「ふ・・・」
「よう。本当に、髭とか生えないのな、お前。」
頬に指を這わせる感触でハイネルは浅い眠りから揺り戻された。
「社長令息ってのも大変だよな。いつも小奇麗なフリしてさ。誰に見せるつもりなんだか。」
思春期に入っての早々の永久脱毛によって、髪と眉と睫以外の毛はきれいに処理されている磁器のような肌を節くれだった太い指が降りてくる。ヨーロッパでは珍しいことではないが、普段触られることのない部分を撫で回す感触に思わず肌が粟立つ。
「んー、ここはいつもどおりだな。俺じゃ感じないわけ?」
からかう口調で顔を覗き込むグーデリアンからハイネルは視線を逸らした。まだ体の奥がじんじんと痛む。昨夜も明け方までいいように扱われ、やっと開放されたばかりだというのにもう次が始まるのだろうかと肩を強張らせたハイネルから、グーデリアンは意外にもさらりと身を離した。
「ま、それはまた後で聞くからいいや。飯来てるから食おう。俺、腹減った。」
起き上がったグーデリアンはさっさとドアを開けて出ていく。ハイネルは重い体を起こすと、打ち捨ててあったガウンを体にまとわせて後を追った。
-二年目。移籍の条件は端的だった。
「金額はどうでもいいよ。俺、お前が抱きたいんだいよね。セフレってやつ?」
それに対してハイネルがなぜ、とかどうして、と問いかけることはなかった。脊髄反射のみで生きているこの男には無駄だとハイネルは直感的に感じたからだ。
やりたいことをやる。抱いてみたいから抱く。それだけだろう。
自分の身一つでなんとかなるものならば安いものだと、ハイネルは指定されたハワイのホテルに契約書を持って訪れた。
「お前、なんか胃に入れないとそろそろやばいぜ。」
一人がけのラタンチェアに沈みこみ、冷たい水だけをやっと口に運んでいるハイネルの前で、シャワーから出てきたグーデリアンはバスローブ姿のままエビを次々と口に放り込んでいた。律儀に3度3度届く色とりどりで贅を凝らした南国風のルームサービスは、一人分はほとんど手つかずで返されていた。
「これ、うまいよ。」
グーデリアンは極彩色のジェリーを選び、ハイネルの口元に運んだ。が、青ざめた口元は固く結ばれたままだった。
大きなガラス張りのテラスから続くプールには、切り取られた空が浮かんでいた。ハイネルはちらりとデスクに放り出されたままの契約書に目をやった。ハイネルが到着した際、グーデリアンはプールから上がるなり契約書をデスクの上に広げておくよう指差し、スーツ姿のままのハイネルに口での奉仕をさせた。その時のままだ。
「まぁ、腹減ったら適当につまんどけよ。俺、今日は出かけるけどお前どうする?」
「・・・休ませて、もらいたい。」
「そ、じゃサブのほうの寝室は入らないように言っとく。」
フルーツのたくさんのったパンケーキを大口に押し込むと、グーデリアンはクローゼットに向かって歩き去った。それを見届けるとハイネルはシャワールームへとふらつく足を運んだ。
どこからともなく甘ったるい果物の香りが混じるねっとりとした空気の中を、グーデリアンは何をするともなく雑多なダウンタウンを歩いていた。
ラフな服装と伸びかけた不精髭にサングラス、身にまとう不機嫌な空気のせいで彼が有名なレーサーだと気づくものは誰もいないのがいっそ気楽だった。
-発端は、何気ない寝言だった。
一年目の夏頃。いつもの大喧嘩の後、ハイネルがテスト中に軽い熱中症を起こして倒れたと聞き、グーデリアンは医務室へと駆けつけた。幸いにも症状は軽く、点滴を打ちながら涼しい場所で安静にすれば問題ないという話だったが、なんとなくの罪悪感からか、グーデリアンはハイネルが目を覚ますまで付き添いを申し出たのだった。
「ん・・」
一時間ほどして意識が覚醒してきたのか、ハイネルの体がうっすらと身じろぎをした。
「お、大丈夫か?」
「・・ト・・ニオ。駄目だ・・行かないで・・」
覗き込んで声をかけたグーデリアンの耳に、聞いたことのない名前が飛び込んできた。ラボの関係者ではない名前。そして、その呼び方は今までになく甘く切ない響きを含んでいた。
「ハイネル・・どうした?」
あわててハイネルの腕をつかみ、揺さ振る。ハイネルの表情が苦しげにゆがんだ。
「・・トニオ?」
涙でけぶる眼を薄く開け、かすれた声で囁いたハイネルが見せた表情はグーデリアンを震撼させた。しかしその表情は相手がグーデリアンであるとわかると途端にこわばり、きょろきょろとあたりを見回した。
「私は・・・あぁ、倒れたのか。すまない。」
額の髪をかきあげ、上体を起こすハイネルはいつも通りの表情に戻っていた。
「・・お前、うわ言でトニオって呼んでたぜ。誰?」
グーデリアンの問いかけに、ナースコールを探していたハイネルの手が一瞬止まったが、すぐにいつものそっけない口調で返された。
「昔の友達だ。看護婦を呼ぶからお前は帰ってくれ。」
「ふぅん・・」
グーデリアンはなぜか、それ以上聞き出すことはできなかった。
それから数ヶ月。そんな事件は波乱に満ちた一年目のせいでほぼ忘れ去っていたのに、ハイネルの下宿に度々訪れるようになってから、なぜかあの名前と表情が気になって仕方ない。
自分が無理を言えばハイネルは反射的に反発するが、結局は諦めたような表情を浮かべて渋々受け入れる。一度などは事故のフラッシュバックに耐え切れず、ハイネルのその身を抱きしめて眠ったことすらあったが、それでもハイネルは受け入れた。
-まさか、こういうのに慣れているんじゃ・・
半同居生活の中でも性的な香りはまったく感じさせないが、そう考えると距離のとり方などに疑問を感じる部分も多い気がする。
グーデリアンの中で湧き出した小さな暗雲は、空を覆う真っ黒な嵐へと姿を変えていった。
サブベッドルームの閉めたカーテンの隙間から、明るい光がもれている。ハイネルはぼんやりと動かない頭と体とをベッドに横たえていた。かすかに音がするのは食事の片付けとメインベッドルームのクリーニング作業だろうか。水が飲みたいが、チェストへ手を伸ばすことすら辛い。
また夜が来れば手荒く扱われるのだからせめて体を休めておきたいと思うのだが、痛む体と極度の倦怠感がそれさえ許してくれない。
口での奉仕から始まり、連夜の蹂躙。時々連れ込まれるバスルームでは、体の中まで洗われて。
次第に人間としての尊厳を削ぎとられそうになる気がして、ハイネルは自分の手の甲を歯型がつくまで噛み締めた。
「・・う?」
やっとうとうととしかけた頃、瞼の裏が急に明るくなった。ハイネルがうっすらと目を開けると、体を閉じられないように自分の手足が拘束されていることに気がついた。
「ただいまぁ。」
横から聞こえてきた能天気な声の主はベッドのふちに腰かけ、大きなアイスクリームのカップを抱きかかえていた。
「食えよ。」
目の前に差し出されたスプーンを、恐ろしく喉が渇いていたハイネルは思わず口を開け、受け入れた。喉の奥に冷たい刺激が通り抜け、糖分が弱った体にじわりと染み渡る。それが数度繰り返された。
「よくできました。」
グーデリアンは満足げに笑いながらハイネルの唇にこぼれたクリームをなめとる。真意がわからず戸惑うハイネルの体の間に、グーデリアンは自分の大きな体を押し込んだ。
「じゃ、本番いこうか。」
笑顔の中で蒼い眼が冷たい光を放っていた。
「ぁ・・あ・・」
グーデリアンの動きに沿って、拘束された手足の鎖がピンと張る。
先ほどのアイスクリームの中には一種の薬が入っていた。市販薬の簡単なカクテルだが、習慣性はないが一時的に体が弛緩し、感覚が鋭敏になる。裏の世界ではよく使われる軽い薬だ。それまで悲鳴しかあげてこなかった喉が、敏感な部分に触れられるとひくりと動く。そこを奇妙な形の玩具で、グーデリアン自身で、様々な方法で開拓されていく。
しかしグーデリアンはそれでもハイネルを解放させてはくれず、体の芯が熱く重い感覚に支配されていた。
「やっぱり、トニオじゃなきゃイケないわけ?」
体をシーツに縫い付けたまま、耳元で囁かれ、ハイネルの体がびくりとすくんだ。
「トニオって誰だよ・・なぁ、教えてくれたら楽にしてやるよ?」
まだ後ろの感覚に慣れない体を容赦なく責め立てられる。
既に声も出せないハイネルがきつく目を閉じてかぶりを振ると、グーデリアンの動きが強くなった。
「あんたも強情だね。それとも、もっといいことされたい?」
胸板合わせに抱き合い、唇を噛みしめるハイネルの中に奥深く自身を埋め込んで突き上げると、白い喉が空気を求めるように上下する。首に手をかけて顔を寄せさせ、唇に舌を差し入れるとハイネルの舌がぎこちなく応えてくる。
「・・ふっ・・うぁ・・・」
内臓の奥を突き上げられる苦痛にたえきれず、唇の隙間から吐息が零れ落ちる。
きつく閉じた目尻から一滴の雫が流れたのを見て、グーデリアンの頭の中はさらに凍てついていった。
「そこまでナイショにしたい関係って、気になるよなぁ。」
「あ・・ぁ!」
自分の腰の上に抱き上げると、さらに結合が深くなる。既にハイネルは息をすることすらままならず、苦痛を与える相手の胸に体を預け、突き上げられは喘ぐばかりだ。その姿をアイスブルーの瞳が冷たく観察していた。
突如、寝室にけたたましい電子音が鳴り響いた。グーデリアンはハイネルを膝の上に抱かえたまま、長い腕でチェストに放り出していた携帯電話を取りあげた。
「なんだよ~、いいとこだってのに。」
いまだ体内を差し抜く凶器に圧迫されつつも、動きがなくなったことで少し楽になったハイネルは少し体の力を抜き、乱れる息を整えた。漏れる音から、相手はグーデリアンのエージェントかと思われた。
「えー、俺?今ハワイ。まだバカンス残ってんだけど。え・・まぁ、そうだけど。わかったよ。終わったら連絡する。」
不機嫌に電話を枕元に放り投げたグーデリアンは、体をつなげたまま無言でハイネルの腕の拘束を解き、体をベッドに押し倒した。
「自分でやってみな。」
しびれかけた手をつかみ、ハイネル自身の上へあてがう。まるで扱いを知らない子供のように長い指がぎこちなく己を慰めはじめるのにあわせ、グーデリアンは再び動き始めた。
「あ・・ぁっ・・」
ポイントを後から責められながらの行為に、今まで感じたことのない感覚がハイネルの背筋を駆けのぼった。
「っ、すっげぇ締まる・・そう、その感覚だ。」
「は・・ぁっ・・」
開放される寸前で腕をつかまれ、再び後ろだけの感覚に戻される。しかし一度覚えた体は収まらず、登り詰めたハイネルの中で何かが弾けた。
「いや・・っ!」
頭が真っ白になり、ひくりと体が痙攣する。グーデリアンが動きを止めてやると、潤んだ緑の目が呆然と天井を見上げていた。
「やっと覚えた。」
グーデリアンはにんまりと笑い、今度は自分を開放するために再び動き始めた。
「もうちょっと楽しんでいたいんだけどな、そろそろ休暇はおしまいなんだ。」
節くれだった指が、汗で湿った茶色い髪を撫で上げる。
あれから体位を変え、グーデリアンは数度己の精を放った。一度感覚を覚えたハイネルの体は持ち主の意図に反して敏感に反応し、グーデリアンを喜ばせた。
「ま、どうせ来季も一緒のツアーなんだから、いくらでも時間はあるよな。今度はどうして欲しいか、考えといてよ。」
乱れたベッドに横たわるハイネルには既に、グーデリアンがサインした書類を受け取る力すら残ってはいなかった。
「よう。本当に、髭とか生えないのな、お前。」
頬に指を這わせる感触でハイネルは浅い眠りから揺り戻された。
「社長令息ってのも大変だよな。いつも小奇麗なフリしてさ。誰に見せるつもりなんだか。」
思春期に入っての早々の永久脱毛によって、髪と眉と睫以外の毛はきれいに処理されている磁器のような肌を節くれだった太い指が降りてくる。ヨーロッパでは珍しいことではないが、普段触られることのない部分を撫で回す感触に思わず肌が粟立つ。
「んー、ここはいつもどおりだな。俺じゃ感じないわけ?」
からかう口調で顔を覗き込むグーデリアンからハイネルは視線を逸らした。まだ体の奥がじんじんと痛む。昨夜も明け方までいいように扱われ、やっと開放されたばかりだというのにもう次が始まるのだろうかと肩を強張らせたハイネルから、グーデリアンは意外にもさらりと身を離した。
「ま、それはまた後で聞くからいいや。飯来てるから食おう。俺、腹減った。」
起き上がったグーデリアンはさっさとドアを開けて出ていく。ハイネルは重い体を起こすと、打ち捨ててあったガウンを体にまとわせて後を追った。
-二年目。移籍の条件は端的だった。
「金額はどうでもいいよ。俺、お前が抱きたいんだいよね。セフレってやつ?」
それに対してハイネルがなぜ、とかどうして、と問いかけることはなかった。脊髄反射のみで生きているこの男には無駄だとハイネルは直感的に感じたからだ。
やりたいことをやる。抱いてみたいから抱く。それだけだろう。
自分の身一つでなんとかなるものならば安いものだと、ハイネルは指定されたハワイのホテルに契約書を持って訪れた。
「お前、なんか胃に入れないとそろそろやばいぜ。」
一人がけのラタンチェアに沈みこみ、冷たい水だけをやっと口に運んでいるハイネルの前で、シャワーから出てきたグーデリアンはバスローブ姿のままエビを次々と口に放り込んでいた。律儀に3度3度届く色とりどりで贅を凝らした南国風のルームサービスは、一人分はほとんど手つかずで返されていた。
「これ、うまいよ。」
グーデリアンは極彩色のジェリーを選び、ハイネルの口元に運んだ。が、青ざめた口元は固く結ばれたままだった。
大きなガラス張りのテラスから続くプールには、切り取られた空が浮かんでいた。ハイネルはちらりとデスクに放り出されたままの契約書に目をやった。ハイネルが到着した際、グーデリアンはプールから上がるなり契約書をデスクの上に広げておくよう指差し、スーツ姿のままのハイネルに口での奉仕をさせた。その時のままだ。
「まぁ、腹減ったら適当につまんどけよ。俺、今日は出かけるけどお前どうする?」
「・・・休ませて、もらいたい。」
「そ、じゃサブのほうの寝室は入らないように言っとく。」
フルーツのたくさんのったパンケーキを大口に押し込むと、グーデリアンはクローゼットに向かって歩き去った。それを見届けるとハイネルはシャワールームへとふらつく足を運んだ。
どこからともなく甘ったるい果物の香りが混じるねっとりとした空気の中を、グーデリアンは何をするともなく雑多なダウンタウンを歩いていた。
ラフな服装と伸びかけた不精髭にサングラス、身にまとう不機嫌な空気のせいで彼が有名なレーサーだと気づくものは誰もいないのがいっそ気楽だった。
-発端は、何気ない寝言だった。
一年目の夏頃。いつもの大喧嘩の後、ハイネルがテスト中に軽い熱中症を起こして倒れたと聞き、グーデリアンは医務室へと駆けつけた。幸いにも症状は軽く、点滴を打ちながら涼しい場所で安静にすれば問題ないという話だったが、なんとなくの罪悪感からか、グーデリアンはハイネルが目を覚ますまで付き添いを申し出たのだった。
「ん・・」
一時間ほどして意識が覚醒してきたのか、ハイネルの体がうっすらと身じろぎをした。
「お、大丈夫か?」
「・・ト・・ニオ。駄目だ・・行かないで・・」
覗き込んで声をかけたグーデリアンの耳に、聞いたことのない名前が飛び込んできた。ラボの関係者ではない名前。そして、その呼び方は今までになく甘く切ない響きを含んでいた。
「ハイネル・・どうした?」
あわててハイネルの腕をつかみ、揺さ振る。ハイネルの表情が苦しげにゆがんだ。
「・・トニオ?」
涙でけぶる眼を薄く開け、かすれた声で囁いたハイネルが見せた表情はグーデリアンを震撼させた。しかしその表情は相手がグーデリアンであるとわかると途端にこわばり、きょろきょろとあたりを見回した。
「私は・・・あぁ、倒れたのか。すまない。」
額の髪をかきあげ、上体を起こすハイネルはいつも通りの表情に戻っていた。
「・・お前、うわ言でトニオって呼んでたぜ。誰?」
グーデリアンの問いかけに、ナースコールを探していたハイネルの手が一瞬止まったが、すぐにいつものそっけない口調で返された。
「昔の友達だ。看護婦を呼ぶからお前は帰ってくれ。」
「ふぅん・・」
グーデリアンはなぜか、それ以上聞き出すことはできなかった。
それから数ヶ月。そんな事件は波乱に満ちた一年目のせいでほぼ忘れ去っていたのに、ハイネルの下宿に度々訪れるようになってから、なぜかあの名前と表情が気になって仕方ない。
自分が無理を言えばハイネルは反射的に反発するが、結局は諦めたような表情を浮かべて渋々受け入れる。一度などは事故のフラッシュバックに耐え切れず、ハイネルのその身を抱きしめて眠ったことすらあったが、それでもハイネルは受け入れた。
-まさか、こういうのに慣れているんじゃ・・
半同居生活の中でも性的な香りはまったく感じさせないが、そう考えると距離のとり方などに疑問を感じる部分も多い気がする。
グーデリアンの中で湧き出した小さな暗雲は、空を覆う真っ黒な嵐へと姿を変えていった。
サブベッドルームの閉めたカーテンの隙間から、明るい光がもれている。ハイネルはぼんやりと動かない頭と体とをベッドに横たえていた。かすかに音がするのは食事の片付けとメインベッドルームのクリーニング作業だろうか。水が飲みたいが、チェストへ手を伸ばすことすら辛い。
また夜が来れば手荒く扱われるのだからせめて体を休めておきたいと思うのだが、痛む体と極度の倦怠感がそれさえ許してくれない。
口での奉仕から始まり、連夜の蹂躙。時々連れ込まれるバスルームでは、体の中まで洗われて。
次第に人間としての尊厳を削ぎとられそうになる気がして、ハイネルは自分の手の甲を歯型がつくまで噛み締めた。
「・・う?」
やっとうとうととしかけた頃、瞼の裏が急に明るくなった。ハイネルがうっすらと目を開けると、体を閉じられないように自分の手足が拘束されていることに気がついた。
「ただいまぁ。」
横から聞こえてきた能天気な声の主はベッドのふちに腰かけ、大きなアイスクリームのカップを抱きかかえていた。
「食えよ。」
目の前に差し出されたスプーンを、恐ろしく喉が渇いていたハイネルは思わず口を開け、受け入れた。喉の奥に冷たい刺激が通り抜け、糖分が弱った体にじわりと染み渡る。それが数度繰り返された。
「よくできました。」
グーデリアンは満足げに笑いながらハイネルの唇にこぼれたクリームをなめとる。真意がわからず戸惑うハイネルの体の間に、グーデリアンは自分の大きな体を押し込んだ。
「じゃ、本番いこうか。」
笑顔の中で蒼い眼が冷たい光を放っていた。
「ぁ・・あ・・」
グーデリアンの動きに沿って、拘束された手足の鎖がピンと張る。
先ほどのアイスクリームの中には一種の薬が入っていた。市販薬の簡単なカクテルだが、習慣性はないが一時的に体が弛緩し、感覚が鋭敏になる。裏の世界ではよく使われる軽い薬だ。それまで悲鳴しかあげてこなかった喉が、敏感な部分に触れられるとひくりと動く。そこを奇妙な形の玩具で、グーデリアン自身で、様々な方法で開拓されていく。
しかしグーデリアンはそれでもハイネルを解放させてはくれず、体の芯が熱く重い感覚に支配されていた。
「やっぱり、トニオじゃなきゃイケないわけ?」
体をシーツに縫い付けたまま、耳元で囁かれ、ハイネルの体がびくりとすくんだ。
「トニオって誰だよ・・なぁ、教えてくれたら楽にしてやるよ?」
まだ後ろの感覚に慣れない体を容赦なく責め立てられる。
既に声も出せないハイネルがきつく目を閉じてかぶりを振ると、グーデリアンの動きが強くなった。
「あんたも強情だね。それとも、もっといいことされたい?」
胸板合わせに抱き合い、唇を噛みしめるハイネルの中に奥深く自身を埋め込んで突き上げると、白い喉が空気を求めるように上下する。首に手をかけて顔を寄せさせ、唇に舌を差し入れるとハイネルの舌がぎこちなく応えてくる。
「・・ふっ・・うぁ・・・」
内臓の奥を突き上げられる苦痛にたえきれず、唇の隙間から吐息が零れ落ちる。
きつく閉じた目尻から一滴の雫が流れたのを見て、グーデリアンの頭の中はさらに凍てついていった。
「そこまでナイショにしたい関係って、気になるよなぁ。」
「あ・・ぁ!」
自分の腰の上に抱き上げると、さらに結合が深くなる。既にハイネルは息をすることすらままならず、苦痛を与える相手の胸に体を預け、突き上げられは喘ぐばかりだ。その姿をアイスブルーの瞳が冷たく観察していた。
突如、寝室にけたたましい電子音が鳴り響いた。グーデリアンはハイネルを膝の上に抱かえたまま、長い腕でチェストに放り出していた携帯電話を取りあげた。
「なんだよ~、いいとこだってのに。」
いまだ体内を差し抜く凶器に圧迫されつつも、動きがなくなったことで少し楽になったハイネルは少し体の力を抜き、乱れる息を整えた。漏れる音から、相手はグーデリアンのエージェントかと思われた。
「えー、俺?今ハワイ。まだバカンス残ってんだけど。え・・まぁ、そうだけど。わかったよ。終わったら連絡する。」
不機嫌に電話を枕元に放り投げたグーデリアンは、体をつなげたまま無言でハイネルの腕の拘束を解き、体をベッドに押し倒した。
「自分でやってみな。」
しびれかけた手をつかみ、ハイネル自身の上へあてがう。まるで扱いを知らない子供のように長い指がぎこちなく己を慰めはじめるのにあわせ、グーデリアンは再び動き始めた。
「あ・・ぁっ・・」
ポイントを後から責められながらの行為に、今まで感じたことのない感覚がハイネルの背筋を駆けのぼった。
「っ、すっげぇ締まる・・そう、その感覚だ。」
「は・・ぁっ・・」
開放される寸前で腕をつかまれ、再び後ろだけの感覚に戻される。しかし一度覚えた体は収まらず、登り詰めたハイネルの中で何かが弾けた。
「いや・・っ!」
頭が真っ白になり、ひくりと体が痙攣する。グーデリアンが動きを止めてやると、潤んだ緑の目が呆然と天井を見上げていた。
「やっと覚えた。」
グーデリアンはにんまりと笑い、今度は自分を開放するために再び動き始めた。
「もうちょっと楽しんでいたいんだけどな、そろそろ休暇はおしまいなんだ。」
節くれだった指が、汗で湿った茶色い髪を撫で上げる。
あれから体位を変え、グーデリアンは数度己の精を放った。一度感覚を覚えたハイネルの体は持ち主の意図に反して敏感に反応し、グーデリアンを喜ばせた。
「ま、どうせ来季も一緒のツアーなんだから、いくらでも時間はあるよな。今度はどうして欲しいか、考えといてよ。」
乱れたベッドに横たわるハイネルには既に、グーデリアンがサインした書類を受け取る力すら残ってはいなかった。
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『・・ここはどこだ。俺はどうした?』
-ここは深い海の底か、それとも棺桶の中なのか。
暗闇の中に横たわるグーデリアンは呻き声を上げようとしたが、喉はからからに枯れていて、口から出たものは虚しく吹き荒ぶ風のようで。
腕を動かそうとしたが、体全体にのしかかっているじっとりと冷たい何かが重すぎて指先一本すら動かない。
『誰か・・助けてくれ!』
完全な無音と闇の中で、グーデリアンは声にならない叫びを上げ続けた。
「・グ・・・デリアン・・・・・グーデリアン?」
「う・・・・・・・・・?」
「・・うなされていたぞ。」
乱暴に揺り動かされて、グーデリアンは薄く目を開けた。
ぼんやりする視界に入ってきたものは、薄暗がりの中で自分を覗きこむ緑色の眼だった。
「あー・・・夢、か。」
震える指を動かし、腕を動かして感触を確かめる。いつも通りの動きに、グーデリアンは大きく息を吐いた。
「・・フラッシュバックか?」
「・・そんなとこ?」
細い指が絡みつく金髪をかきわけ、グーデリアンの首筋に触れる。脈や熱を計っているのだろうか。体温がじわりと凍りついた体に染みてくる。
「汗をかいているな。シャツは代えたほうがいい。あと、医師から安定剤を預かっている。飲むか?」
「・・欲しい。」
「少し待っていろ。」
ほぼ無意識にグーデリアンの頭を軽く叩き、ハイネルはドアを開けて出ていった。
程なくして、ハイネルが水と錠剤を持って戻ってきた。ルームライトが白い肌を浮き上がらせる。
「ありがと。起こしちまったよな・・悪い。」
「いや、今から寝るところだったんだ。バスを使って出てきたら声が聞こえた。」
「・・・そっか。」
なんとか体を起こし、着替えを済ませたグーデリアンは錠剤をのみ込んだ。
-魔のクラッシュから1カ月ほど。
驚異的な回復力によって体は日常生活には支障のない程度には戻っていた。
しかし、心に深く残る傷は前触れもなく時折水面に顔を出し、グーデリアンの精神に爪を立てていた。
「じゃあ、明日朝にカウンセリングを手配しておく。」
「・・へい。」
水のグラスを受け取って、ハイネルはグーデリアンの上掛けを直してやった。几帳面に動く手がグーデリアンの頬に当たる。その温もりがとても気持ちよくて。
「じゃ、おやすみ。」
立ち上がろうとしたハイネルの腕を、グーデリアンは思わず掴んでいた。
「・・っ、あ。」
「・・どうした?」
振り返った緑色の瞳と同様に、グーデリアン自身も混乱していたのかもしれない。
「・・一人に、なりたくない。」
口から出た言葉は、意外なほど弱くて。
一番弱みを見せたくない相手のはずなのに、どうしてこういう時に限って一緒にいたいと思うのだろう。
さすがに気持ち悪がられるか嘲笑われるだろうと、あわててグーデリアンは掴んでいた腕を離した。
しかし、一度ゆっくり大きく瞬いたハイネルの緑色の瞳には意外にも、優しい色が含まれていた。
「・・まったく。」
グーデリアンがもちこんだ業者泣かせの馬鹿デカいベッドをため息交じりに眺めると、ハイネルは反対側からさっさと上掛けの中にもぐりこんだ。
「・・・・いいの?」
「・・仕事もひと段落したしな。隣の部屋から呼ばれるよりは効率がよい。」
メガネをチェストに置きながら、枕の具合を直す。横向きに寝転んでグーデリアンはその様子をじっと見ていた。
「なぁ、ハイネルは派手にクラッシュした時とか、眠れなくなったりしねぇの?」
「冷静に分析し、次に起こさなければいいだけの話だ。第一、私はお前と違ってクラッシュそのものが少ないからな。」
「・・オリコーさんだこと。」
「レーサーなら当然だろう。大体、お前はクラッシュするたびに誰かに慰めてもらっているのか?なんなら特例としてコールガールを手配してやろうか。」
呆れた顔がグーデリアンのほうを向く。
「・・勘弁してよ・・今そんな元気ねぇから。」
「重症だな。」
「いや、やっぱオンナノコ相手だと少々は期待に添わなきゃって結構変な気、使うわけよ。実家だったらさ、馬とか牛とかいるじゃん。特に子供産んだばっかのジャージー。あの腹、暖かくてミルクのにおいして、最強。」
「・・だから、シーズンも終わったんだから、さっさとアメリカに帰ってしまえと言っているのに。」
激務続きのハイネルにも、横になったことで徐々に睡魔の手が伸びる。しかしグーデリアンが寝付くまではと、他愛のない話を続ける。
「はーい、って帰ったら、ちょっとは困るくせに・・」
薬が効いてきたのか、グーデリアンの語尾が怪しくなり始める。
「お前なんぞ、いてもいなくても変わらん。」
「・・んー・・ひでぇ・・」
本格的に瞼が下り始めたグーデリアンの、両腕がハイネルのほうに向かってのっそりと差しのべられた。
「え・・!?」
思わず後ずさりしかけたハイネルの腰にグーデリアンの腕が回り、がっちり抱きしめられる。
「グ・・グー・・デリアン?」
「・・・・・いい匂・・・・・・・・・・・」
柔らかいガーゼのパジャマ越しに熱い息を感じて、くすぐったさにハイネルがあわてて逃げようとすると、さらに体が弓なりになるまで腕ごとしっかり抱きしめられ、肩口にますます深く顔をうずめるグーデリアンの寝息が深くなる。
「・・人を、乳牛扱いしおって・・」
起きたら怒ってやろうと固く決意しながらも、やや自由の利く肘を曲げて肩口の金髪頭に手をやる。PC操作で疲れきった目を閉じると、グーデリアンの鼓動が柔らかく伝わってきた。
「・・お休み。グーデリアン。」
明日になればまたお互い、過酷な戦いの日々が待っているのだろう。
しかし、しんとした暗闇は、今は傷ついた心と体を暖かく柔らかく包んでいた。
-ここは深い海の底か、それとも棺桶の中なのか。
暗闇の中に横たわるグーデリアンは呻き声を上げようとしたが、喉はからからに枯れていて、口から出たものは虚しく吹き荒ぶ風のようで。
腕を動かそうとしたが、体全体にのしかかっているじっとりと冷たい何かが重すぎて指先一本すら動かない。
『誰か・・助けてくれ!』
完全な無音と闇の中で、グーデリアンは声にならない叫びを上げ続けた。
「・グ・・・デリアン・・・・・グーデリアン?」
「う・・・・・・・・・?」
「・・うなされていたぞ。」
乱暴に揺り動かされて、グーデリアンは薄く目を開けた。
ぼんやりする視界に入ってきたものは、薄暗がりの中で自分を覗きこむ緑色の眼だった。
「あー・・・夢、か。」
震える指を動かし、腕を動かして感触を確かめる。いつも通りの動きに、グーデリアンは大きく息を吐いた。
「・・フラッシュバックか?」
「・・そんなとこ?」
細い指が絡みつく金髪をかきわけ、グーデリアンの首筋に触れる。脈や熱を計っているのだろうか。体温がじわりと凍りついた体に染みてくる。
「汗をかいているな。シャツは代えたほうがいい。あと、医師から安定剤を預かっている。飲むか?」
「・・欲しい。」
「少し待っていろ。」
ほぼ無意識にグーデリアンの頭を軽く叩き、ハイネルはドアを開けて出ていった。
程なくして、ハイネルが水と錠剤を持って戻ってきた。ルームライトが白い肌を浮き上がらせる。
「ありがと。起こしちまったよな・・悪い。」
「いや、今から寝るところだったんだ。バスを使って出てきたら声が聞こえた。」
「・・・そっか。」
なんとか体を起こし、着替えを済ませたグーデリアンは錠剤をのみ込んだ。
-魔のクラッシュから1カ月ほど。
驚異的な回復力によって体は日常生活には支障のない程度には戻っていた。
しかし、心に深く残る傷は前触れもなく時折水面に顔を出し、グーデリアンの精神に爪を立てていた。
「じゃあ、明日朝にカウンセリングを手配しておく。」
「・・へい。」
水のグラスを受け取って、ハイネルはグーデリアンの上掛けを直してやった。几帳面に動く手がグーデリアンの頬に当たる。その温もりがとても気持ちよくて。
「じゃ、おやすみ。」
立ち上がろうとしたハイネルの腕を、グーデリアンは思わず掴んでいた。
「・・っ、あ。」
「・・どうした?」
振り返った緑色の瞳と同様に、グーデリアン自身も混乱していたのかもしれない。
「・・一人に、なりたくない。」
口から出た言葉は、意外なほど弱くて。
一番弱みを見せたくない相手のはずなのに、どうしてこういう時に限って一緒にいたいと思うのだろう。
さすがに気持ち悪がられるか嘲笑われるだろうと、あわててグーデリアンは掴んでいた腕を離した。
しかし、一度ゆっくり大きく瞬いたハイネルの緑色の瞳には意外にも、優しい色が含まれていた。
「・・まったく。」
グーデリアンがもちこんだ業者泣かせの馬鹿デカいベッドをため息交じりに眺めると、ハイネルは反対側からさっさと上掛けの中にもぐりこんだ。
「・・・・いいの?」
「・・仕事もひと段落したしな。隣の部屋から呼ばれるよりは効率がよい。」
メガネをチェストに置きながら、枕の具合を直す。横向きに寝転んでグーデリアンはその様子をじっと見ていた。
「なぁ、ハイネルは派手にクラッシュした時とか、眠れなくなったりしねぇの?」
「冷静に分析し、次に起こさなければいいだけの話だ。第一、私はお前と違ってクラッシュそのものが少ないからな。」
「・・オリコーさんだこと。」
「レーサーなら当然だろう。大体、お前はクラッシュするたびに誰かに慰めてもらっているのか?なんなら特例としてコールガールを手配してやろうか。」
呆れた顔がグーデリアンのほうを向く。
「・・勘弁してよ・・今そんな元気ねぇから。」
「重症だな。」
「いや、やっぱオンナノコ相手だと少々は期待に添わなきゃって結構変な気、使うわけよ。実家だったらさ、馬とか牛とかいるじゃん。特に子供産んだばっかのジャージー。あの腹、暖かくてミルクのにおいして、最強。」
「・・だから、シーズンも終わったんだから、さっさとアメリカに帰ってしまえと言っているのに。」
激務続きのハイネルにも、横になったことで徐々に睡魔の手が伸びる。しかしグーデリアンが寝付くまではと、他愛のない話を続ける。
「はーい、って帰ったら、ちょっとは困るくせに・・」
薬が効いてきたのか、グーデリアンの語尾が怪しくなり始める。
「お前なんぞ、いてもいなくても変わらん。」
「・・んー・・ひでぇ・・」
本格的に瞼が下り始めたグーデリアンの、両腕がハイネルのほうに向かってのっそりと差しのべられた。
「え・・!?」
思わず後ずさりしかけたハイネルの腰にグーデリアンの腕が回り、がっちり抱きしめられる。
「グ・・グー・・デリアン?」
「・・・・・いい匂・・・・・・・・・・・」
柔らかいガーゼのパジャマ越しに熱い息を感じて、くすぐったさにハイネルがあわてて逃げようとすると、さらに体が弓なりになるまで腕ごとしっかり抱きしめられ、肩口にますます深く顔をうずめるグーデリアンの寝息が深くなる。
「・・人を、乳牛扱いしおって・・」
起きたら怒ってやろうと固く決意しながらも、やや自由の利く肘を曲げて肩口の金髪頭に手をやる。PC操作で疲れきった目を閉じると、グーデリアンの鼓動が柔らかく伝わってきた。
「・・お休み。グーデリアン。」
明日になればまたお互い、過酷な戦いの日々が待っているのだろう。
しかし、しんとした暗闇は、今は傷ついた心と体を暖かく柔らかく包んでいた。
「気分はどうだ?」
明るいリビングに、大きな紙袋を携えたハイネルが入ってきた。ソファに寝転んでいたグーデリアンは気だるげに手だけをあげて合図をした。
「死にそう・・・ずーっと飯の味はしないし、車酔いしてる感じ・・・」
「免疫抑制剤を打っているようなものか?」
ハイネルがレモネードの瓶とベリーのジェラードを袋から出すと、グーデリアンはのそのそと起き上がり一口含んだ。
「わかんねぇけど・・車酔いと胃痛と二日酔いと全部・・?。あー、このレモネードうまい・・。」
「私が移植で入院中、ヨハンがよく差し入れてくれたんだ。私には甘すぎたが、彼はこのメーカーが一番口にしやすかったとか言っていたな。」
「いい子だよなぁ、ほんと。誰かに似てなくて。」
「一言多い。」
「うわわ、勘弁。」
ジェラードを口に運ぼうとしていたスプーンにハイネルが手を伸ばすと、さっきまでの病人っぷりはどこへやら、グーデリアンはひらりと身をかわした。
「それで、順調なのか?」
「あー、順調順調。リサちゃんにこんな順調すぎるデータじゃ面白くないじゃないって怒られるくらいだぜ。」
「しかし、まさか、本当に子供を作るとは・・」
グーデリアンの隣に腰を下ろし、足を組んだハイネルがこめかみに指を当てる。
「いやなぁ、リサちゃん医学方面強いだろ?。相談したら『遅っそい!』って。ランドルからは『何年かかって技術開発してやったと思っている、無駄になるかと思ったじゃないか。』だってよ。」
「・・まったく、寄ってたかって人の遺伝子をなんだと思っているんだ・・。」
ソファにもたれたハイネルが苦悶の表情を浮かべるのを、グーデリアンは面白そうに眺めた。
ホームシアターの一件からから数ヶ月、ハイネルの神経移植の手術は無事終了し、体力が回復したヨハンもチームへ戻っていた。グーデリアンの映画もそこそこに評判がよく、しばらく平和が続くかと思われたある日。出張でしばらく自宅を留守にしていたハイネルを満面の笑みで迎えたグーデリアンから出た言葉は衝撃的すぎるものだった。
「俺、子供できたから。お前の。」
「は?」
下腹部をさすりながら恥らってみるグーデリアンに、ハイネルは思わず重いアタッシュケースを取り落とし、ずれてもいない眼鏡を指で押し上げた。
ランドル家が極秘で開発していた技術。それは人工子宮だった。
体内に埋め込むことで母体との互換性を持たせ、自然に近い育成が可能となるそれは、本来は病気や諸事情により機能がうまく働かない女性のために開発を開始したものではあったが、ランドルの「男にも対応できるようにならないのか?」の一言により、一部のホルモン剤を補助使用すれば実用できるではという段階まで来ていた。
一方、精子から遺伝情報を抽出し、受精卵様のものを作る技術自体はさほど難しいものではない。しかしこの分野については未知の領域であり、人体へ応用できるかどうかはまだ非常に不安定であるし、何より倫理的な問題から一般に公開できる技術でないことから実用化は困難と考えられていた。
事情を聞き、一瞬にして冷静になったハイネルは鬼の形相でまくし立てた。
子供の立場はどうなるのか。教育は?環境は?戸籍は?
出自についていったいどういう説明をするつもりなのか。
そして何より、グーデリアン自身の体にどんな負担がかかるのかわからないのに、なぜ軽率な行動をとるのか。
泡をふく勢いで詰め寄るハイネルの額にグーデリアンは人差し指を当て、けろりと一言言い放った。
「お前も他所で子供作ってたんだから、おアイコ。」
「う・・」
大変優秀な頭脳を持ちながら、対人駆け引きにおいてはグーデリアンには到底かなわないハイネルは、渋々と出産までグーデリアンの身を自分の監視下に置くこと、最低限の親族以外には決して口外しないことを条件に事実を受け入れたのだった。
「しっかし、順調すぎて立派にツワリまでくるとは思わなかったぜ。アニーがよく気持ち悪いってぼやいてたけど、こんなんだとは思わなかった・・腹がでかくなったらさらにしんどいわよーだってよ。アニー、子育てや仕事しながら3人も産んでんだぜ。マジ尊敬するよ偉大なお姉さま・・。」
ジェラードを食べきったグーデリアンは再びハイネルの膝を枕に横になった。満足な食事がとれないせいでやや細くなった頬を、ハイネルの白い指が撫でる。
「・・勝手に人の精子を使うからだ。本来ならば訴訟か犯罪ものだぞ。」
「ま、手軽に手に入るし?」
すかさず額に拳骨が飛んでくる。
「イッテェ。裁判にしたら、法廷でどんだけお前が好きか延々語ってやるからな。覚えとけ。」
「そんなことをしたら強姦されたと騒いで、一生出てこられないほどの余罪をつけてやるから覚悟しろ。」
言葉と裏腹に、額に置かれたままの拳骨がそっと開いてグーデリアンの視界を半分ほど遮る。
「・・あまり無茶をするな。」
「・・ダイジョーブ。」
グーデリアンは目を閉じてハイネルの手の上に自分の手を重ねる。出会った頃よりも幾分骨ばったこの手が今は何よりも愛おしい。しばらくその感触を確かめてから、グーデリアンはぱちりと目を開けた。
「あっ、そうだ、ハイネル、帰りにラボ寄ったか?」
「いいや。」
「マリーから面白い動画届いてたんだよ。」
勢いをつけて飛び上がり、グーデリアンはテーブルの上のタブレットを取り上げると動画を再生し始めた。
-はぁい、今月のチームニュースの時間でーす
おどけた様子で画面に手を振るルイザ。後ろはテストコースが映し出されているが、そこに止まっているのはレースカーではなく、見慣れたリサの「ちびっこ暴走族」だった。
「・・なぜこれが?」
首をかしげたハイネルに、画面の中のルイザがリポーターよろしく説明を続ける。
-さぁて。わがチームは今月から新しいドライバーを取得しました、その名もーーー
-ちょっと、ルイザさん!なんで俺が教官役なんだよ!こいつの運転むちゃくちゃーー
-あーっ、いいとこなんだからもう少し黙ってな!
「ちびっこ暴走族」の窓が開き、助手席顔を出したのはハイネルが前期にエアレースから引き抜いたスペイン系メキシコ人ドライバー。大きな身振り手振りで窮状を訴える浅黒い肌の少年を、ルイザが一喝する。
-空を飛ぶより楽だって大口叩いていたのはどこの誰だい?。リミッター付けたからまず死ぬことはないから安心しなよ。
-いやいやいや、神経もたないって・・・うわわわわわ、いきなり踏むなヨハン!!
悲鳴とともに急発進した黄緑色の車体はコーナーの胸倉深くを抉り、コース内ぎりぎりを急発進・急制動で走り抜ける。急激な車体制御でロールしかける度に、クルーの笑い声が混じる。
それでもなんとか周回をし、よろよろと戻ってきたちびっこ暴走族の助手席でぐったりした少年が駐車スペースに後ろ向き駐車を指示すると、今度は運転席から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
-ハンドル・・どっちに切るんだっけ?
-はぁっ?お前それでもデザイナー志望かよ!俺、お前に命預けてんだぜ?!
-それとこれとは別だろヘラルド!もういいよ!君には頼まない!えーと・・こっちに切るとシャフトは・・
-そっからかよ!
テンポのいい喧嘩にクルーの笑い声がどっと大きくなる。
-ということで、期待の新人ヨハン君がライセンスを取得するのはだいぶ先になりそうでーす。
ルイザの笑顔できれいにしめられた動画が終わると、ハイネルは呆然とグーデリアンを見た。
「・・・なんだこれは・・」
「だから、ラボ総出でヨハンの免許取得のお手伝い、と。」
「それにしても・・客観的に見てあまりにセンスがないというか・・特になんだあのカーブ前のブレーキ・・」
「お前、ヨハンに対して無条件にベタ甘かと思っていたけど、お前でもそういうこと言うのな。」
「怪我をしたらどうするんだ!ヘラルドにしても一体いくら積んで引き抜いたと思っている?!二人して病院送りなど洒落にならん!」
「でも俺、このタイミングでコーナリングするやつもう一人知ってるぜ?」
「誰だ?」
にやりと笑ったグーデリアンは、ハイネルの眉間に指を突きつけた。
「は?」
「お前、ずっと後駆ばっか乗ってるからな。どの車でもカーブぎりぎりまで抉る癖があるんだよ。」
「リサの車はオートマチックのFFだぞ?そんなもの、同じ運転できるわけが・・・・」
「今までほとんど自転車か公共交通機関なヨハンにそんなんわかるわけないだろ。んで、就職してからはお前の運転ばっかり同乗してたからおかしいとかなかったんだろなぁ。」
「・・なんということだ・・どう教えればいいのか私にもわからんぞこれは・・」
わなわなと震えながらタブレットを握り締めるハイネルの肩を、グーデリアンが笑いながら叩く。
「俺ら、才能以前によっぽど環境に恵まれてたってことだよなぁ。」
「何を気楽に・・・」
「もう、いっそカムアウトしてお前が教えたら?俺とハイネルとヨハンと子供と。家族みたいでいいじゃん。」
意外な申し出に、ハイネルはゆっくりとグーデリアンのほうを見ると、首を横に振った。
「私は・・こんな不自由な世界に彼を巻き込もうとは思わない。いつか言わなくてはと思っていたんだが、生まれてくる子供にも私は表立って関わるつもりはない。」
勉強に立ち居振る舞い、教養と、雁字搦めで当たり前の子供時代を振り返るようにハイネルが呟く。成人したところで要求の形が変わるだけで、ハイネル家の一員であれば、一生生き方に強い制約を課されていかなくてはならない。
この期に及んで、こんなに臆病な自分にグーデリアンはもう愛想を尽かすだろう。いっそ捨ててくれればいいのにと目を伏せながら、ハイネルは重い言葉を紡いだ。
「ま、無理じゃない?」
うつむくハイネルの顔を、にやりと笑いながらグーデリアンが覗き込んだ。
「ヨハンにカムアウトするしないは別にしても、あいつだってなんだかんだでこの業界に戻って来ちまったし。さらにこいつは俺らの子供なんだから、どうせほっといても絶対遺伝子レベルの車バカ決定。ばらさなくてもそのうち自分で気づくぜ。」
おどけた口調で言い、グーデリアンは目を見開くハイネルの左手の薬指をつかみ、キスをした。
「な。俺ら、離れてもくっつくんだからしょうがないんだよ。・・だからさ、お前もそろそろ覚悟を決めろよ。」
ハイネルの顔に泣き笑いのような表情が浮かんだ。
「まったく・・お前はいつも私を駄目にする。」
厳重に纏ってきたはずのプライドや世間体をすべて剥がされ、生身のフランツ・ハイネルをさらけ出される。
「素直に、の間違いだろ?俺はお前が欲しいっていえば太陽を西から昇らせてやるよ。」
グーデリアンがおどけたままハイネルの腰に手を回し、体を引き寄せると、ハイネルのほうから唇を重ねてきた。長かった年月を埋めるかのように腕が絡む。
「・・私の要求は激しいぞ。」
「知ってるよ、何年一緒にいたと思ってんだ。」
-物語は今やっと、始まったばかりだ。
----------------------------------------------完
すみません帳尻あわせまくりで。
そして表サイトのほうの子供ネタにつながると。
精神的に満足ならそれで・・というパターンが多い気がするのですが、ハーさんそれじゃ納得しないんじゃない?と常々思っていたので。だからといって、染み付いた雁字搦めの常識を振り切るパワーもなく。
グーさんとしては幸せなら結構そんな形とかどうでもいいんだけど、ハーさんが悩んでるのには気づいているので、どうしてやろうかなと。
二人そろえば無理も道理もねじ伏せてくれるでしょう。
明るいリビングに、大きな紙袋を携えたハイネルが入ってきた。ソファに寝転んでいたグーデリアンは気だるげに手だけをあげて合図をした。
「死にそう・・・ずーっと飯の味はしないし、車酔いしてる感じ・・・」
「免疫抑制剤を打っているようなものか?」
ハイネルがレモネードの瓶とベリーのジェラードを袋から出すと、グーデリアンはのそのそと起き上がり一口含んだ。
「わかんねぇけど・・車酔いと胃痛と二日酔いと全部・・?。あー、このレモネードうまい・・。」
「私が移植で入院中、ヨハンがよく差し入れてくれたんだ。私には甘すぎたが、彼はこのメーカーが一番口にしやすかったとか言っていたな。」
「いい子だよなぁ、ほんと。誰かに似てなくて。」
「一言多い。」
「うわわ、勘弁。」
ジェラードを口に運ぼうとしていたスプーンにハイネルが手を伸ばすと、さっきまでの病人っぷりはどこへやら、グーデリアンはひらりと身をかわした。
「それで、順調なのか?」
「あー、順調順調。リサちゃんにこんな順調すぎるデータじゃ面白くないじゃないって怒られるくらいだぜ。」
「しかし、まさか、本当に子供を作るとは・・」
グーデリアンの隣に腰を下ろし、足を組んだハイネルがこめかみに指を当てる。
「いやなぁ、リサちゃん医学方面強いだろ?。相談したら『遅っそい!』って。ランドルからは『何年かかって技術開発してやったと思っている、無駄になるかと思ったじゃないか。』だってよ。」
「・・まったく、寄ってたかって人の遺伝子をなんだと思っているんだ・・。」
ソファにもたれたハイネルが苦悶の表情を浮かべるのを、グーデリアンは面白そうに眺めた。
ホームシアターの一件からから数ヶ月、ハイネルの神経移植の手術は無事終了し、体力が回復したヨハンもチームへ戻っていた。グーデリアンの映画もそこそこに評判がよく、しばらく平和が続くかと思われたある日。出張でしばらく自宅を留守にしていたハイネルを満面の笑みで迎えたグーデリアンから出た言葉は衝撃的すぎるものだった。
「俺、子供できたから。お前の。」
「は?」
下腹部をさすりながら恥らってみるグーデリアンに、ハイネルは思わず重いアタッシュケースを取り落とし、ずれてもいない眼鏡を指で押し上げた。
ランドル家が極秘で開発していた技術。それは人工子宮だった。
体内に埋め込むことで母体との互換性を持たせ、自然に近い育成が可能となるそれは、本来は病気や諸事情により機能がうまく働かない女性のために開発を開始したものではあったが、ランドルの「男にも対応できるようにならないのか?」の一言により、一部のホルモン剤を補助使用すれば実用できるではという段階まで来ていた。
一方、精子から遺伝情報を抽出し、受精卵様のものを作る技術自体はさほど難しいものではない。しかしこの分野については未知の領域であり、人体へ応用できるかどうかはまだ非常に不安定であるし、何より倫理的な問題から一般に公開できる技術でないことから実用化は困難と考えられていた。
事情を聞き、一瞬にして冷静になったハイネルは鬼の形相でまくし立てた。
子供の立場はどうなるのか。教育は?環境は?戸籍は?
出自についていったいどういう説明をするつもりなのか。
そして何より、グーデリアン自身の体にどんな負担がかかるのかわからないのに、なぜ軽率な行動をとるのか。
泡をふく勢いで詰め寄るハイネルの額にグーデリアンは人差し指を当て、けろりと一言言い放った。
「お前も他所で子供作ってたんだから、おアイコ。」
「う・・」
大変優秀な頭脳を持ちながら、対人駆け引きにおいてはグーデリアンには到底かなわないハイネルは、渋々と出産までグーデリアンの身を自分の監視下に置くこと、最低限の親族以外には決して口外しないことを条件に事実を受け入れたのだった。
「しっかし、順調すぎて立派にツワリまでくるとは思わなかったぜ。アニーがよく気持ち悪いってぼやいてたけど、こんなんだとは思わなかった・・腹がでかくなったらさらにしんどいわよーだってよ。アニー、子育てや仕事しながら3人も産んでんだぜ。マジ尊敬するよ偉大なお姉さま・・。」
ジェラードを食べきったグーデリアンは再びハイネルの膝を枕に横になった。満足な食事がとれないせいでやや細くなった頬を、ハイネルの白い指が撫でる。
「・・勝手に人の精子を使うからだ。本来ならば訴訟か犯罪ものだぞ。」
「ま、手軽に手に入るし?」
すかさず額に拳骨が飛んでくる。
「イッテェ。裁判にしたら、法廷でどんだけお前が好きか延々語ってやるからな。覚えとけ。」
「そんなことをしたら強姦されたと騒いで、一生出てこられないほどの余罪をつけてやるから覚悟しろ。」
言葉と裏腹に、額に置かれたままの拳骨がそっと開いてグーデリアンの視界を半分ほど遮る。
「・・あまり無茶をするな。」
「・・ダイジョーブ。」
グーデリアンは目を閉じてハイネルの手の上に自分の手を重ねる。出会った頃よりも幾分骨ばったこの手が今は何よりも愛おしい。しばらくその感触を確かめてから、グーデリアンはぱちりと目を開けた。
「あっ、そうだ、ハイネル、帰りにラボ寄ったか?」
「いいや。」
「マリーから面白い動画届いてたんだよ。」
勢いをつけて飛び上がり、グーデリアンはテーブルの上のタブレットを取り上げると動画を再生し始めた。
-はぁい、今月のチームニュースの時間でーす
おどけた様子で画面に手を振るルイザ。後ろはテストコースが映し出されているが、そこに止まっているのはレースカーではなく、見慣れたリサの「ちびっこ暴走族」だった。
「・・なぜこれが?」
首をかしげたハイネルに、画面の中のルイザがリポーターよろしく説明を続ける。
-さぁて。わがチームは今月から新しいドライバーを取得しました、その名もーーー
-ちょっと、ルイザさん!なんで俺が教官役なんだよ!こいつの運転むちゃくちゃーー
-あーっ、いいとこなんだからもう少し黙ってな!
「ちびっこ暴走族」の窓が開き、助手席顔を出したのはハイネルが前期にエアレースから引き抜いたスペイン系メキシコ人ドライバー。大きな身振り手振りで窮状を訴える浅黒い肌の少年を、ルイザが一喝する。
-空を飛ぶより楽だって大口叩いていたのはどこの誰だい?。リミッター付けたからまず死ぬことはないから安心しなよ。
-いやいやいや、神経もたないって・・・うわわわわわ、いきなり踏むなヨハン!!
悲鳴とともに急発進した黄緑色の車体はコーナーの胸倉深くを抉り、コース内ぎりぎりを急発進・急制動で走り抜ける。急激な車体制御でロールしかける度に、クルーの笑い声が混じる。
それでもなんとか周回をし、よろよろと戻ってきたちびっこ暴走族の助手席でぐったりした少年が駐車スペースに後ろ向き駐車を指示すると、今度は運転席から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
-ハンドル・・どっちに切るんだっけ?
-はぁっ?お前それでもデザイナー志望かよ!俺、お前に命預けてんだぜ?!
-それとこれとは別だろヘラルド!もういいよ!君には頼まない!えーと・・こっちに切るとシャフトは・・
-そっからかよ!
テンポのいい喧嘩にクルーの笑い声がどっと大きくなる。
-ということで、期待の新人ヨハン君がライセンスを取得するのはだいぶ先になりそうでーす。
ルイザの笑顔できれいにしめられた動画が終わると、ハイネルは呆然とグーデリアンを見た。
「・・・なんだこれは・・」
「だから、ラボ総出でヨハンの免許取得のお手伝い、と。」
「それにしても・・客観的に見てあまりにセンスがないというか・・特になんだあのカーブ前のブレーキ・・」
「お前、ヨハンに対して無条件にベタ甘かと思っていたけど、お前でもそういうこと言うのな。」
「怪我をしたらどうするんだ!ヘラルドにしても一体いくら積んで引き抜いたと思っている?!二人して病院送りなど洒落にならん!」
「でも俺、このタイミングでコーナリングするやつもう一人知ってるぜ?」
「誰だ?」
にやりと笑ったグーデリアンは、ハイネルの眉間に指を突きつけた。
「は?」
「お前、ずっと後駆ばっか乗ってるからな。どの車でもカーブぎりぎりまで抉る癖があるんだよ。」
「リサの車はオートマチックのFFだぞ?そんなもの、同じ運転できるわけが・・・・」
「今までほとんど自転車か公共交通機関なヨハンにそんなんわかるわけないだろ。んで、就職してからはお前の運転ばっかり同乗してたからおかしいとかなかったんだろなぁ。」
「・・なんということだ・・どう教えればいいのか私にもわからんぞこれは・・」
わなわなと震えながらタブレットを握り締めるハイネルの肩を、グーデリアンが笑いながら叩く。
「俺ら、才能以前によっぽど環境に恵まれてたってことだよなぁ。」
「何を気楽に・・・」
「もう、いっそカムアウトしてお前が教えたら?俺とハイネルとヨハンと子供と。家族みたいでいいじゃん。」
意外な申し出に、ハイネルはゆっくりとグーデリアンのほうを見ると、首を横に振った。
「私は・・こんな不自由な世界に彼を巻き込もうとは思わない。いつか言わなくてはと思っていたんだが、生まれてくる子供にも私は表立って関わるつもりはない。」
勉強に立ち居振る舞い、教養と、雁字搦めで当たり前の子供時代を振り返るようにハイネルが呟く。成人したところで要求の形が変わるだけで、ハイネル家の一員であれば、一生生き方に強い制約を課されていかなくてはならない。
この期に及んで、こんなに臆病な自分にグーデリアンはもう愛想を尽かすだろう。いっそ捨ててくれればいいのにと目を伏せながら、ハイネルは重い言葉を紡いだ。
「ま、無理じゃない?」
うつむくハイネルの顔を、にやりと笑いながらグーデリアンが覗き込んだ。
「ヨハンにカムアウトするしないは別にしても、あいつだってなんだかんだでこの業界に戻って来ちまったし。さらにこいつは俺らの子供なんだから、どうせほっといても絶対遺伝子レベルの車バカ決定。ばらさなくてもそのうち自分で気づくぜ。」
おどけた口調で言い、グーデリアンは目を見開くハイネルの左手の薬指をつかみ、キスをした。
「な。俺ら、離れてもくっつくんだからしょうがないんだよ。・・だからさ、お前もそろそろ覚悟を決めろよ。」
ハイネルの顔に泣き笑いのような表情が浮かんだ。
「まったく・・お前はいつも私を駄目にする。」
厳重に纏ってきたはずのプライドや世間体をすべて剥がされ、生身のフランツ・ハイネルをさらけ出される。
「素直に、の間違いだろ?俺はお前が欲しいっていえば太陽を西から昇らせてやるよ。」
グーデリアンがおどけたままハイネルの腰に手を回し、体を引き寄せると、ハイネルのほうから唇を重ねてきた。長かった年月を埋めるかのように腕が絡む。
「・・私の要求は激しいぞ。」
「知ってるよ、何年一緒にいたと思ってんだ。」
-物語は今やっと、始まったばかりだ。
----------------------------------------------完
すみません帳尻あわせまくりで。
そして表サイトのほうの子供ネタにつながると。
精神的に満足ならそれで・・というパターンが多い気がするのですが、ハーさんそれじゃ納得しないんじゃない?と常々思っていたので。だからといって、染み付いた雁字搦めの常識を振り切るパワーもなく。
グーさんとしては幸せなら結構そんな形とかどうでもいいんだけど、ハーさんが悩んでるのには気づいているので、どうしてやろうかなと。
二人そろえば無理も道理もねじ伏せてくれるでしょう。
グーデリアンがヨハンを送って再び別宅へ戻ると、ハイネルはホームシアターに席を移し、グラス片手に映画を見ていた。ローテーブルにはナッツとドライフルーツ。
フロアクッションに寄りかかるハイネルの横に腰を下ろし、グーデリアンはハイネルのグラスを取りあげた。
「まだ飲んでんのか?・・ってブランデーかよ。さすがに昼間っから飲みすぎだぜ。」
「うるさい。返せ。」
すかさず長い腕が伸びてきてグーデリアンの手からグラスを奪い返す。軽く触れた腕から馴染んだ香りがまとわりついてきて、背骨の辺りになんともいえない感触が走る。
「ヨハンは無事に送ってきたんだろうな?」
「あぁ。ヨハンの下宿って、お前が住んでたとこだったんだな。花壇手入れしていた大家のマム、俺の顔見てびっくりしてたぜ。」
「あそこはラボから近いからな。人気なんだろう。」
「でもさ、野郎であのきれい好きでうるさいマムを口説くのは大変だぜ?さすがヨハンっつーか。めっちゃ素直でいい子だよなぁ。やっぱ遺伝子より育てられ方なんだよなあ。」
「・・ひどい言い草だな。」
「ほんと、女の子だったら絶対結婚申し込んでたね。」
「・・お前にひどい目にあわされるのは、可哀想なシュティール達だけで十分だ。」
ハイネルがドライフルーツを口に運ぶ。酒が入っているせいか、やや口調がやわらかい。
顔を寄せたグーデリアンが唇を重ねると、甘ったるい果物と、強い酒の香りが鼻腔を抜けていった。
「・・こら。昼間っから盛っているんじゃない。」
静止するでもなくやんわりと胸を押され、体が離される。暗がりの中でも口の端に笑みが浮かんでいるのが見て取れた。
「そんなこといって。毎晩、俺の映画見て枕濡らしてるんじゃねぇの?」
スクリーンの中では、グーデリアン扮する落ち目のフットボール選手が、有能な弁護士である妻から別れを告げられるシーンが映し出されていた。
-あなたは結局、自分だけが大事な人なのよ!
子供の誕生日すら忘れた夫の頬に、妻が遠慮のない平手打ちを食らわせる。きれいに切りそろえられた茶色い髪が揺れて乱れる。
「売り上げが悪いと、お前がまたチームに戻ってくるとかいいそうで恐ろしいからな。」
「最近じゃ、アメリカ帰っても『さっさとドイツ帰れ』っていわれるしなぁ。知ってる?、この女優サン。役作りに、俺とお前とのサーキット乱闘シーンを参考にしたんだってよ。」
「・・不本意だ。」
「ははは。」
「・・・・グーデリアン」
「ん?」
「・・・・・別れよう。」
「・・へ?」
まるで愛の言葉をささやく様につぶやかれた意外な台詞に、グーデリアンはハイネルの顔を覗き込んだ。何かの間違いではないのだろうかと。しかし、そこにあったのはいつもの試すような自身満々の笑みではなく、慈愛にも似た悲しげな表情だった。
「私達は、そろそろ別の道をいくべき時だと思うんだ。私にはヨハンがいる。だからお前は、もう・・。」
最後まで言わせずに、グーデリアンは再び唇をふさいだ。同時に腕をつかみ上げ、クッションにハイネルの体を押し付けるようにして固定してしまう。衣類の隙間から差し入れられた手が何を求めているのかは明白だった。
「・・・・やめないか。まじめな話をしているんだ。」
長い口づけから開放され、やや息切れしたハイネルが身じろぐが、鉄のような腕と体の動きをしっかり抑制するクッションとの狭間に埋め込まれるだけだった。
「なぁに?若い愛人ができたから俺なんかもう用済みってわけ?」
満面の笑顔に、アイスブルーの目が不釣合いに冷たく煌く。からかう軽い口調とは裏腹に、さらに体重がかけられる。
一見冷たく見えるハイネルが、実はかなりの世間知らずのお人好しなのは既にチーム内でも知れ渡っている。今回の件も、周囲にはただ窮状に追い込まれた若いメカニックを見捨てて置けなかっただけと思われている程度だ。
そんなことはグーデリアン自身、わかりきってはいるのだが。
「まぁ、人間関係全般が淡白なお前が、いくらかわいくても男相手にガツガツいく姿ってのは、想像できないけどなぁ。でも、麻酔と相性悪いお前が後遺症覚悟でドナーになってやるって入れ込み具合だから仕方ないかぁ。」
「ん・・くぅっ・・」
のんびりした口調とは裏腹に、弱いポイントを的確になで上げられて思わず声が上がる。
「へぇ、芯から嫌いになった相手でも反応するんだ?」
「・・この、卑怯者。」
耳元でグーデリアンがささやくのに目元を赤く染めて抗議するが、長年愛されてきた体は持ち主の意図に反してさらに快楽を求めていく。
スクリーンの中では世界の崩壊が始まり、子供を抱いて雑踏の中を逃げ惑う妻と、なんとか助けようと泥まみれで奔走するグーデリアンの姿がめまぐるしく入れ替わって映し出されていた。
「あっ・・」
はだけたシャツで腕の自由を奪い、クッションに押し付けるように横臥させて足の間に体を滑り込ませる。手元のキャビネに隠していたローションで濡らした指でゆっくり秘所をなでると、ハイネルの体がひくりとすくんだ。
「うーん、久々だから固いかな。」
「いやだ・・やめろ・・」
「暴れると痛いぜ。」
「ひっ・・」
体を傷をつけないように薄い膜をつけた指を注意深く差し入れたまま、もう一方の手が捩る身をやすやすといなし、触手のようにハイネルの前方に絡みつく。逃げ場のない刺激の連続に、ハイネルは数分ももたずに陥落させられた。
休む間を与えず、肩で息をするハイネルの体の下に手をいれて下半身をうつぶせにさせると、グーデリアンは再び狭い場所にローションを垂らした。
これ以上流されまいとハイネルは再び身を捩るが、下半身には手術の麻痺が残る上、一度火のついた身体は簡単にはいうことを聞かない。グーデリアンは今度は前には手を添えただけで、後ろばかりを責め始める。指の本数を増やされ、狙ったポイントを刺激しては達する前に止めることを繰り返すとたちまちにかみ締めた唇から喘ぎがこぼれはじめた。
「あっ・・・嫌っ・・ゃぁ・・」
「こっちは正直だよなぁ。どうして欲しい?」
「・・・・っ・・」
それでもハイネルは固く眦を閉じたまま首を振るが、開放できない辛さに自然と腰が奥を求めて浮き上がると指はするりと逃げていく。苦痛で押さえ込もうとするならば例え腕を折られても決して屈服しないであろうこの強情な体を、もっとも簡単に弱らせる方法をグーデリアンはこの20年で熟知していた。余裕の笑みを浮かべながらじっくりと弄り、じらされた足が軽く震えはじめた頃に、やっとハイネルの口からため息のような哀願が聞こえた。
「いかせ・・て・・」
「どうやって?」
「奥・・もっと奥へ・・」
「指で?それとも俺で?」
意地の悪い問いを耳元でささやくと、赤くなった眼がうっすらと涙を湛えてグーデリアンをにらみつけた。
「ったく、お前が素直になる前に俺が爺になって立たなくなっちまいそう。」
それでも普段は見せてくれない最大の譲歩を存分に堪能したのか、グーデリアンは苦笑しながら眦にキスをし、既に天を仰いでいる己自身を温かい暗がりへと圧し進めた。
じらされ続けたハイネルの体はそれだけで絶頂に達する。クライマックスに差しかかったシアタールームの中ではナイアガラの滝が崩壊する轟音が鳴り響く中、途切れ途切れのすすり泣きが混じった。
「・・・う・・」
「お、・・大丈夫?」
近い場所から自分を気遣う声がする。意識を取り戻したハイネルは、眼前にグーデリアンの肩口があるのに気がついた。体はクッションから降ろされ、ラグの上にグーデリアンの厚い体を敷きこむ形で横たえられていた。
「何か飲む?」
ぼんやりする頭を大きな手が撫で、徐々に首筋から背中に降りていく。
「・・・」
ハイネルが達した後、グーデリアンが抜きもせずに数度か放ったところでハイネルの記憶はブラックアウトしている。昔ならば、それこそ明け方まで開放されなかったことを思えば先ほどの行為は前菜程度にしかならなかっただろう。既に抵抗する気力すらもないハイネルはその手がまた下半身に降りてくるのを予測し、息をつめた。
だが、手はまだ治りきらない腰の傷のあたりにそっと触れると、そこでとまった。
「悪い。無理させたな。痛むか?」
思いがけずにやさしい言葉に、強張った体が少し緩む。
「・・怒って・・いるんだろう。」
乱れる自分を静かに見下ろしていた冷たい目を思い出し、ハイネルは再び背筋に言い知れない寒さを感じた。だが、それを見越したように大きく温かい手がハイネルの体を包みこんだ。
「途中まではね。」
スタッフロールの流れる画面にリモコンを向けると、スクリーンには映画のメイキング映像が流れはじめた。子役の少年を肩車するグーデリアン、夫婦役の女優が叩かれすぎて赤くなったグーデリアンの頬に笑いながらアイスパックをあてているシーン。最後に現れた3人が海岸で遊ぶショットは、まさしくどこにでもある幸せな家族の理想像そのものだった。
「これ見たんだろ。で、頭の回転の速すぎるお前は一人で妄想がコースアウトしたってわけだ。」
すっかり乱れた栗色の髪をくしゃくしゃとかき乱しながらグーデリアンは笑った。目尻の笑い皺が深くなる。その顔に、ハイネルの胸はいいしれない痛みを感じた。
「・・お前は、私なんかに人生を捧げることはないんだ。」
輝く星の元に生まれた人間は、誰にも後ろ指を指されることのないパートナーを得て堂々と祝福されるべきである。子供にしても、ある意味複雑な家庭で育った自分よりははるかに願望が強いのもよくわかる。だがそれは自分と一緒にいる限りは決して得られないのだから。
「・・私は、お前はレッドカーペットを一緒に歩いてやることもできないし、ましてや親にさせてやることもできな・・」
苦く呟いたハイネルの唇にグーデリアンの唇が重ねられ、言葉を奪われた。
「んー、じゃ今度一緒に歩こうぜレッドカーペット。あー、どっちかってーと俺がお前を巻き込んだ、ってのがホントのとこだしなぁ。」
おどけた調子で笑う様子に、胸の痛みがさらに強くなる。わかっているのだ。この男はそんなことにはこだわるたちではないのだから。
-もし自分が社長という責務を負う立場でなければ多少は変わっていたのだろうか。せめて、一介のデザイナーならば-
「お前は・・何を馬鹿なことを・・」
「いいじゃん、馬鹿で。俺とお前、今まで散々不可能だって言われることばかりやってきただろ。お前となら俺はなんでもできる気がするよ。なんならお前の子供だって産めるかも?」
「本当にお前は・・馬鹿だ・・」
「へいへい。」
ハイネルはグーデリアンの肩に顔を押し付けた。
メイキング映像の終わった静かな青い部屋の底で、二人はいつまでも抱き合っていた。
-------------------
続く
フロアクッションに寄りかかるハイネルの横に腰を下ろし、グーデリアンはハイネルのグラスを取りあげた。
「まだ飲んでんのか?・・ってブランデーかよ。さすがに昼間っから飲みすぎだぜ。」
「うるさい。返せ。」
すかさず長い腕が伸びてきてグーデリアンの手からグラスを奪い返す。軽く触れた腕から馴染んだ香りがまとわりついてきて、背骨の辺りになんともいえない感触が走る。
「ヨハンは無事に送ってきたんだろうな?」
「あぁ。ヨハンの下宿って、お前が住んでたとこだったんだな。花壇手入れしていた大家のマム、俺の顔見てびっくりしてたぜ。」
「あそこはラボから近いからな。人気なんだろう。」
「でもさ、野郎であのきれい好きでうるさいマムを口説くのは大変だぜ?さすがヨハンっつーか。めっちゃ素直でいい子だよなぁ。やっぱ遺伝子より育てられ方なんだよなあ。」
「・・ひどい言い草だな。」
「ほんと、女の子だったら絶対結婚申し込んでたね。」
「・・お前にひどい目にあわされるのは、可哀想なシュティール達だけで十分だ。」
ハイネルがドライフルーツを口に運ぶ。酒が入っているせいか、やや口調がやわらかい。
顔を寄せたグーデリアンが唇を重ねると、甘ったるい果物と、強い酒の香りが鼻腔を抜けていった。
「・・こら。昼間っから盛っているんじゃない。」
静止するでもなくやんわりと胸を押され、体が離される。暗がりの中でも口の端に笑みが浮かんでいるのが見て取れた。
「そんなこといって。毎晩、俺の映画見て枕濡らしてるんじゃねぇの?」
スクリーンの中では、グーデリアン扮する落ち目のフットボール選手が、有能な弁護士である妻から別れを告げられるシーンが映し出されていた。
-あなたは結局、自分だけが大事な人なのよ!
子供の誕生日すら忘れた夫の頬に、妻が遠慮のない平手打ちを食らわせる。きれいに切りそろえられた茶色い髪が揺れて乱れる。
「売り上げが悪いと、お前がまたチームに戻ってくるとかいいそうで恐ろしいからな。」
「最近じゃ、アメリカ帰っても『さっさとドイツ帰れ』っていわれるしなぁ。知ってる?、この女優サン。役作りに、俺とお前とのサーキット乱闘シーンを参考にしたんだってよ。」
「・・不本意だ。」
「ははは。」
「・・・・グーデリアン」
「ん?」
「・・・・・別れよう。」
「・・へ?」
まるで愛の言葉をささやく様につぶやかれた意外な台詞に、グーデリアンはハイネルの顔を覗き込んだ。何かの間違いではないのだろうかと。しかし、そこにあったのはいつもの試すような自身満々の笑みではなく、慈愛にも似た悲しげな表情だった。
「私達は、そろそろ別の道をいくべき時だと思うんだ。私にはヨハンがいる。だからお前は、もう・・。」
最後まで言わせずに、グーデリアンは再び唇をふさいだ。同時に腕をつかみ上げ、クッションにハイネルの体を押し付けるようにして固定してしまう。衣類の隙間から差し入れられた手が何を求めているのかは明白だった。
「・・・・やめないか。まじめな話をしているんだ。」
長い口づけから開放され、やや息切れしたハイネルが身じろぐが、鉄のような腕と体の動きをしっかり抑制するクッションとの狭間に埋め込まれるだけだった。
「なぁに?若い愛人ができたから俺なんかもう用済みってわけ?」
満面の笑顔に、アイスブルーの目が不釣合いに冷たく煌く。からかう軽い口調とは裏腹に、さらに体重がかけられる。
一見冷たく見えるハイネルが、実はかなりの世間知らずのお人好しなのは既にチーム内でも知れ渡っている。今回の件も、周囲にはただ窮状に追い込まれた若いメカニックを見捨てて置けなかっただけと思われている程度だ。
そんなことはグーデリアン自身、わかりきってはいるのだが。
「まぁ、人間関係全般が淡白なお前が、いくらかわいくても男相手にガツガツいく姿ってのは、想像できないけどなぁ。でも、麻酔と相性悪いお前が後遺症覚悟でドナーになってやるって入れ込み具合だから仕方ないかぁ。」
「ん・・くぅっ・・」
のんびりした口調とは裏腹に、弱いポイントを的確になで上げられて思わず声が上がる。
「へぇ、芯から嫌いになった相手でも反応するんだ?」
「・・この、卑怯者。」
耳元でグーデリアンがささやくのに目元を赤く染めて抗議するが、長年愛されてきた体は持ち主の意図に反してさらに快楽を求めていく。
スクリーンの中では世界の崩壊が始まり、子供を抱いて雑踏の中を逃げ惑う妻と、なんとか助けようと泥まみれで奔走するグーデリアンの姿がめまぐるしく入れ替わって映し出されていた。
「あっ・・」
はだけたシャツで腕の自由を奪い、クッションに押し付けるように横臥させて足の間に体を滑り込ませる。手元のキャビネに隠していたローションで濡らした指でゆっくり秘所をなでると、ハイネルの体がひくりとすくんだ。
「うーん、久々だから固いかな。」
「いやだ・・やめろ・・」
「暴れると痛いぜ。」
「ひっ・・」
体を傷をつけないように薄い膜をつけた指を注意深く差し入れたまま、もう一方の手が捩る身をやすやすといなし、触手のようにハイネルの前方に絡みつく。逃げ場のない刺激の連続に、ハイネルは数分ももたずに陥落させられた。
休む間を与えず、肩で息をするハイネルの体の下に手をいれて下半身をうつぶせにさせると、グーデリアンは再び狭い場所にローションを垂らした。
これ以上流されまいとハイネルは再び身を捩るが、下半身には手術の麻痺が残る上、一度火のついた身体は簡単にはいうことを聞かない。グーデリアンは今度は前には手を添えただけで、後ろばかりを責め始める。指の本数を増やされ、狙ったポイントを刺激しては達する前に止めることを繰り返すとたちまちにかみ締めた唇から喘ぎがこぼれはじめた。
「あっ・・・嫌っ・・ゃぁ・・」
「こっちは正直だよなぁ。どうして欲しい?」
「・・・・っ・・」
それでもハイネルは固く眦を閉じたまま首を振るが、開放できない辛さに自然と腰が奥を求めて浮き上がると指はするりと逃げていく。苦痛で押さえ込もうとするならば例え腕を折られても決して屈服しないであろうこの強情な体を、もっとも簡単に弱らせる方法をグーデリアンはこの20年で熟知していた。余裕の笑みを浮かべながらじっくりと弄り、じらされた足が軽く震えはじめた頃に、やっとハイネルの口からため息のような哀願が聞こえた。
「いかせ・・て・・」
「どうやって?」
「奥・・もっと奥へ・・」
「指で?それとも俺で?」
意地の悪い問いを耳元でささやくと、赤くなった眼がうっすらと涙を湛えてグーデリアンをにらみつけた。
「ったく、お前が素直になる前に俺が爺になって立たなくなっちまいそう。」
それでも普段は見せてくれない最大の譲歩を存分に堪能したのか、グーデリアンは苦笑しながら眦にキスをし、既に天を仰いでいる己自身を温かい暗がりへと圧し進めた。
じらされ続けたハイネルの体はそれだけで絶頂に達する。クライマックスに差しかかったシアタールームの中ではナイアガラの滝が崩壊する轟音が鳴り響く中、途切れ途切れのすすり泣きが混じった。
「・・・う・・」
「お、・・大丈夫?」
近い場所から自分を気遣う声がする。意識を取り戻したハイネルは、眼前にグーデリアンの肩口があるのに気がついた。体はクッションから降ろされ、ラグの上にグーデリアンの厚い体を敷きこむ形で横たえられていた。
「何か飲む?」
ぼんやりする頭を大きな手が撫で、徐々に首筋から背中に降りていく。
「・・・」
ハイネルが達した後、グーデリアンが抜きもせずに数度か放ったところでハイネルの記憶はブラックアウトしている。昔ならば、それこそ明け方まで開放されなかったことを思えば先ほどの行為は前菜程度にしかならなかっただろう。既に抵抗する気力すらもないハイネルはその手がまた下半身に降りてくるのを予測し、息をつめた。
だが、手はまだ治りきらない腰の傷のあたりにそっと触れると、そこでとまった。
「悪い。無理させたな。痛むか?」
思いがけずにやさしい言葉に、強張った体が少し緩む。
「・・怒って・・いるんだろう。」
乱れる自分を静かに見下ろしていた冷たい目を思い出し、ハイネルは再び背筋に言い知れない寒さを感じた。だが、それを見越したように大きく温かい手がハイネルの体を包みこんだ。
「途中まではね。」
スタッフロールの流れる画面にリモコンを向けると、スクリーンには映画のメイキング映像が流れはじめた。子役の少年を肩車するグーデリアン、夫婦役の女優が叩かれすぎて赤くなったグーデリアンの頬に笑いながらアイスパックをあてているシーン。最後に現れた3人が海岸で遊ぶショットは、まさしくどこにでもある幸せな家族の理想像そのものだった。
「これ見たんだろ。で、頭の回転の速すぎるお前は一人で妄想がコースアウトしたってわけだ。」
すっかり乱れた栗色の髪をくしゃくしゃとかき乱しながらグーデリアンは笑った。目尻の笑い皺が深くなる。その顔に、ハイネルの胸はいいしれない痛みを感じた。
「・・お前は、私なんかに人生を捧げることはないんだ。」
輝く星の元に生まれた人間は、誰にも後ろ指を指されることのないパートナーを得て堂々と祝福されるべきである。子供にしても、ある意味複雑な家庭で育った自分よりははるかに願望が強いのもよくわかる。だがそれは自分と一緒にいる限りは決して得られないのだから。
「・・私は、お前はレッドカーペットを一緒に歩いてやることもできないし、ましてや親にさせてやることもできな・・」
苦く呟いたハイネルの唇にグーデリアンの唇が重ねられ、言葉を奪われた。
「んー、じゃ今度一緒に歩こうぜレッドカーペット。あー、どっちかってーと俺がお前を巻き込んだ、ってのがホントのとこだしなぁ。」
おどけた調子で笑う様子に、胸の痛みがさらに強くなる。わかっているのだ。この男はそんなことにはこだわるたちではないのだから。
-もし自分が社長という責務を負う立場でなければ多少は変わっていたのだろうか。せめて、一介のデザイナーならば-
「お前は・・何を馬鹿なことを・・」
「いいじゃん、馬鹿で。俺とお前、今まで散々不可能だって言われることばかりやってきただろ。お前となら俺はなんでもできる気がするよ。なんならお前の子供だって産めるかも?」
「本当にお前は・・馬鹿だ・・」
「へいへい。」
ハイネルはグーデリアンの肩に顔を押し付けた。
メイキング映像の終わった静かな青い部屋の底で、二人はいつまでも抱き合っていた。
-------------------
続く
「お、うまそう。ブイヤベース?」
「アクアパッツァ。」
ガスコンロの上の、厚手の平鍋がコトコトと音を立てている。
ネクタイを外したワイシャツの上にエプロンをつけたハイネルは、バゲットに薄くニンニク入りのオイルを塗った。
「どう違うのよ。」
グーデリアンはダイニングの小さなテーブルにクロスを敷き、カトラリーとグラスを用意した。
「サフランの有無じゃないか?」
「ふーん?」
グーデリアンが皿を持ったままサラダのルッコラを一枚つまみ、口に放り込む。
ハイネルのアパートメントにグーデリアンが転がり込んできて数カ月、自身の栄養状態にはほとんど関心がないがさすがにドライバーを放っておくわけにはいかないと、最近ハイネルは車で30分ほどの実家が雇っているコックに料理の下ごしらえを、さらに忙しい日は完成品を頼むことが多くなっていた。
ほとんど自宅で食事をすることがない多忙な父と子達のため、「何のために雇われたのかわからない」とぼやいていたコックはこの申し出に非常に喜び、配達時には冷凍庫に非常食として温めるだけで食べられるスープやデリ、自家製のコンフィチュールなどをついでに叩きこんでいくのだった。
「こら、つまみ食いしてるんじゃない。」
「後ろに目でもついてんのかよお前は。」
帰宅して30分ほどで、アクアパッツァと軽くトーストしたバゲット、白チーズと生マッシュルームとルッコラのサラダ、炒めたポテトに白ワインを添えて、瞬く間に軽い夕食がテーブルに現れた。
「俺、昔は魚はサラダと思ってたんだよなぁ。」
「・・はぁ?」
「俺んち、内陸だろ?毎日食い物はほぼ肉なわけ。たまに空輸で届くクラムとかエビは高級品でさ、メインっていうよりは、オードブルにちょこっと乗っかってくるトッピング扱いだったんだよ。」
「魚は肉と同等のプロテイン系食材だ。大体、多少怪しげなオイスターバーでも平気でガツガツ食らっているくせに。」
「お前、基本生もの苦手だもんな。前、ランドルに生牡蠣勧められてすげぇ困ってたよなぁ。」
「・・それ以上いうとデザートはなかったことにするぞ。」
「あ、ごめんごめん!!」
与太話とともに、食事は瞬く間に胃袋に消えた。
空いた皿をシンクに置き、冷蔵庫から冷えたフルーツカスタードを取り出しながら、ハイネルは何度か視線を壁の時計にやった。その様子をグーデリアンはテーブルに肘をついた姿勢で憮然と眺めていた。
「どうした、小骨でも噛んだのか?」
「いや、コックさんの下ごしらえもハイネルの味付けも完璧だった。だけどなぁ・・・」
「?」
グーデリアンはわざと時計のほうを見ながら、つぶやいた。
心の中ではまさか自分がこっち側になるなんて、と、女々しい気持ちを笑いながら。
「もう俺そろそろ限界・・・・。なぁ、今日もこの後仕事?」
「仕方ないだろう。」
再び席に着いたハイネルもため息をつきながらデザートを口に運び始めた。
発表直前の車に、担当者の代わった交通省からイチャモンに近い難癖がついたのがレースシーズンの終わった直後だった。
その内容に激怒した社長、ゲオルグ・ハイネルはスイスの山奥でささやかなスキーオフを楽しんでいた息子を即座に社用ヘリで召還し、有無を言わせず改良責任者として投入した。
スーツに着替える暇すら与えられなかったフランツ・ハイネルが負わされたミッションは言葉にすると至極簡単で、次のシーズンが始まるまでに車を改良するなり担当者を懐柔するなり、なんでもいいからある程度の成果を見せること。
その剣幕は、いつもは社長こそわが命と公言している社長秘書達がさすがにそれはと割って入ろうとするほどだったという。
「・・まぁ、予算が人質だからな。いつものことだ。」
「つってもさぁ、オフシーズンはこっちの開発とかもあるでしょ。」
「父も、忙しいのは知っていて私を投入するんだからよほど切羽詰まっているんだろう。仕方ないさ。私も父も、会社の部品の一つだ。」
「んもー。俺、最近欲求不満でしょっちゅうお前の夢見るんだぜ?」
「・・・は?」
食洗機に皿をセットしているグーデリアンを、袖口をするすると戻していたハイネルが振り返る。
「正確には、お前の形をした何か、だけど。すげぇ素直で可愛いしなんでも俺の言うこと聞くんだよ。」
「・・ついに頭が逝ったか。・・一度、精密検査でも受けて来い。」
ハイネルは大きなため息をつき、上着と車のキーを片手に持つと再び会社へと戻っていった。
-いや、本当に出てくるんだよなぁ
さほど広くもないアパートメントだが、ぽつんと一人で取り残されると急に寂寥感が迫ってくる。外の風がやたらと強く感じる。夜更かしをする気にもなれず、グーデリアンは早々にベッドに入った。こういう晩はアレが出てくることが多いのだ。
-あ、来た
目を閉じてしばらくすると軽くドアが開く音がして、ハイネルの顔をした可愛い何かが擦り寄ってくる。ベッドの上掛けをそっと剥ぎ、しなやかな肌が触れる。
その質感から匂いから、グーデリアンは最初はハイネルのサプライズだろうと信じて疑わなかった。
しかしそのハイネルによく似た生き物との行為は、本物とはまったく違っていた。
グーデリアンの要求のまま体を合わせ、素直に愛情表現をする。時にいじらしい顔を見せたかと思えば絶妙な手技や舌技でグーデリアン自身を愛撫する。何より、グーデリアンがしたいと思えばどんなに過激な体位でもくだらないリクエストでも相手をしてくれる。
決して本物ではないとわかっていながら、グーデリアンはここしばらくその何かとの逢瀬を楽しむことも多かった。
が。
「んー・・・・・?」
「どうした?」
ネコ耳裸エプロンという、ありえない格好のハイネルに押し倒されながら、グーデリアンは首をかしげた。上目遣いで頬を軽く上気させたハイネルは恐ろしく色っぽい。が、何かの違和感があるのだ。
「いや、ねぇ。ちょっと待って。」
グーデリアンは片手でハイネルを軽く押しとどめると、上体を起こした。
「・・次は何がしたい?お前の望みはなんでも聞いてやるぞ?」
腿の上に足を開いて座り、うっとりした目で呟かれる。普段だったら申し分のないシチュエーションなのに何が不満なんだろう。
-確かこの感覚、ハイネルと付き合う前はよくあったような・・
グーデリアンはふと、その感覚にぴったりと思い当たる言葉を思い出した。
「・・あ、そうか。」
「?」
「飽きた」
「な・・?」
思いがけない言葉に、ハイネルの姿をした何かは整った片眉をひくりと上げた。
「こんなバカげた格好までさせて、何を言ってるんだお前は!お前の好きにあれこれさせてやったのに!」
「いやもう、そのへんはすっげぇ楽しかったんだけどね。一通りやったら、満足した。」
ぺらりとエプロンの裾をめくりながらグーデリアンは言った。
耳はともかく、エプロンは意外に似合わないなぁなんて、本人が聞いたら即跡形もなく処分されてしまいそうな事を考えながら。
「解せん。私とあいつとどこが違うというんだ。お前の好きな体と声のはずだ。」
指を突きつけられ、あぁ爪の形まで同じだと冷静に認識する。
「あー・・なんかそういう上からのモノイイするとすっげぇお父さんに似てるよなぁお前。」
「・・年上が好みか?じゃあゲオルグ・ハイネルの姿に・・」
「いやいやいやそれは勘弁してちょーだい。ますます萎えそう、俺。」
「女にもなれるぞ?」
くるりと回ると、フランツ・ハイネルの雰囲気を残したまま体は女性のカーブを描いた。
「へぇ。」
「ちなみに、乳房も臀部も思い通りに。触ってみろ。」
グーデリアンが手で撫でてみると、控えめだった胸がふっくらと盛り上がり、臀部と腰のコントラストが際立つ。
「なるほどねぇ、確かに理想のサイズかも。」
牝馬を品定めする手つきで触るが、そこには既にこれとどうこうしたいという感覚はなく。
煮え切らないグーデリアンに、ハイネルはついに大きな声を上げた。
「私はインキュバスだぞ!これはお前の深層心理に潜む理想のフランツ・ハイネルなんだ!なのに何が不満なんだ!?」
正体をばらしてしまった相手に向かって、グーデリアンは腕組みをして考え込んだ。
「なんかね、スリルが足りないっていうか。こう、うっかりすると即寝首かかれそうなあの緊張感とか?絶対俺だけなんか見てなくて、俺がすげぇ気をつけてないとすぐあちこち行っちまう危なっかしさとか。」
「めんどくさいだけじゃないか。」
「あー、めんどくさいわな、確かに。セックスはいつまでも慣れないし。口もヘタだし。いいトコ突くとそれはそれで必死で暴れるししがみつくし。」
生傷の絶えない太い腕を眺めて、グーデリアンは笑った。周囲は喧嘩のケガだと思っているが、最近ではベッドの中でつけられたキズのほうがはるかに多い。もっとも、つけた本人は色々と耐えるのに必死で覚えてすらいないのがまた癪に障る。
「でもな、そんなのが色々投げ出していい顔見せる時がサイコーとか思うわけよ。多分。」
「・・マゾヒズム嗜好か?」
「そうかもな。あー、ハイネル限定で。」
「大体、フランツ・ハイネルの頭の中を覗いてみたらほとんどが車とか会社のことばかりだ。お前のことなんか片隅にあるだけだったぞ。」
「ははは。ハイネルらしいねぇ。つか、俺のスペースがあっただけマシってね。」
反撃に出たインキュバスに対しても焦る気持ちはなぜか起こらない。
「おまけに、その欲求なんて朝起きてお前とキスをして、一緒に食事して、夜寝る前にハグをする。そんなものだ。お前の性欲が満足できるとは思えない。60代の夫婦でももうちょっとマシな妄想をするものだ。」
「俺も似たようなもんだぜ。」
「ちっ・・せっかくいい餌場を見つけたと思ったのに・・・何がアメリカの種馬だ!何が全米が泣いただ!だからハリウッドの広告には信憑性がないんだ!!」
インキュバスは悔しそうに唇をかむと、捨て台詞を山ほど吐いて煙のように消えていった。
「はは。最後のところはハイネルらしかったな。」
とりあえず今夜はいい夢が見られそうだと、グーデリアンは暗闇に向かって手を振った。
次の朝、グーデリアンがコーヒーをいれていると、ハイネルが憮然とした顔でダイニングに顔を出した。
「・・・・・・・・・・・・・」
「もうちょっと寝ていても大丈夫だぜ?」
「・・昨日の夢に、お前が出てきたんだ。」
「ふーん。もしかしてハイネルも欲求不満ー?」
「お前と一緒にするな。第一、夢の中のお前は私に対してさんざん可愛げがないだのセックス下手だのめんどくさいだの!」
「ええええ?それ、俺のせいじゃないし!!!」
-あいつ、仕返ししに行きやがったな!
--------------------------------------------
ちょっと脱線で
「アクアパッツァ。」
ガスコンロの上の、厚手の平鍋がコトコトと音を立てている。
ネクタイを外したワイシャツの上にエプロンをつけたハイネルは、バゲットに薄くニンニク入りのオイルを塗った。
「どう違うのよ。」
グーデリアンはダイニングの小さなテーブルにクロスを敷き、カトラリーとグラスを用意した。
「サフランの有無じゃないか?」
「ふーん?」
グーデリアンが皿を持ったままサラダのルッコラを一枚つまみ、口に放り込む。
ハイネルのアパートメントにグーデリアンが転がり込んできて数カ月、自身の栄養状態にはほとんど関心がないがさすがにドライバーを放っておくわけにはいかないと、最近ハイネルは車で30分ほどの実家が雇っているコックに料理の下ごしらえを、さらに忙しい日は完成品を頼むことが多くなっていた。
ほとんど自宅で食事をすることがない多忙な父と子達のため、「何のために雇われたのかわからない」とぼやいていたコックはこの申し出に非常に喜び、配達時には冷凍庫に非常食として温めるだけで食べられるスープやデリ、自家製のコンフィチュールなどをついでに叩きこんでいくのだった。
「こら、つまみ食いしてるんじゃない。」
「後ろに目でもついてんのかよお前は。」
帰宅して30分ほどで、アクアパッツァと軽くトーストしたバゲット、白チーズと生マッシュルームとルッコラのサラダ、炒めたポテトに白ワインを添えて、瞬く間に軽い夕食がテーブルに現れた。
「俺、昔は魚はサラダと思ってたんだよなぁ。」
「・・はぁ?」
「俺んち、内陸だろ?毎日食い物はほぼ肉なわけ。たまに空輸で届くクラムとかエビは高級品でさ、メインっていうよりは、オードブルにちょこっと乗っかってくるトッピング扱いだったんだよ。」
「魚は肉と同等のプロテイン系食材だ。大体、多少怪しげなオイスターバーでも平気でガツガツ食らっているくせに。」
「お前、基本生もの苦手だもんな。前、ランドルに生牡蠣勧められてすげぇ困ってたよなぁ。」
「・・それ以上いうとデザートはなかったことにするぞ。」
「あ、ごめんごめん!!」
与太話とともに、食事は瞬く間に胃袋に消えた。
空いた皿をシンクに置き、冷蔵庫から冷えたフルーツカスタードを取り出しながら、ハイネルは何度か視線を壁の時計にやった。その様子をグーデリアンはテーブルに肘をついた姿勢で憮然と眺めていた。
「どうした、小骨でも噛んだのか?」
「いや、コックさんの下ごしらえもハイネルの味付けも完璧だった。だけどなぁ・・・」
「?」
グーデリアンはわざと時計のほうを見ながら、つぶやいた。
心の中ではまさか自分がこっち側になるなんて、と、女々しい気持ちを笑いながら。
「もう俺そろそろ限界・・・・。なぁ、今日もこの後仕事?」
「仕方ないだろう。」
再び席に着いたハイネルもため息をつきながらデザートを口に運び始めた。
発表直前の車に、担当者の代わった交通省からイチャモンに近い難癖がついたのがレースシーズンの終わった直後だった。
その内容に激怒した社長、ゲオルグ・ハイネルはスイスの山奥でささやかなスキーオフを楽しんでいた息子を即座に社用ヘリで召還し、有無を言わせず改良責任者として投入した。
スーツに着替える暇すら与えられなかったフランツ・ハイネルが負わされたミッションは言葉にすると至極簡単で、次のシーズンが始まるまでに車を改良するなり担当者を懐柔するなり、なんでもいいからある程度の成果を見せること。
その剣幕は、いつもは社長こそわが命と公言している社長秘書達がさすがにそれはと割って入ろうとするほどだったという。
「・・まぁ、予算が人質だからな。いつものことだ。」
「つってもさぁ、オフシーズンはこっちの開発とかもあるでしょ。」
「父も、忙しいのは知っていて私を投入するんだからよほど切羽詰まっているんだろう。仕方ないさ。私も父も、会社の部品の一つだ。」
「んもー。俺、最近欲求不満でしょっちゅうお前の夢見るんだぜ?」
「・・・は?」
食洗機に皿をセットしているグーデリアンを、袖口をするすると戻していたハイネルが振り返る。
「正確には、お前の形をした何か、だけど。すげぇ素直で可愛いしなんでも俺の言うこと聞くんだよ。」
「・・ついに頭が逝ったか。・・一度、精密検査でも受けて来い。」
ハイネルは大きなため息をつき、上着と車のキーを片手に持つと再び会社へと戻っていった。
-いや、本当に出てくるんだよなぁ
さほど広くもないアパートメントだが、ぽつんと一人で取り残されると急に寂寥感が迫ってくる。外の風がやたらと強く感じる。夜更かしをする気にもなれず、グーデリアンは早々にベッドに入った。こういう晩はアレが出てくることが多いのだ。
-あ、来た
目を閉じてしばらくすると軽くドアが開く音がして、ハイネルの顔をした可愛い何かが擦り寄ってくる。ベッドの上掛けをそっと剥ぎ、しなやかな肌が触れる。
その質感から匂いから、グーデリアンは最初はハイネルのサプライズだろうと信じて疑わなかった。
しかしそのハイネルによく似た生き物との行為は、本物とはまったく違っていた。
グーデリアンの要求のまま体を合わせ、素直に愛情表現をする。時にいじらしい顔を見せたかと思えば絶妙な手技や舌技でグーデリアン自身を愛撫する。何より、グーデリアンがしたいと思えばどんなに過激な体位でもくだらないリクエストでも相手をしてくれる。
決して本物ではないとわかっていながら、グーデリアンはここしばらくその何かとの逢瀬を楽しむことも多かった。
が。
「んー・・・・・?」
「どうした?」
ネコ耳裸エプロンという、ありえない格好のハイネルに押し倒されながら、グーデリアンは首をかしげた。上目遣いで頬を軽く上気させたハイネルは恐ろしく色っぽい。が、何かの違和感があるのだ。
「いや、ねぇ。ちょっと待って。」
グーデリアンは片手でハイネルを軽く押しとどめると、上体を起こした。
「・・次は何がしたい?お前の望みはなんでも聞いてやるぞ?」
腿の上に足を開いて座り、うっとりした目で呟かれる。普段だったら申し分のないシチュエーションなのに何が不満なんだろう。
-確かこの感覚、ハイネルと付き合う前はよくあったような・・
グーデリアンはふと、その感覚にぴったりと思い当たる言葉を思い出した。
「・・あ、そうか。」
「?」
「飽きた」
「な・・?」
思いがけない言葉に、ハイネルの姿をした何かは整った片眉をひくりと上げた。
「こんなバカげた格好までさせて、何を言ってるんだお前は!お前の好きにあれこれさせてやったのに!」
「いやもう、そのへんはすっげぇ楽しかったんだけどね。一通りやったら、満足した。」
ぺらりとエプロンの裾をめくりながらグーデリアンは言った。
耳はともかく、エプロンは意外に似合わないなぁなんて、本人が聞いたら即跡形もなく処分されてしまいそうな事を考えながら。
「解せん。私とあいつとどこが違うというんだ。お前の好きな体と声のはずだ。」
指を突きつけられ、あぁ爪の形まで同じだと冷静に認識する。
「あー・・なんかそういう上からのモノイイするとすっげぇお父さんに似てるよなぁお前。」
「・・年上が好みか?じゃあゲオルグ・ハイネルの姿に・・」
「いやいやいやそれは勘弁してちょーだい。ますます萎えそう、俺。」
「女にもなれるぞ?」
くるりと回ると、フランツ・ハイネルの雰囲気を残したまま体は女性のカーブを描いた。
「へぇ。」
「ちなみに、乳房も臀部も思い通りに。触ってみろ。」
グーデリアンが手で撫でてみると、控えめだった胸がふっくらと盛り上がり、臀部と腰のコントラストが際立つ。
「なるほどねぇ、確かに理想のサイズかも。」
牝馬を品定めする手つきで触るが、そこには既にこれとどうこうしたいという感覚はなく。
煮え切らないグーデリアンに、ハイネルはついに大きな声を上げた。
「私はインキュバスだぞ!これはお前の深層心理に潜む理想のフランツ・ハイネルなんだ!なのに何が不満なんだ!?」
正体をばらしてしまった相手に向かって、グーデリアンは腕組みをして考え込んだ。
「なんかね、スリルが足りないっていうか。こう、うっかりすると即寝首かかれそうなあの緊張感とか?絶対俺だけなんか見てなくて、俺がすげぇ気をつけてないとすぐあちこち行っちまう危なっかしさとか。」
「めんどくさいだけじゃないか。」
「あー、めんどくさいわな、確かに。セックスはいつまでも慣れないし。口もヘタだし。いいトコ突くとそれはそれで必死で暴れるししがみつくし。」
生傷の絶えない太い腕を眺めて、グーデリアンは笑った。周囲は喧嘩のケガだと思っているが、最近ではベッドの中でつけられたキズのほうがはるかに多い。もっとも、つけた本人は色々と耐えるのに必死で覚えてすらいないのがまた癪に障る。
「でもな、そんなのが色々投げ出していい顔見せる時がサイコーとか思うわけよ。多分。」
「・・マゾヒズム嗜好か?」
「そうかもな。あー、ハイネル限定で。」
「大体、フランツ・ハイネルの頭の中を覗いてみたらほとんどが車とか会社のことばかりだ。お前のことなんか片隅にあるだけだったぞ。」
「ははは。ハイネルらしいねぇ。つか、俺のスペースがあっただけマシってね。」
反撃に出たインキュバスに対しても焦る気持ちはなぜか起こらない。
「おまけに、その欲求なんて朝起きてお前とキスをして、一緒に食事して、夜寝る前にハグをする。そんなものだ。お前の性欲が満足できるとは思えない。60代の夫婦でももうちょっとマシな妄想をするものだ。」
「俺も似たようなもんだぜ。」
「ちっ・・せっかくいい餌場を見つけたと思ったのに・・・何がアメリカの種馬だ!何が全米が泣いただ!だからハリウッドの広告には信憑性がないんだ!!」
インキュバスは悔しそうに唇をかむと、捨て台詞を山ほど吐いて煙のように消えていった。
「はは。最後のところはハイネルらしかったな。」
とりあえず今夜はいい夢が見られそうだと、グーデリアンは暗闇に向かって手を振った。
次の朝、グーデリアンがコーヒーをいれていると、ハイネルが憮然とした顔でダイニングに顔を出した。
「・・・・・・・・・・・・・」
「もうちょっと寝ていても大丈夫だぜ?」
「・・昨日の夢に、お前が出てきたんだ。」
「ふーん。もしかしてハイネルも欲求不満ー?」
「お前と一緒にするな。第一、夢の中のお前は私に対してさんざん可愛げがないだのセックス下手だのめんどくさいだの!」
「ええええ?それ、俺のせいじゃないし!!!」
-あいつ、仕返ししに行きやがったな!
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