんかね、スリルが足りないっていうか。こう、うっかりすると即寝首かかれそうなあの緊張感とか?絶対俺だけなんか見てなくて、俺がすげぇ気をつけてないとすぐあちこち行っちまう危なっかしさとか。」
「めんどくさいだけじゃないか。」
「あー、めんどくさいわな、確かに。セックスはいつまでも慣れないし。口もヘタだし。いいトコ突くとそれはそれで必死で暴れるししがみつくし。」
生傷の絶えない太い腕を眺めて、グーデリアンは笑った。周囲は喧嘩のケガだと思っているが、最近ではベッドの中でつけられたキズのほうがはるかに多い。もっとも、つけた本人は色々と耐えるのに必死で覚えてすらいないのがまた癪に障る。
「でもな、そんなのが色々投げ出していい顔見せる時がサイコーとか思うわけよ。多分。」
「・・マゾヒズム嗜好か?」
「そうかもな。あー、ハイネル限定で。」
「大体、フランツ・ハイネルの頭の中を覗いてみたらほとんどが車とか会社のことばかりだ。お前のことなんか片隅にあるだけだったぞ。」
「ははは。ハイネルらしいねぇ。つか、俺のスペースがあっただけマシってね。」
反撃に出たインキュバスに対しても焦る気持ちはなぜか起こらない。
「おまけに、その欲求なんて朝起きてお前とキスをして、一緒に食事して、夜寝る前にハグをする。そんなものだ。お前の性欲が満足できるとは思えない。60代の夫婦でももうちょっとマシな妄想をするものだ。」
「俺も似たようなもんだぜ。」
「ちっ・・せっかくいい餌場を見つけたと思ったのに・・・何がアメリカの種馬だ!何が全米が泣いただ!だからハリウッドの広告には信憑性がないんだ!!」
インキュバスは悔しそうに唇をかむと、捨て台詞を山ほど吐いて煙のように消えていった。
「はは。最後のところはハイネルらしかったな。」
とりあえず今夜はいい夢が見られそうだと、グーデリアンは暗闇に向かって手を振った。
次の朝、グーデリアンがコーヒーをいれていると、ハイネルが憮然とした顔でダイニングに顔を出した。
「・・・・・・・・・・・・・」
「もうちょっと寝ていても大丈夫だぜ?」
「・・昨日の夢に、お前が出てきたんだ。」
「ふーん。もしかしてハイネルも欲求不満ー?」
「お前と一緒にするな。第一、夢の中のお前は私に対してさんざん可愛げがないだのセックス下手だのめんどくさいだの!」
「ええええ?それ、俺のせいじゃないし!!!」
-あいつ、仕返ししに行きやがったな!
--------------------------------------------
ちょっと脱線で
-俺、今度はニューヨークにホテル買ったんだ。
突如渡されたカードキーは派手好きな持ち主にはちょっと似合わないクラッシックなデザインで。
-いつでも勝手に使っていいぜ。世話んなってるしなぁ。
-当然だ。いつの間にか下宿のみならず、実家まで私物化しおって。
典型的なアメリカのスーパースター、ジャッキー・グーデリアンは、所属をドイツに移してもアメリカの仕事も多かった。
だがアパートメントは掃除も面倒、あちこちのホテルを転居するのもなんだかんだでめんどくさい。
プライベートジェットを購入してケンタッキーから通うという案もあったが、コストや安全性を考えるとそれもあまり現実的でもない。
結局、自分を甘やかすことにかけては天才的な才能とひらめきを発揮するグーデリアンは、あちこちの都市で、そんなに大きくないが小奇麗で世話の行き届くホテルを買い、そのセミスイートの一室をねぐらにしていたのだった。
ハイネルがカバンの中から、携帯電話と間違って手触りの似たジュラルミンのカードケースを出し、そのカードの入ったページを開いたのは本当に偶然だった。
「申し訳ありません。明日朝の飛行機でそちらに飛びます。」
-よりによってロストバゲッジなんて。
ニューヨークでの仕事のついでに、デトロイトの関連会社に作成の遅れた部品サンプルを直接で持ち込む予定が、そんなときに限ってトラブルが起きるのはなぜだろう。
サンプルは幸いにも重要度が高いものではなく情報リークなどの心配はなかったが、お互い数点確認したい事項もあり、サンプルがないことには話が始まらない。
ため息をつきながらハイネルは携帯電話を切った。
-飛行機のフライト変更と、デトロイトのホテルもキャンセルの手続きをしておかなくては。
実家のコンシェルジュに頼むのも面倒で、ハイネルは次々と機械的に雑用を片付けていく。
「さて・・」
すべての連絡が終わり、いつもの定宿に宿泊しようかと思ったところで、ハイネルはクラッシックなカードキーを思い出し、ふとその電話番号をダイアルしてみたのだった。
繁華街から一本裏に入った小奇麗なホテルは年代ものではあったが、隅々まで磨き上げられていた。
穏やかそうな笑みを浮かべた老齢のマネージャーに通された部屋はグーデリアン好みに多少ミッドセンチュリー風のチェアなどが置かれていたが、こざっぱりと気持ちのよい設えでハイネルはアンティークなソファに体を預け、長かった一日におおきくため息をついた。
-疲れたな。
とりあえずシャワーを浴びたいと思ったが、自分の愛用するアメニティ類はあいにくと今頃どこかの空を飛んでいる。重い体を引きずりながら向かったシャワールームにあったのは、グーデリアン愛用の髪から体まで洗えるはずのオールインワンソープ。渋々使用してみたが、ハイネルはその使用感に閉口した。
-なんだこのボディソープは。いくらすすいでも体はぬるぬるするし髪はばさばさだ!
改めてバスタブに湯をはり、おそらくスポンサーから支給されたであろう、奇天烈な色と香りのバスボムを投げ入れた。
ブルーだと思っていたバスボムは、湯に入れると瞬間にロゼワインのようなピンク色になった。
-なんだこれは・・単にpHの問題なのだろうが・・いや・・
それでもおそるおそる体を沈めるが、どうも落ち着かない。
-・・・カクテルの中に沈んでいるようだ。
浴室中に漂うきつい香りの中で、ハイネルはさらに疲労がにじみ出てくるのを感じた。
それでもなんとか体を流し、バスローブ一枚で戻ってきたハイネルは急に空腹を感じ始めた。
近くのデリでうまいコブサラダを作る店があったなとは思いつつ、髪をおろしてしまった今ではめんどくさい。
ルームサービスを頼めばいいが所詮アメリカ。細かい指示を出すことすら面倒で。
-何か、食べるものがあればいいが。どうせやつのことだから、いろいろと溜め込んでいるに違いない。
ハイネルはミニバーの冷蔵庫を漁り、アメリカの薄いビールの缶と、やや不本意ながら缶詰カマンベールもとりだした。
棚を開ければ、オリーブの塩漬けと、ママ・マート特製のコーンド・ビーフの缶詰。ターキーのパテ。ソーダクラッカー。きゅうりのピクルスがあったのは奴としては上出来だ。
冷凍庫にはもれなくキャラメルとナッツ入りのアイスクリームがあったが、それは見なかったことにしておいてやる。
それらをローテーブルの前に並べて、小さなナイフで切り取りながらハイネルはバスローブ姿のまま軽い食事をはじめた。薄いビールは相変わらずまずかったが、それ以外はそれなりに食べられる味で、小腹が満たされたハイネルはそのままごろんとソファに横になった。
-色々あったが、明日まではゆっくりできるということか。
いつもなら仕事に奔走するところだが肝心の資料などが空の上ではどうすることもできない(肝心な部分は手持ちの端末から見られるのだが、そこまでの気力もなく)。
時間を惜しんで読みたい本なども手元にはなく、適度に空腹も満たされたハイネルはそのままうとうととし始めた。
「何してんだよお前・・・」
不意に、頭上から声がした。
いつの間にか熟睡していたことに気づいたハイネルがうっすらと目を開けると、そこには手に包みを持ち、あきれた顔のグーデリアンの姿があった。
「・・あ。」
「あー、楽しみにしていた母ちゃんのコーンドビーフの缶詰!コブサラダと一緒に食べようと・・あー!俺のビール!」
テーブルの惨状にグーデリアンが悲鳴を上げる。
ハイネルはソファから体を起こすと、まだぼんやりする頭でグーデリアンのほうを見やった。
「どうしてお前がここに・・?」
「前の仕事が早く終わったんだよ。明日来る予定だったんだけど、マネージャーがお前が来てるって連絡くれたから夜便で帰ってきたら、バスローブで食い散らかしたままソファで寝てるから誰かと思ったぜ。」
「うるさいぞ。ところでさっきコブサラダとか叫ばなかったか?」
「あーこれ?もう・・・食べる?サラダと、サンドイッチもあるけど。」
「食べる。」
クラッカーでは少々物足りなかったハイネルがうれしそうにサンドイッチの包みをごそごそ開け始めるのを見て、グーデリアンはため息をついた。
「つか、そんなところで寝ると風邪引くぞ。」
「大丈夫だろう。たぶん。」
「どっからの根拠だよ。」
小言を気にもせず、ボリュームのあるサンドイッチをもぐもぐと齧るハイネル。
「・・なんかさ、ハイネル、だんだん俺に似てきてない?」
「・・お前こそ、そんなにうるさいキャラクターだったか?」
「はぁ・・・・・・・・」
-10年も一緒にいればお互い似てくるとはいうけれど。
突如渡されたカードキーは派手好きな持ち主にはちょっと似合わないクラッシックなデザインで。
-いつでも勝手に使っていいぜ。世話んなってるしなぁ。
-当然だ。いつの間にか下宿のみならず、実家まで私物化しおって。
典型的なアメリカのスーパースター、ジャッキー・グーデリアンは、所属をドイツに移してもアメリカの仕事も多かった。
だがアパートメントは掃除も面倒、あちこちのホテルを転居するのもなんだかんだでめんどくさい。
プライベートジェットを購入してケンタッキーから通うという案もあったが、コストや安全性を考えるとそれもあまり現実的でもない。
結局、自分を甘やかすことにかけては天才的な才能とひらめきを発揮するグーデリアンは、あちこちの都市で、そんなに大きくないが小奇麗で世話の行き届くホテルを買い、そのセミスイートの一室をねぐらにしていたのだった。
ハイネルがカバンの中から、携帯電話と間違って手触りの似たジュラルミンのカードケースを出し、そのカードの入ったページを開いたのは本当に偶然だった。
「申し訳ありません。明日朝の飛行機でそちらに飛びます。」
-よりによってロストバゲッジなんて。
ニューヨークでの仕事のついでに、デトロイトの関連会社に作成の遅れた部品サンプルを直接で持ち込む予定が、そんなときに限ってトラブルが起きるのはなぜだろう。
サンプルは幸いにも重要度が高いものではなく情報リークなどの心配はなかったが、お互い数点確認したい事項もあり、サンプルがないことには話が始まらない。
ため息をつきながらハイネルは携帯電話を切った。
-飛行機のフライト変更と、デトロイトのホテルもキャンセルの手続きをしておかなくては。
実家のコンシェルジュに頼むのも面倒で、ハイネルは次々と機械的に雑用を片付けていく。
「さて・・」
すべての連絡が終わり、いつもの定宿に宿泊しようかと思ったところで、ハイネルはクラッシックなカードキーを思い出し、ふとその電話番号をダイアルしてみたのだった。
繁華街から一本裏に入った小奇麗なホテルは年代ものではあったが、隅々まで磨き上げられていた。
穏やかそうな笑みを浮かべた老齢のマネージャーに通された部屋はグーデリアン好みに多少ミッドセンチュリー風のチェアなどが置かれていたが、こざっぱりと気持ちのよい設えでハイネルはアンティークなソファに体を預け、長かった一日におおきくため息をついた。
-疲れたな。
とりあえずシャワーを浴びたいと思ったが、自分の愛用するアメニティ類はあいにくと今頃どこかの空を飛んでいる。重い体を引きずりながら向かったシャワールームにあったのは、グーデリアン愛用の髪から体まで洗えるはずのオールインワンソープ。渋々使用してみたが、ハイネルはその使用感に閉口した。
-なんだこのボディソープは。いくらすすいでも体はぬるぬるするし髪はばさばさだ!
改めてバスタブに湯をはり、おそらくスポンサーから支給されたであろう、奇天烈な色と香りのバスボムを投げ入れた。
ブルーだと思っていたバスボムは、湯に入れると瞬間にロゼワインのようなピンク色になった。
-なんだこれは・・単にpHの問題なのだろうが・・いや・・
それでもおそるおそる体を沈めるが、どうも落ち着かない。
-・・・カクテルの中に沈んでいるようだ。
浴室中に漂うきつい香りの中で、ハイネルはさらに疲労がにじみ出てくるのを感じた。
それでもなんとか体を流し、バスローブ一枚で戻ってきたハイネルは急に空腹を感じ始めた。
近くのデリでうまいコブサラダを作る店があったなとは思いつつ、髪をおろしてしまった今ではめんどくさい。
ルームサービスを頼めばいいが所詮アメリカ。細かい指示を出すことすら面倒で。
-何か、食べるものがあればいいが。どうせやつのことだから、いろいろと溜め込んでいるに違いない。
ハイネルはミニバーの冷蔵庫を漁り、アメリカの薄いビールの缶と、やや不本意ながら缶詰カマンベールもとりだした。
棚を開ければ、オリーブの塩漬けと、ママ・マート特製のコーンド・ビーフの缶詰。ターキーのパテ。ソーダクラッカー。きゅうりのピクルスがあったのは奴としては上出来だ。
冷凍庫にはもれなくキャラメルとナッツ入りのアイスクリームがあったが、それは見なかったことにしておいてやる。
それらをローテーブルの前に並べて、小さなナイフで切り取りながらハイネルはバスローブ姿のまま軽い食事をはじめた。薄いビールは相変わらずまずかったが、それ以外はそれなりに食べられる味で、小腹が満たされたハイネルはそのままごろんとソファに横になった。
-色々あったが、明日まではゆっくりできるということか。
いつもなら仕事に奔走するところだが肝心の資料などが空の上ではどうすることもできない(肝心な部分は手持ちの端末から見られるのだが、そこまでの気力もなく)。
時間を惜しんで読みたい本なども手元にはなく、適度に空腹も満たされたハイネルはそのままうとうととし始めた。
「何してんだよお前・・・」
不意に、頭上から声がした。
いつの間にか熟睡していたことに気づいたハイネルがうっすらと目を開けると、そこには手に包みを持ち、あきれた顔のグーデリアンの姿があった。
「・・あ。」
「あー、楽しみにしていた母ちゃんのコーンドビーフの缶詰!コブサラダと一緒に食べようと・・あー!俺のビール!」
テーブルの惨状にグーデリアンが悲鳴を上げる。
ハイネルはソファから体を起こすと、まだぼんやりする頭でグーデリアンのほうを見やった。
「どうしてお前がここに・・?」
「前の仕事が早く終わったんだよ。明日来る予定だったんだけど、マネージャーがお前が来てるって連絡くれたから夜便で帰ってきたら、バスローブで食い散らかしたままソファで寝てるから誰かと思ったぜ。」
「うるさいぞ。ところでさっきコブサラダとか叫ばなかったか?」
「あーこれ?もう・・・食べる?サラダと、サンドイッチもあるけど。」
「食べる。」
クラッカーでは少々物足りなかったハイネルがうれしそうにサンドイッチの包みをごそごそ開け始めるのを見て、グーデリアンはため息をついた。
「つか、そんなところで寝ると風邪引くぞ。」
「大丈夫だろう。たぶん。」
「どっからの根拠だよ。」
小言を気にもせず、ボリュームのあるサンドイッチをもぐもぐと齧るハイネル。
「・・なんかさ、ハイネル、だんだん俺に似てきてない?」
「・・お前こそ、そんなにうるさいキャラクターだったか?」
「はぁ・・・・・・・・」
-10年も一緒にいればお互い似てくるとはいうけれど。
『ちょっと走ってくる』
長いようで短いドイツの夏を惜しむように、首元まできちりとライディングスーツを着たハイネルが小さな暴れ馬でするりと本宅の広大な庭を抜けて行ったのは、朝早くのことだった。
「何、ハイネルまだ帰ってねぇの?」
出迎えてくれた執事にジャケットを預け、グーデリアンはソファに腰を下ろした。
久々のオフだったのに、グーデリアンには午前にアメリカの車雑誌からつまらない取材が一つ入っていて。
『あー、サボりたい・・・たまにゃ朝からハイネルとグダグダ過ごしたい・・・』
『お前、そのうちアメリカに忘れられるぞ。』
『・・へい。』
-というか、その前にお前に忘れられそうで怖いんですけどね、俺は。
一応こねてみた駄々も一瞬で撃破され、しぶしぶ別行動となったのだった。
-大丈夫かねぇ
朝は快晴だったのに背の高い窓から見上げる空には昼過ぎから段々と厚い雲が被さってきていた。
配信映画が1本終わり、ポットの紅茶も冷め始めた頃にはついに遠方では雷鳴が轟き始めた。
「先ほど、もうすぐ戻られるとのお電話がありました。」
「あー、気にしなくていいんで。気まぐれな坊ちゃんのお守も大変っすね。」
普段仕事の事となるときっちりすぎるほどの管理をする男が、自分相手にだけは結構めんどくさがりでズボラでいい加減なのに気付いたのはいつだろう。
-あー、これが釣った魚にはなんとかってヤツか。
自分にも身に覚えはないこともないが、まさか自分がされる側になるとは。
申し訳なさそうに頭を下げる執事に苦笑を返し、グーデリアンは再度映画配信を探し始めた。
グーデリアンがうとうととし始めた頃、ゴツゴツとした足音と複数の男性がしゃべる低い声が聞こえた気がした。ドアを開けてみれば、点々と水滴が廊下に残り、後からは二人組のメイドがモップを持ち、水滴掃除に余念がない。
「あ、先ほどフランツ様がお戻りになられました。」
「サンキュ、シンデレラさん達。」
メイドに大げさに投げキスをして、グーデリアンは水滴の続くほうへ歩いていった。
「おかえりー遅かったな・・・・・ん?。」
客間のドアを開けて目に入ったのは、びしょ濡れの黒いライディングスーツのハイネルと・・汗なのかヘルメットの通気口から入った雨なのか、額にかかる濡れた金髪をうっとおしそうにかきあげているランドルだった。
「・・・今日、ランドルと一緒だったの?」
「言ってなかったか?」
「すまなかったな、ハイネル。まさかランドル家の気象予報システムが外れるなんて。」
「仕方ないさ。いい息抜きにはなった。よければ装備は私のほうでメンテナンスをしておこう。」
「頼む。」
話しながら、二人は何人かの執事やメイドに厚手のタオルでざっと表面の水分を吸わせ、一つずつ装備を外しては預けていく。
ヘルメット、ブーツ、ライディングスーツ、アンダースーツ・・撥水加工のつなぎ目や通気口から浸水した水分が奥のほうまでじっとりとしみ込んでいる。
「ここまで雨に降られたのは久しぶりだ。」
「やはりツーリングはトランスポーター付きにしよう、ハイネル。」
「まぁ、たしかにそれが合理的だが・・。」
既にTシャツと下着のみになったランドルがはりついたシャツを脱ぐ。最近身長が伸び、体格も「男」に近付きつつある体が、ハイネルのシャツの首筋に指をかけて中を覗く。
「大体、君は僕より日焼けするだろう。あんまり紫外線に当たらないほうがいいんじゃないか?」
「そんなに焼けているか?」
「今日は大丈夫みたいだ。」
「よかった。後でヒリヒリするのはごめんだ。」
ハイネルはさっさとシャツを脱ぎ、下着に指をかけた。
「・・・ちょっと待て!さすがにちょっと待て!!」
いきなり手首を掴まれて、ハイネルがきょとんと顔を上げる。
「なんだ、グーデリアン?」
「お前ら・・ここで下着まで脱ぐの?」
指さす先を見回せば、執事とメイドが数人、そしてランドル。一通り確認し、ハイネルは再び首をかしげた。
「そこでメイドがバスローブを持って待機しているが?」
何か問題が?という顔に、グーデリアンがハイネルの両肩を掴む。
「いや、そこはダメだろう!」
「・・何がダメなのか、わかるように説明してくれないか?」
「僕もわからないぞ。シャワーの前には裸になるだろう。」
「裸が、じゃなくて、こういうシチュエーションで!」
衆人環視の真ん中で、しかも女性が含まれる中で局部まで晒してんじゃねぇよと言いたいのだが、あまりの衝撃に言葉がうまく出てこない。
待てよ、こういうのは普通俺がやらかしてハイネルが止めるんじゃなかったか?とグーデリアンの頭をぐるぐると色々な思惑が駆け巡ってなんだかもうよくわからない。
「ロッカールームとかサウナで普通に裸になるが、何か問題があったか?」
「全く、アメリカ人というのはよくわからないな。」
下着だけでひそひそ話し合う二人にはまったく通じていない。
「アメリカじゃあな、人前でパンツ脱ぐのは病院と彼女の前だけなの!」
グーデリアンは吠えた。なぜか、大きな敗北感を覚えながら。
-その夜。
「ふうん、彼女、か。」
ラボ近くのアパートメントで風呂上がり、ハイネルはコーヒーを淹れながらつぶやいた。
「だからあれば言葉のアヤ!あそこで俺に彼氏って言ってほしかったのかお前?!」
ソファで雑誌片手に寝転がっていたグーデリアンは起き上がり、不服の意を表した。
「別に?第一、私はお前の彼氏でも彼女でもないしな。」
ハイネルはコーヒーと郵便物を片手に、仕事机と小さなベッドのある自分の仕事部屋へ向かう。パジャマの襟元は上まできっちり止めて。
「え、何、今晩やらないの?」
「仕事があるから邪魔をするな。おやすみ。」
あわてて引いてみた袖口は邪険に振り払われて。
-あぁ、ヨーロッパ人めんどくさい!
ドイツに来てもう数年。
そろそろ本気でシュトロブラムスのコールセンターに「フランツ・ハイネルの取扱書」を請求してやろうかと、グーデリアンは今夜も枕を涙で濡らすのだった。
---------------
チャットお疲れ様でした。
確認したらかきかけのままアップしてなかったので、ちょっと足して・・・
裸が、というよりは、ヤキモキするグーが書きたかっただけでした。
長いようで短いドイツの夏を惜しむように、首元まできちりとライディングスーツを着たハイネルが小さな暴れ馬でするりと本宅の広大な庭を抜けて行ったのは、朝早くのことだった。
「何、ハイネルまだ帰ってねぇの?」
出迎えてくれた執事にジャケットを預け、グーデリアンはソファに腰を下ろした。
久々のオフだったのに、グーデリアンには午前にアメリカの車雑誌からつまらない取材が一つ入っていて。
『あー、サボりたい・・・たまにゃ朝からハイネルとグダグダ過ごしたい・・・』
『お前、そのうちアメリカに忘れられるぞ。』
『・・へい。』
-というか、その前にお前に忘れられそうで怖いんですけどね、俺は。
一応こねてみた駄々も一瞬で撃破され、しぶしぶ別行動となったのだった。
-大丈夫かねぇ
朝は快晴だったのに背の高い窓から見上げる空には昼過ぎから段々と厚い雲が被さってきていた。
配信映画が1本終わり、ポットの紅茶も冷め始めた頃にはついに遠方では雷鳴が轟き始めた。
「先ほど、もうすぐ戻られるとのお電話がありました。」
「あー、気にしなくていいんで。気まぐれな坊ちゃんのお守も大変っすね。」
普段仕事の事となるときっちりすぎるほどの管理をする男が、自分相手にだけは結構めんどくさがりでズボラでいい加減なのに気付いたのはいつだろう。
-あー、これが釣った魚にはなんとかってヤツか。
自分にも身に覚えはないこともないが、まさか自分がされる側になるとは。
申し訳なさそうに頭を下げる執事に苦笑を返し、グーデリアンは再度映画配信を探し始めた。
グーデリアンがうとうととし始めた頃、ゴツゴツとした足音と複数の男性がしゃべる低い声が聞こえた気がした。ドアを開けてみれば、点々と水滴が廊下に残り、後からは二人組のメイドがモップを持ち、水滴掃除に余念がない。
「あ、先ほどフランツ様がお戻りになられました。」
「サンキュ、シンデレラさん達。」
メイドに大げさに投げキスをして、グーデリアンは水滴の続くほうへ歩いていった。
「おかえりー遅かったな・・・・・ん?。」
客間のドアを開けて目に入ったのは、びしょ濡れの黒いライディングスーツのハイネルと・・汗なのかヘルメットの通気口から入った雨なのか、額にかかる濡れた金髪をうっとおしそうにかきあげているランドルだった。
「・・・今日、ランドルと一緒だったの?」
「言ってなかったか?」
「すまなかったな、ハイネル。まさかランドル家の気象予報システムが外れるなんて。」
「仕方ないさ。いい息抜きにはなった。よければ装備は私のほうでメンテナンスをしておこう。」
「頼む。」
話しながら、二人は何人かの執事やメイドに厚手のタオルでざっと表面の水分を吸わせ、一つずつ装備を外しては預けていく。
ヘルメット、ブーツ、ライディングスーツ、アンダースーツ・・撥水加工のつなぎ目や通気口から浸水した水分が奥のほうまでじっとりとしみ込んでいる。
「ここまで雨に降られたのは久しぶりだ。」
「やはりツーリングはトランスポーター付きにしよう、ハイネル。」
「まぁ、たしかにそれが合理的だが・・。」
既にTシャツと下着のみになったランドルがはりついたシャツを脱ぐ。最近身長が伸び、体格も「男」に近付きつつある体が、ハイネルのシャツの首筋に指をかけて中を覗く。
「大体、君は僕より日焼けするだろう。あんまり紫外線に当たらないほうがいいんじゃないか?」
「そんなに焼けているか?」
「今日は大丈夫みたいだ。」
「よかった。後でヒリヒリするのはごめんだ。」
ハイネルはさっさとシャツを脱ぎ、下着に指をかけた。
「・・・ちょっと待て!さすがにちょっと待て!!」
いきなり手首を掴まれて、ハイネルがきょとんと顔を上げる。
「なんだ、グーデリアン?」
「お前ら・・ここで下着まで脱ぐの?」
指さす先を見回せば、執事とメイドが数人、そしてランドル。一通り確認し、ハイネルは再び首をかしげた。
「そこでメイドがバスローブを持って待機しているが?」
何か問題が?という顔に、グーデリアンがハイネルの両肩を掴む。
「いや、そこはダメだろう!」
「・・何がダメなのか、わかるように説明してくれないか?」
「僕もわからないぞ。シャワーの前には裸になるだろう。」
「裸が、じゃなくて、こういうシチュエーションで!」
衆人環視の真ん中で、しかも女性が含まれる中で局部まで晒してんじゃねぇよと言いたいのだが、あまりの衝撃に言葉がうまく出てこない。
待てよ、こういうのは普通俺がやらかしてハイネルが止めるんじゃなかったか?とグーデリアンの頭をぐるぐると色々な思惑が駆け巡ってなんだかもうよくわからない。
「ロッカールームとかサウナで普通に裸になるが、何か問題があったか?」
「全く、アメリカ人というのはよくわからないな。」
下着だけでひそひそ話し合う二人にはまったく通じていない。
「アメリカじゃあな、人前でパンツ脱ぐのは病院と彼女の前だけなの!」
グーデリアンは吠えた。なぜか、大きな敗北感を覚えながら。
-その夜。
「ふうん、彼女、か。」
ラボ近くのアパートメントで風呂上がり、ハイネルはコーヒーを淹れながらつぶやいた。
「だからあれば言葉のアヤ!あそこで俺に彼氏って言ってほしかったのかお前?!」
ソファで雑誌片手に寝転がっていたグーデリアンは起き上がり、不服の意を表した。
「別に?第一、私はお前の彼氏でも彼女でもないしな。」
ハイネルはコーヒーと郵便物を片手に、仕事机と小さなベッドのある自分の仕事部屋へ向かう。パジャマの襟元は上まできっちり止めて。
「え、何、今晩やらないの?」
「仕事があるから邪魔をするな。おやすみ。」
あわてて引いてみた袖口は邪険に振り払われて。
-あぁ、ヨーロッパ人めんどくさい!
ドイツに来てもう数年。
そろそろ本気でシュトロブラムスのコールセンターに「フランツ・ハイネルの取扱書」を請求してやろうかと、グーデリアンは今夜も枕を涙で濡らすのだった。
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チャットお疲れ様でした。
確認したらかきかけのままアップしてなかったので、ちょっと足して・・・
裸が、というよりは、ヤキモキするグーが書きたかっただけでした。
「・・・・・・・・何をしに来たこのバカ。」
冷たい水をはったバスタブの横に跪き、Tシャツから出した両腕を漬けたハイネルの口からは、真っ先に険呑なセリフが飛び出した。
「・・怒ってるぅ?」
他の人間ならば縮みあがるような鋭い視線と言葉を気にする様子もなく、右腕に大量のタオルと、左腕に大きな袋を持ったグーデリアンはへらへらとクラシカルな白いバスタブの横にしゃがみこんだ。
「痛そうだなぁ。」
「・・・誰のせいだと?」
「だから、あれこれかき集めてきたんだよ。見せてみな。」
袋を持ち上げて見せるグーデリアンから、ハイネルはぷいっと視線をそらす。
「たかが日焼けだ。冷やして炎症を抑える他にないんだからさっさと自分の部屋に帰れ。」
たかが・・といった腕は、水面から見えるだけでも肘から先がまだ真赤でひどく痛々しい。
-うわ、イタそ。
グーデリアンは思わず眉をひそめた。
今日の午後の予選で、いつものごとくうろうろと姿を眩ませたグーデリアンを追いかけ、ハイネルはうっかりレーシングスーツの上半身をはだけたまま照り返しの強いサーキット内を1時間弱も走り回ってしまったのだ。
帽子をかぶり日焼け止めを塗っていた顔と、タオルをかけたままでいた首まではなんとか致命傷を免れたが、アンダーシャツから出ていた腕は予選が終わる頃には赤く熱を持って痛み始めた。
頭に血が上った自分の愚かさを恥じ、平気な顔を装って予選後のミーティングまでをこなしたハイネルではあったが、いつものように着替えたシャツのカフスをかちりと止めないのをグーデリアンは見逃さなかった。
「つか、疲れてるんだろ?そこで朝まで腕を冷やしてるつもり?」
「このままではレーシングスーツが着られない。半日冷やせば大分楽になる。それより早く休め。スタッフに迷惑をかける気か。」
こういった場合のハイネルの頑固さはたとえ付き合いの長いチーフでも手におえない。
ふぅ、と大きなため息をつき、グーデリアンは大荷物を両手に抱えたまま、バスルームから出て行った。
ドアが閉まるのを確認し、ハイネルは再び陶器の浴槽の縁に顔を預けた。
なめらかな冷たさがやや火照った頬に心地よい。日中の疲れがどっとこみあげてきて、意識を持って行かれそうになる。
いっそこのまま波に流されてしまおうかと目を閉じた時、再びドアが開く音が聞こえた。
「・・な?」
見上げると、そこに立っていたのは、出て行ったはずのグーデリアンだった。
先ほど持っていた荷物は両腕にはなく、代わりにグーデリアンは跪くとハイネルの床に投げ出された膝裏と、浴槽に腕を預けて無防備な脇の下に太い腕を差し入れた。
「っ、と。持ち上がるかな?」
突然ぐっと力を入れられ、あわてたハイネルは思わずバスタブから腕を上げた。
「ちょ、待て、腰を痛める!」
「わかってたら協力する!。ほら、腕は首!。」
咄嗟に抱きついた厚い胸板は、まるで鎧のような感触で。
「うわ、腕冷たっ!」
笑いながらグーデリアンは、開け放したドアからベッドルームへさっさとハイネルを運びあげた。
「はい、到着~っと。」
上掛けを剥がれたベッドにやすやすと横たえられ、抗議の声を上げようとするハイネルの傍らで、グーデリアンは袋の中身をごそごそと取り出し始めた。
「大事な体なのはお前もだろ?。平気な顔してたけどこの色じゃん。みんな心配してたぜ?お前、ちょっと人に迷惑かけることを覚えろよ。」
それぞれの腕の下に厚く畳んだバスタオルを敷き、柔らかい保冷剤を載せた上にさらに薄手のタオルをかけ、ハイネルの腕をそっと横たえる。
水から揚げられ、再び火照り始めた腕にローション剤をたっぷりと擦りこんだ上から、丁寧に薄くクリームのようなものを塗っていく。
「・・なんだそれは?」
「寝てろって。」
首を起こそうとするハイネルの頭を、有無を言わせず枕に押し戻す。
「火照りを押さえる化粧水。女の子達がよく使ってるのを一本もらってきた。クリームは弱い消炎剤。ドクターも日焼けは火傷の一種だって言ってたぜ?本当はしっかり冷やしてからがいいんだって言ってたけどなぁ。」
処置の終わった腕の上から再びタオルを被せ、上にも保冷剤を載せてバスタオルの端で包む。
両腕を保冷剤でパックしてしまうと、グーデリアンはハイネルの胸から下に上掛けをかけた。
「バスで寝るよりマシだろ。」
タオルの先から指先が出ているのを確認し、仕上げに適当に揉みほぐした小さめの保冷剤をタオルに包み、ハイネルの額から眼にかけてそっとのせた。
「冷えすぎたり、ぬるくなったら言えよ。俺、横で寝てるから。」
ごそごそと隣に質量の高い熱源が潜り込んでくる。
「たかが日焼けなのに・・」
「体質だからしょうがないだろ。そこは張り合うとこじゃねぇ。」
枕元の何かを切る音がする気配がして、空気がしんと落ち着いた。
「第一、お前、俺が同じ目にあったらいつも心配して飛んでくるだろ?」
「・・お前が雲隠れなんぞしなければこんな目にはあわなかったんだ。」
「ま、そこは悪かった。だから大人しく寝てくれ。俺も実はそろそろ限界・・・・」
ハイネルは暗闇の中で、タオルから出た指先に温かい指が絡むのを感じた。
ほどなくして、深い寝息が聞こえてくる。
-・・まったく、この馬鹿が。
体温の高い体から発される熱がじわりと体に回り、ハイネルも心地よい闇に体を預けた。
冷たい水をはったバスタブの横に跪き、Tシャツから出した両腕を漬けたハイネルの口からは、真っ先に険呑なセリフが飛び出した。
「・・怒ってるぅ?」
他の人間ならば縮みあがるような鋭い視線と言葉を気にする様子もなく、右腕に大量のタオルと、左腕に大きな袋を持ったグーデリアンはへらへらとクラシカルな白いバスタブの横にしゃがみこんだ。
「痛そうだなぁ。」
「・・・誰のせいだと?」
「だから、あれこれかき集めてきたんだよ。見せてみな。」
袋を持ち上げて見せるグーデリアンから、ハイネルはぷいっと視線をそらす。
「たかが日焼けだ。冷やして炎症を抑える他にないんだからさっさと自分の部屋に帰れ。」
たかが・・といった腕は、水面から見えるだけでも肘から先がまだ真赤でひどく痛々しい。
-うわ、イタそ。
グーデリアンは思わず眉をひそめた。
今日の午後の予選で、いつものごとくうろうろと姿を眩ませたグーデリアンを追いかけ、ハイネルはうっかりレーシングスーツの上半身をはだけたまま照り返しの強いサーキット内を1時間弱も走り回ってしまったのだ。
帽子をかぶり日焼け止めを塗っていた顔と、タオルをかけたままでいた首まではなんとか致命傷を免れたが、アンダーシャツから出ていた腕は予選が終わる頃には赤く熱を持って痛み始めた。
頭に血が上った自分の愚かさを恥じ、平気な顔を装って予選後のミーティングまでをこなしたハイネルではあったが、いつものように着替えたシャツのカフスをかちりと止めないのをグーデリアンは見逃さなかった。
「つか、疲れてるんだろ?そこで朝まで腕を冷やしてるつもり?」
「このままではレーシングスーツが着られない。半日冷やせば大分楽になる。それより早く休め。スタッフに迷惑をかける気か。」
こういった場合のハイネルの頑固さはたとえ付き合いの長いチーフでも手におえない。
ふぅ、と大きなため息をつき、グーデリアンは大荷物を両手に抱えたまま、バスルームから出て行った。
ドアが閉まるのを確認し、ハイネルは再び陶器の浴槽の縁に顔を預けた。
なめらかな冷たさがやや火照った頬に心地よい。日中の疲れがどっとこみあげてきて、意識を持って行かれそうになる。
いっそこのまま波に流されてしまおうかと目を閉じた時、再びドアが開く音が聞こえた。
「・・な?」
見上げると、そこに立っていたのは、出て行ったはずのグーデリアンだった。
先ほど持っていた荷物は両腕にはなく、代わりにグーデリアンは跪くとハイネルの床に投げ出された膝裏と、浴槽に腕を預けて無防備な脇の下に太い腕を差し入れた。
「っ、と。持ち上がるかな?」
突然ぐっと力を入れられ、あわてたハイネルは思わずバスタブから腕を上げた。
「ちょ、待て、腰を痛める!」
「わかってたら協力する!。ほら、腕は首!。」
咄嗟に抱きついた厚い胸板は、まるで鎧のような感触で。
「うわ、腕冷たっ!」
笑いながらグーデリアンは、開け放したドアからベッドルームへさっさとハイネルを運びあげた。
「はい、到着~っと。」
上掛けを剥がれたベッドにやすやすと横たえられ、抗議の声を上げようとするハイネルの傍らで、グーデリアンは袋の中身をごそごそと取り出し始めた。
「大事な体なのはお前もだろ?。平気な顔してたけどこの色じゃん。みんな心配してたぜ?お前、ちょっと人に迷惑かけることを覚えろよ。」
それぞれの腕の下に厚く畳んだバスタオルを敷き、柔らかい保冷剤を載せた上にさらに薄手のタオルをかけ、ハイネルの腕をそっと横たえる。
水から揚げられ、再び火照り始めた腕にローション剤をたっぷりと擦りこんだ上から、丁寧に薄くクリームのようなものを塗っていく。
「・・なんだそれは?」
「寝てろって。」
首を起こそうとするハイネルの頭を、有無を言わせず枕に押し戻す。
「火照りを押さえる化粧水。女の子達がよく使ってるのを一本もらってきた。クリームは弱い消炎剤。ドクターも日焼けは火傷の一種だって言ってたぜ?本当はしっかり冷やしてからがいいんだって言ってたけどなぁ。」
処置の終わった腕の上から再びタオルを被せ、上にも保冷剤を載せてバスタオルの端で包む。
両腕を保冷剤でパックしてしまうと、グーデリアンはハイネルの胸から下に上掛けをかけた。
「バスで寝るよりマシだろ。」
タオルの先から指先が出ているのを確認し、仕上げに適当に揉みほぐした小さめの保冷剤をタオルに包み、ハイネルの額から眼にかけてそっとのせた。
「冷えすぎたり、ぬるくなったら言えよ。俺、横で寝てるから。」
ごそごそと隣に質量の高い熱源が潜り込んでくる。
「たかが日焼けなのに・・」
「体質だからしょうがないだろ。そこは張り合うとこじゃねぇ。」
枕元の何かを切る音がする気配がして、空気がしんと落ち着いた。
「第一、お前、俺が同じ目にあったらいつも心配して飛んでくるだろ?」
「・・お前が雲隠れなんぞしなければこんな目にはあわなかったんだ。」
「ま、そこは悪かった。だから大人しく寝てくれ。俺も実はそろそろ限界・・・・」
ハイネルは暗闇の中で、タオルから出た指先に温かい指が絡むのを感じた。
ほどなくして、深い寝息が聞こえてくる。
-・・まったく、この馬鹿が。
体温の高い体から発される熱がじわりと体に回り、ハイネルも心地よい闇に体を預けた。
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ここはいわゆる同人誌といわれるものを扱っているファンサイトです。
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