-ハイネル監督へ シーズン慰労BBQを企画しましたのでご確認ください。資料は持参します。あなたのご都合のいい時に。
-エーリヒへ では、明日のランチで。昼11時半カフェにて。
シーズンが佳境に差し掛かり多忙な中、総務若手のエーリヒはやっとのことでハイネルを捕まえた。
始めて最高責任者に宛てるメールということで、長く丁寧な文章としっかりした添付資料を添えていたのだか、シーズン終わりの慰労バーベキューの確認をしてほしい、ただそれだけのメールの返事がいつまでもこない。
呆れた総務マネージャーから、監督は長いメールには丁寧に返そうとするから出来るだけシンプルなメールで送ってみろと吹きこまれ、冒頭のメールとなったのである。
いい香りの漂うカフェで、エーリヒは初めてハイネルと差し向かいでテーブルについた。
「じゃあ、バーベキュー材料は200人分で、デリカテッセンと酒類の発注も頼む。去年、飲めないメンバーもいたから、甘くないノンアルコール飲料も多めに入れてくれ。あと、デザートを多めに。コンロはもう一つあったほうが回転がいいと思う。」
テスト走行帰りのレーシングスーツのままでもぺらぺらと資料をめくり、あっという間に盲点を見つけ、修正指示を出す。なるほど、ヘタに添付資料をつけるよりもこのほうが早いんだなとエーリヒは納得した。
こんな些細な仕事、部下におまかせでという手もあるのに、そこは妥協せずたとえ10分でも相談に乗ってくれる。各分野ではもちろん素晴らしい才能があるが、誰よりも広い視野をもち、誰よりも早い指示が出来る。
「ではこれでお願いする。資料がわかりやすかったから早く決まったよ。君のおかげだ。」
一見、冷たいほど整った顔に笑みが差す。あぁ、これが噂の・・と、エーリヒは自分の心がつかまれた瞬間を自覚した。
「俺、パエリアも食べたい。」
不意に上から降ってきた声に、ハイネルの笑みが一気に素へと戻った。
「なんか着替えもしないで先切り上げてくから、なんかたくらんでるのかなーって思ったら。」
見上げると、チームのトップドライバーがいた。白いTシャツから覗く太い腕。いつ見ても、体積以上に存在感が大きい気がするとエーリヒは感じる。大きなグラスに冷たい水を持ちながら、グーデリアンは空いている席にどかっと腰を下ろした。
「グーデリアン、データはとれたのか?」
「あんたの分もとっといたよ。ところで飯食った?」
「いや、まだだ。私はすぐ戻る。」
「食ってけよ。どうせパソコン仕事しながらなんかつまんで終わりのつもりだったんだろ?」
見れば、そろそろ早めの昼食を取ったりランチボックスを取りにくるスタッフが見える。急にエーリヒは胃が大きく鳴るのを感じた。
「な、これが普通に一般的に健康な20代男性って奴だぜ?」
「・・まるで私が不健康な生き物みたいじゃないか・・」
形のいい唇を尖らせて嫌そうにつぶやいた監督の落差に、なんとも言い難い感情を抱きそうになったエーリヒはあわてて目をそらした。
結局ハイネルはチリコンカンと魚のフリッターのプレートを取り、グーデリアンとエーリヒは玉ねぎソースのシュニッツェルをとってきた。
グーデリアンのトレイには山盛り肉の他は、意外にも山盛りのサラダと小さなパンとフルーツのジュースが載っていた。
「炭水化物制限中ですか?」
「ダイエットしないとねー、そこの監督さんが怖い怖い。」
「たんぱく質だって血糖値は上がるんだ。」
「ハイネルはもうちょっと筋肉もぜい肉もつけたほうがいいって言われてるくせに?」
「ぜい肉はいらん。」
言いながら、手をつける前にさりげなくフリッターを1つ2つ、グーデリアンの皿に移す。
ついでに、鉄分補給にとスタッフにほぼ強制的に渡されたココアのムースも、その横にこっそりと置く。
その、あまりにも手なれた様子にエーリヒは絶句した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あの・・もしかして、それ毎回無意識にやってますか?
「・・でさ、バーベキューなんだけど去年、ハイネルがサプライズでパエリア作っててさ、あれがうまかったんだよ。」
「デリカやサラダの材料と、ソーセージ類を適当に入れただけなんだが。」
「今年も作ってよ。」
「じゃあ、すまないがエーリヒ、米とサフランとオリーブオイル、大きめのパエリアパン2枚を追加で。」
「あ、はい。」
メモを書きとめるエーリヒの横で、だからお前は太るんだとか、だったらうまい飯食わすなよとか、暇だったらたまにはお前が作れとかやいやい言いながら二人は食事をし始める。
なんだこの落差は・・・。さっきまでの理想の上司が、途端に可愛い新妻になった気がするのは気のせいですか?。
いたたまれない気持ちになって、急に仕事を思い出したふりをしてあわてて食事をかきこんだエーリヒが退席した後も、そっと振り返ると二人はなにやら話し込んでいた。仕事の話かもしれないが、エーリヒには必要以上に距離が近いようにも見えた。
「で、打ち合わせは無事完了したのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一応は・・」
いつも艶やかで硬質で気品あふれる理想の上司が、ちょっと熱をかけられただけでへにゃっとしてとろとろくたくたになっている以外はまったく想定内です。
いっそマネージャーにそう報告してやろうかと思いながら、エーリヒは今日の昼食がまだやたらと胃にもたれているような気がした。
まるで山盛りのチョコレートを食べた後のような。
-------------------------------
難しいですよねチョコレートの保存はね。
-エーリヒへ では、明日のランチで。昼11時半カフェにて。
シーズンが佳境に差し掛かり多忙な中、総務若手のエーリヒはやっとのことでハイネルを捕まえた。
始めて最高責任者に宛てるメールということで、長く丁寧な文章としっかりした添付資料を添えていたのだか、シーズン終わりの慰労バーベキューの確認をしてほしい、ただそれだけのメールの返事がいつまでもこない。
呆れた総務マネージャーから、監督は長いメールには丁寧に返そうとするから出来るだけシンプルなメールで送ってみろと吹きこまれ、冒頭のメールとなったのである。
いい香りの漂うカフェで、エーリヒは初めてハイネルと差し向かいでテーブルについた。
「じゃあ、バーベキュー材料は200人分で、デリカテッセンと酒類の発注も頼む。去年、飲めないメンバーもいたから、甘くないノンアルコール飲料も多めに入れてくれ。あと、デザートを多めに。コンロはもう一つあったほうが回転がいいと思う。」
テスト走行帰りのレーシングスーツのままでもぺらぺらと資料をめくり、あっという間に盲点を見つけ、修正指示を出す。なるほど、ヘタに添付資料をつけるよりもこのほうが早いんだなとエーリヒは納得した。
こんな些細な仕事、部下におまかせでという手もあるのに、そこは妥協せずたとえ10分でも相談に乗ってくれる。各分野ではもちろん素晴らしい才能があるが、誰よりも広い視野をもち、誰よりも早い指示が出来る。
「ではこれでお願いする。資料がわかりやすかったから早く決まったよ。君のおかげだ。」
一見、冷たいほど整った顔に笑みが差す。あぁ、これが噂の・・と、エーリヒは自分の心がつかまれた瞬間を自覚した。
「俺、パエリアも食べたい。」
不意に上から降ってきた声に、ハイネルの笑みが一気に素へと戻った。
「なんか着替えもしないで先切り上げてくから、なんかたくらんでるのかなーって思ったら。」
見上げると、チームのトップドライバーがいた。白いTシャツから覗く太い腕。いつ見ても、体積以上に存在感が大きい気がするとエーリヒは感じる。大きなグラスに冷たい水を持ちながら、グーデリアンは空いている席にどかっと腰を下ろした。
「グーデリアン、データはとれたのか?」
「あんたの分もとっといたよ。ところで飯食った?」
「いや、まだだ。私はすぐ戻る。」
「食ってけよ。どうせパソコン仕事しながらなんかつまんで終わりのつもりだったんだろ?」
見れば、そろそろ早めの昼食を取ったりランチボックスを取りにくるスタッフが見える。急にエーリヒは胃が大きく鳴るのを感じた。
「な、これが普通に一般的に健康な20代男性って奴だぜ?」
「・・まるで私が不健康な生き物みたいじゃないか・・」
形のいい唇を尖らせて嫌そうにつぶやいた監督の落差に、なんとも言い難い感情を抱きそうになったエーリヒはあわてて目をそらした。
結局ハイネルはチリコンカンと魚のフリッターのプレートを取り、グーデリアンとエーリヒは玉ねぎソースのシュニッツェルをとってきた。
グーデリアンのトレイには山盛り肉の他は、意外にも山盛りのサラダと小さなパンとフルーツのジュースが載っていた。
「炭水化物制限中ですか?」
「ダイエットしないとねー、そこの監督さんが怖い怖い。」
「たんぱく質だって血糖値は上がるんだ。」
「ハイネルはもうちょっと筋肉もぜい肉もつけたほうがいいって言われてるくせに?」
「ぜい肉はいらん。」
言いながら、手をつける前にさりげなくフリッターを1つ2つ、グーデリアンの皿に移す。
ついでに、鉄分補給にとスタッフにほぼ強制的に渡されたココアのムースも、その横にこっそりと置く。
その、あまりにも手なれた様子にエーリヒは絶句した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
あの・・もしかして、それ毎回無意識にやってますか?
「・・でさ、バーベキューなんだけど去年、ハイネルがサプライズでパエリア作っててさ、あれがうまかったんだよ。」
「デリカやサラダの材料と、ソーセージ類を適当に入れただけなんだが。」
「今年も作ってよ。」
「じゃあ、すまないがエーリヒ、米とサフランとオリーブオイル、大きめのパエリアパン2枚を追加で。」
「あ、はい。」
メモを書きとめるエーリヒの横で、だからお前は太るんだとか、だったらうまい飯食わすなよとか、暇だったらたまにはお前が作れとかやいやい言いながら二人は食事をし始める。
なんだこの落差は・・・。さっきまでの理想の上司が、途端に可愛い新妻になった気がするのは気のせいですか?。
いたたまれない気持ちになって、急に仕事を思い出したふりをしてあわてて食事をかきこんだエーリヒが退席した後も、そっと振り返ると二人はなにやら話し込んでいた。仕事の話かもしれないが、エーリヒには必要以上に距離が近いようにも見えた。
「で、打ち合わせは無事完了したのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一応は・・」
いつも艶やかで硬質で気品あふれる理想の上司が、ちょっと熱をかけられただけでへにゃっとしてとろとろくたくたになっている以外はまったく想定内です。
いっそマネージャーにそう報告してやろうかと思いながら、エーリヒは今日の昼食がまだやたらと胃にもたれているような気がした。
まるで山盛りのチョコレートを食べた後のような。
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難しいですよねチョコレートの保存はね。
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小雪の降る寒い日、グーデリアンは初めてシュツットガルトのハイネル家に足を踏み入れた。
「こんな感じでいいんだろう?」
「うっわ、サンキュ!」
重い扉を開けた先には防音室に大型スクリーンに7.1cHスピーカー。
床にはふかふかのラグと、大小たくさんのビーズクッションとローテーブル。
人間がダメになりそうなグーデリアン仕様の装備が完備されている。
「天井の高さに制限があるから、ソファが置けなかったのが残念だが。」
「いやいや、むしろこれでいいよ~」
心底うれしそうに、クッションに頬ずりしながらグーデリアンは垂れた目尻をさらに下げた。
グーデリアンの意外な趣味の一つに、映画があった。
外国で暇を持て余す間に、ちょっと入ればハリウッドの新作映画ならほぼ字幕で世界中で鑑賞できる。
ハイネルに言わせると「ご都合主義の映画だから、どうせ主人公が勝つんだろう?」の一言て終わるんだけれど。
しかしレースシーズンには見損ねる映画も多く、オフシーズンにまとめてアメリカの自宅のシアターでディスクや配信で見ていたらしい。
しかし冬をドイツで過ごすようになってわざわざアメリカに帰るのも面倒になり、ハイネルが借りているラボ近くの小さなアパートメントのテレビ画面で見るようになった。
外は雪だし、馬とかいないし、ドイツ語はよくわからないし、他に部屋を借りるってのもめんどくさいし。
別に本人は気にしていないようだが、、大きな体を丸めていじいじと画面を見ている姿を見かけたハイネルはその姿に大きくため息をつき、クリスマスプレゼント兼、来年分の誕生日プレゼントとして自宅にホームシアターを作ってやろうかという気になったのだった。
「で、こちらの客間がお前の部屋だ。鍵は渡すから好きに使ってくれていい。」
門や玄関用の電子キーと、対象的にごつくクラッシックな鍵を渡たされた。
「ハイネルの部屋のカギは~?」
「馬鹿か。用があるなら執事長を通せ。」
シアターからドアを開け、黒い色彩の部屋から明るく清潔な部屋へ移る。大きな窓からハイネル家の敷地が見渡せた。
「あのさ、嬉しいけどこの家、お父さんとかお母さん帰ってくるんだろ?俺が常にいたらまずくない?」
ハイネルは窓の外を指さした。
「父は、あの小高い丘の向こうの本宅にいる。歩いて10分くらいかな。この別宅は私とリサしかいない。祖母はベルリンで暮らしている。家事は呼べば向こうの使用人が来てくれる。週末は、父もベルリンの祖母宅に行くのでいないはずだ。」
「別宅って・・ここだけで俺んちくらいあるよ?。」
「祖父母が住んでいた家で、祖父は車が好きだったから、大きなガレージがあるんだが父は興味がないらしい。お前の実家も広いだろう?」
「いや、でもうちは広いったって、農場とか牧場コミコミだしね?普通に一軒にみんなで住んでるよ?」
「それは色々と面倒じゃないか?」
「まぁ、彼女連れ込んで姉ちゃんと鉢合わせしたり、エロ本隠して掃除されて見つけられたりとか色々・・?・・って、それが普通でしょ。」
理解できない、と言った風情でハイネルは肩をすくめた。
「大体、ヨーロッパのある程度の家の子女というものは私立の基礎学校で10歳くらいまで過ごし、そういう子女を集めた適当な全寮制の高等学校に進んで、多少の理不尽を感じながら集団での立ち居振る舞いを学び、その後の人脈を作り、大学に進んでその後は独立して暮らすことが多い。親元で過ごす時間は非常に短いし、帰ってきても会えないことも多いから、そんなものだと思っている。」
「それ、寂しくない?」
さらっと言ってのけた、あまったれな大男にハイネルは眉を上げた。
一緒に暮らすようになって、こいつは十二分に家族の愛とうっとおしさを感じながら育ったんだろうと思うことがたびたびある。
家族の誕生日や記念日はきちんと覚えているし、いくらダイエット中だと言ってみても大量のチョコバーと一緒にどう着ればいいのかわからない奇抜なシャツが送られてきて、毎回懲りず電話で喧嘩してみたり。
カードを渡しておくから要るものは適宜購入するように、という親子関係はそれなりに快適ではあったが、そういえば、自分が最後に父に贈り物をしたのはいつだったかなとハイネルはふと思った。
「・・使用人に仕事を依頼する際はだな・・」
窓際の、古いけれどよく手入れされたテーブルセットに二人で腰かける。
先回って用意されていたコーヒーと焼き菓子をつまみながら、英語併記の内線の電話番号一覧に、ハイネルは食事はここ、雑務はここにかけろとくるくると印をつけていく。
「そういや、お母さんは?前はベルリンで会ったよね。」
「そもそも年に何度も帰ってこないからな。デザイン改良で時々メールのやり取りはしている。」
実は、シュトロゼットプロジェクト時代からのチームユニフォームはハイネルの母作である。
工業ファブリック関連のデザイナーで、ひらひらとした華麗な世界でもなく、常に伝導率やら強度やら、数字の並ぶ仕事をしている。
グーデリアンも採寸の際に会ったものの、若く見えるのと旧姓のままなので言われるまで気がつかなった。ハイネルよりはリサが年を取ったらこんな感じかなと思われる、緑色の目のとても元気でタフな女性である。
もともとはシュトロブラムスのファブリック関連子会社の社長令嬢で、その才能に惚れたハイネル氏が一方的に告白したという話だが、リサに言わせると、「デザイナーとしての才能と行動力はずば抜けているが、経営能力には欠けていて何度か実家の会社をつぶしかけたツワモノ」らしい。「そこにパパが現れて、この人なら財力があるから、少々無茶をしても仕事ができるわって思ったらしいわよ」という、娘に向かって人生における素敵な打算の仕方まで教える、本当に素敵なマダムである。
「・・中身そっくりだもんなぁ・・」
「何がだ?」
強い緑色の目が上がる。
実の母に、似てないから連れて歩くのにちょうどいいと豪語されるほどなのに、この色だけはしっかりと遺伝子の存在を感じさせる。
「いや、なんでも。」
道理で、お父さんはハイネルに厳しく、地味な仕事も覚えさせようと必死になっているわけだ。
逆にリサちゃんのほうが、表向きの明るさは母親似だけどしたたかな経営の才能はありそうだなと思いつつ、グーデリアンは焼き菓子を一つ口に放り込んだ。
「使用方法はこんなところだが、他に質問は?」
再びシアターに戻り、ハイネルは操作方法を一通り教えた。
「特にないでーす。」
ビーズクッションに埋もれてゴキゲンな声がする。
ハイネルはリモコンをいじり、適当なDVDを再生しながら音質の微調整をする。
「言っておくが、いくら防音とはいえ、専用施設じゃないんだから夜中にハリウッドは見るなよ。」
「どれくらいの防音なの?」
「音は大抵遮断できるが、重低音の地響きはするだろうな。夜のアクション映画は禁止だ。」
「りょうかーい。じゃ、試してみようか。」
「・・は?」
「声くらいなら思いっきり出していいってことだよな。」
「うわっ!」
意外な瞬発力で伸びてきた腕に絡められ、ハイネルはビーズクッションの山に押し込まれた。
もがくほどにクッションが密着してきてますます身動きがとれなくなる上から、大きな体がのしかかってくる。
「こういうバカげたことのために作ったんじゃない!」
「そのつもりで作ってくれたんでしょ?こんなに俺においしい仕様。」
「んな・・・わけあるかー!」
そんな抵抗はお構いなしに腕をおさえられ、眼鏡を外されながら、ハイネルは来年のクリスマスプレゼントもなしだ!と心に誓ったのであった。
「こんな感じでいいんだろう?」
「うっわ、サンキュ!」
重い扉を開けた先には防音室に大型スクリーンに7.1cHスピーカー。
床にはふかふかのラグと、大小たくさんのビーズクッションとローテーブル。
人間がダメになりそうなグーデリアン仕様の装備が完備されている。
「天井の高さに制限があるから、ソファが置けなかったのが残念だが。」
「いやいや、むしろこれでいいよ~」
心底うれしそうに、クッションに頬ずりしながらグーデリアンは垂れた目尻をさらに下げた。
グーデリアンの意外な趣味の一つに、映画があった。
外国で暇を持て余す間に、ちょっと入ればハリウッドの新作映画ならほぼ字幕で世界中で鑑賞できる。
ハイネルに言わせると「ご都合主義の映画だから、どうせ主人公が勝つんだろう?」の一言て終わるんだけれど。
しかしレースシーズンには見損ねる映画も多く、オフシーズンにまとめてアメリカの自宅のシアターでディスクや配信で見ていたらしい。
しかし冬をドイツで過ごすようになってわざわざアメリカに帰るのも面倒になり、ハイネルが借りているラボ近くの小さなアパートメントのテレビ画面で見るようになった。
外は雪だし、馬とかいないし、ドイツ語はよくわからないし、他に部屋を借りるってのもめんどくさいし。
別に本人は気にしていないようだが、、大きな体を丸めていじいじと画面を見ている姿を見かけたハイネルはその姿に大きくため息をつき、クリスマスプレゼント兼、来年分の誕生日プレゼントとして自宅にホームシアターを作ってやろうかという気になったのだった。
「で、こちらの客間がお前の部屋だ。鍵は渡すから好きに使ってくれていい。」
門や玄関用の電子キーと、対象的にごつくクラッシックな鍵を渡たされた。
「ハイネルの部屋のカギは~?」
「馬鹿か。用があるなら執事長を通せ。」
シアターからドアを開け、黒い色彩の部屋から明るく清潔な部屋へ移る。大きな窓からハイネル家の敷地が見渡せた。
「あのさ、嬉しいけどこの家、お父さんとかお母さん帰ってくるんだろ?俺が常にいたらまずくない?」
ハイネルは窓の外を指さした。
「父は、あの小高い丘の向こうの本宅にいる。歩いて10分くらいかな。この別宅は私とリサしかいない。祖母はベルリンで暮らしている。家事は呼べば向こうの使用人が来てくれる。週末は、父もベルリンの祖母宅に行くのでいないはずだ。」
「別宅って・・ここだけで俺んちくらいあるよ?。」
「祖父母が住んでいた家で、祖父は車が好きだったから、大きなガレージがあるんだが父は興味がないらしい。お前の実家も広いだろう?」
「いや、でもうちは広いったって、農場とか牧場コミコミだしね?普通に一軒にみんなで住んでるよ?」
「それは色々と面倒じゃないか?」
「まぁ、彼女連れ込んで姉ちゃんと鉢合わせしたり、エロ本隠して掃除されて見つけられたりとか色々・・?・・って、それが普通でしょ。」
理解できない、と言った風情でハイネルは肩をすくめた。
「大体、ヨーロッパのある程度の家の子女というものは私立の基礎学校で10歳くらいまで過ごし、そういう子女を集めた適当な全寮制の高等学校に進んで、多少の理不尽を感じながら集団での立ち居振る舞いを学び、その後の人脈を作り、大学に進んでその後は独立して暮らすことが多い。親元で過ごす時間は非常に短いし、帰ってきても会えないことも多いから、そんなものだと思っている。」
「それ、寂しくない?」
さらっと言ってのけた、あまったれな大男にハイネルは眉を上げた。
一緒に暮らすようになって、こいつは十二分に家族の愛とうっとおしさを感じながら育ったんだろうと思うことがたびたびある。
家族の誕生日や記念日はきちんと覚えているし、いくらダイエット中だと言ってみても大量のチョコバーと一緒にどう着ればいいのかわからない奇抜なシャツが送られてきて、毎回懲りず電話で喧嘩してみたり。
カードを渡しておくから要るものは適宜購入するように、という親子関係はそれなりに快適ではあったが、そういえば、自分が最後に父に贈り物をしたのはいつだったかなとハイネルはふと思った。
「・・使用人に仕事を依頼する際はだな・・」
窓際の、古いけれどよく手入れされたテーブルセットに二人で腰かける。
先回って用意されていたコーヒーと焼き菓子をつまみながら、英語併記の内線の電話番号一覧に、ハイネルは食事はここ、雑務はここにかけろとくるくると印をつけていく。
「そういや、お母さんは?前はベルリンで会ったよね。」
「そもそも年に何度も帰ってこないからな。デザイン改良で時々メールのやり取りはしている。」
実は、シュトロゼットプロジェクト時代からのチームユニフォームはハイネルの母作である。
工業ファブリック関連のデザイナーで、ひらひらとした華麗な世界でもなく、常に伝導率やら強度やら、数字の並ぶ仕事をしている。
グーデリアンも採寸の際に会ったものの、若く見えるのと旧姓のままなので言われるまで気がつかなった。ハイネルよりはリサが年を取ったらこんな感じかなと思われる、緑色の目のとても元気でタフな女性である。
もともとはシュトロブラムスのファブリック関連子会社の社長令嬢で、その才能に惚れたハイネル氏が一方的に告白したという話だが、リサに言わせると、「デザイナーとしての才能と行動力はずば抜けているが、経営能力には欠けていて何度か実家の会社をつぶしかけたツワモノ」らしい。「そこにパパが現れて、この人なら財力があるから、少々無茶をしても仕事ができるわって思ったらしいわよ」という、娘に向かって人生における素敵な打算の仕方まで教える、本当に素敵なマダムである。
「・・中身そっくりだもんなぁ・・」
「何がだ?」
強い緑色の目が上がる。
実の母に、似てないから連れて歩くのにちょうどいいと豪語されるほどなのに、この色だけはしっかりと遺伝子の存在を感じさせる。
「いや、なんでも。」
道理で、お父さんはハイネルに厳しく、地味な仕事も覚えさせようと必死になっているわけだ。
逆にリサちゃんのほうが、表向きの明るさは母親似だけどしたたかな経営の才能はありそうだなと思いつつ、グーデリアンは焼き菓子を一つ口に放り込んだ。
「使用方法はこんなところだが、他に質問は?」
再びシアターに戻り、ハイネルは操作方法を一通り教えた。
「特にないでーす。」
ビーズクッションに埋もれてゴキゲンな声がする。
ハイネルはリモコンをいじり、適当なDVDを再生しながら音質の微調整をする。
「言っておくが、いくら防音とはいえ、専用施設じゃないんだから夜中にハリウッドは見るなよ。」
「どれくらいの防音なの?」
「音は大抵遮断できるが、重低音の地響きはするだろうな。夜のアクション映画は禁止だ。」
「りょうかーい。じゃ、試してみようか。」
「・・は?」
「声くらいなら思いっきり出していいってことだよな。」
「うわっ!」
意外な瞬発力で伸びてきた腕に絡められ、ハイネルはビーズクッションの山に押し込まれた。
もがくほどにクッションが密着してきてますます身動きがとれなくなる上から、大きな体がのしかかってくる。
「こういうバカげたことのために作ったんじゃない!」
「そのつもりで作ってくれたんでしょ?こんなに俺においしい仕様。」
「んな・・・わけあるかー!」
そんな抵抗はお構いなしに腕をおさえられ、眼鏡を外されながら、ハイネルは来年のクリスマスプレゼントもなしだ!と心に誓ったのであった。
世界を移動する仕事についていながら、ハイネルには、体質に大きな問題点を抱えていた。
実は車に酔いやすい。
正確に言うと、数人を除いて、他人の運転する車ではかなり酔いやすい。
酔う、という現象は、実は神経の問題ではなく、主に「不安」という要素によるところが多い。
自分が運転するシュティールがどれだけ揺れようと飛ぼうと全く問題はないが、多くのドライバーの運転では車の性能と運転技術について不安を感じ、一気に三半規管がぐるぐる回り始めるのだった。
トランスポーターのような大きな乗り物ならまだしも、否応なく視界が広がる乗用車においては、慣れた実家の運転手以外ではほとんどNG。
よって、移動は出来るだけ自分の運転で行う、というのが常になっていた。
シュトロブラムス本社の玄関から出てきたハイネルは携帯電話をのぞきこんだ。時間は12時になろうかとしている。この分だと、13時の約束には余裕を持って到着できるだろう。
ついでにメールを確認していると、目の前に銀色のスポーツカーが滑りこんできた。
「お待たせ。」
「あぁ。」
ハイネルはスーツの上着を脱ぐと、スポーツカーの助手席にするりと体を滑らせた。
「昼は食べたのか?」
シートベルトを締めながらハイネルはかばんを足の間に立てかけ、脚を伸ばした。
狭い乗り口から潜るように乗りこむが、スポーツカーの足元は意外に広い。
上着を座席の後に放り込もうとすると、そこに白い紙袋を見つけた。
「なんだ・・?」
「俺は食べながら来たよ。その袋の中に、車で食べられそうなものをもらってきた。」
ドリンクホルダーにはプラスチックのカップが刺さっており、ピーナツバターを添えたニンジンとセロリのスティックと、ストローの刺さった、なにやらピンクの飲み物が置いてある。
「シェイクか?」
「まさか。ストロベリーとヨーグルトのスムージー。袋の中にハンバーガーあるからちょうだい?」
セロリとニンジンをぽいっと口に放り込み、カップを重ねて場所を開ける。
ハイネルが覗いた紙袋の中には、銀色の包みと、白い紙箱とフルーツの入ったカップ、飲み物が入ったマグボトルと水のボトルが入っていた。
ハイネルのラボには食堂件カフェがあり、24時間、適当な飲み物と軽食、果物や菓子などがつまめるようになっていた。キッチンスタッフがいる昼には温かい料理を出し、忙しいスタッフ向けにランチボックスにも対応してくれる。
夕方には冷蔵庫にスープやサラダ、夜食用のサンドイッチなどを適宜ストックしておいてくれるため、気がつけば3食カフェで食べているスタッフも結構いた。
独身男性ばかりのファクトリーで、食生活は健康管理における重要な問題点だとハイネルは考えていた。
(自分のことは棚に上げて)
肉体労働がメインのスタッフはつい肉肉肉!とシンプルかつ脂っこい食事に偏り、コレステロール値や血圧の新記録を樹立する。一方頭脳労働スタッフたちは甘いものとカフェイン中毒になり、ダストボックスはお菓子の包み紙とコーラのペットボトルで常に山盛りになっている。
そんなことでワールドチャンプが獲れるか!と、福利厚生の一環として、無料で健康的な食事を提供することにしたのである。
もっとも、キッチンスタッフにとって一番ツッコミどころがあるのはハイネル自身の食生活であり、誰よりも偉いはずの若い監督が時々自分の母親ほどの年のパートのマダムにお小言を食らっているのを、皆が目撃していたりする。
銀紙を半分はがし、グーデリアンの手に渡す。パドルシフトで器用にギアを変えながらグーデリアンは大きな口でハンバーガーをほおばり始めた。
ハイネルが白い紙箱を開けると、中身はヌードルのようだった。緑色のハーブとエビ、豚肉などが入っていてピーナツなどが散らしてある。
「ミーゴレン、か?」
「えーと、パッタイ風とか言ってたかな。」
フォークで下から混ぜるとふわっとライムとコリアンダーの香りがたった。ハイネルは一口ほおばると、一瞬首をかしげた。
「どうよ?」
「・・酸味はさっぱりしていていいんだが・・コリアンダーは減らしたほうがいい。青臭い。」
「お前、実は好き嫌い多いよな。またマリアおばちゃんにいつも同じものばかり食べてるって怒られるぞ。」
「うるさい。」
実のところ、ハイネルには出来るなら食べたくないものが結構あった。
ピーマンのほか、生のハーブ類、酵素の多い果物、ねっとりと甘いドライフルーツやマジパン菓子から、殻付き甲殻類まで。
大っぴらにあれが嫌いこれが嫌いと言っているわけではないし、一応常識ある大人なので会食やパーティーで出されればおとなしく口に入れるが、プライベートに近い食事をする際にはそのあたりが大きく露見する。
二人きりの時に至っては、用意した朝食からパセリやチャイブのかけらを丁寧につまみだす姿に、グーデリアンは子供かよと呆れたものだった。
それでもなんとか一食を胃に収め、次にフルーツのカップを開けるとまずピックでキウイを刺し、信号待ちの間にグーデリアンのほうへ差し出す。それが大きな口へ消えたのを確認し、安心したように林檎やオレンジを食べ始めた。
「今日の仕事は何時頃終わるの?」
「一時間程度で終わると思う。ラボに帰るのが15時くらいになる。」
食後にキシリトールのガムを噛みながら、ハイネルは精一杯シートをリクライニングさせた。
たださえ足りていない睡眠時間を補うためなら運転手つきのセダンで仮眠を取りながら移動するのが一番なのだが、不便な体質のためそれも利かず、2シーター車を自分で運転していくのが常になっていた。
(もちろん周囲は止めようとしたが、そのほうが早い、といわれれば反論できない。)
そこで、最近では時間さえあればグーデリアンが送り迎えをすることが増えていた。
「午前中に俺が大体データ取り終わってるから、急がなくていいと思うよ。」
「トレーニングは?」
「待ってる間にそのへん走っとくよ。今日の仕事は何?」
「高級スポーツモデルの部品の一つが、製造がうまく回らず、困っているらしい。小さな町工場の職人技だからばらつきも多いのだろうが、その精度がないと困るんだが・・。」
スポンサーと引き換えに、オフシーズンにはシュトロブラムスの仕事も請け負っているハイネルだが、ハイネルの父は、意外にも地味な仕事を回してくることが多かった。
採算の合わない工場の改善、欲しい精度が上がらない部品の製造方法の改良、リコール原因の調査など。
新車のモデリングやエンジン開発などならほぼ問題なくこなせるはずのハイネルにそんな地味な仕事をと思うが、シュトロブラムスが確実な収益を上げ、従業員を養うための大切な仕事を任せることで父は後継者としての自覚を促しているのかもしれない。
実際、専門的知識がありながら視野が広く、広い人脈と行動力を持ち合わせた息子は父の依頼に迅速に結果を出し、重役たちに対して実力を示すことで自然と発言力を強めて行った。
「車一つに、色々大変だねぇ。」
「彼らのおかげで利益を出せているんだ。もっとも、お前のクラッシュが減ればこんなに働かなくても・・。」
ぼやいてはみるが、頼られたら嫌と言えないのがハイネルであり、大企業の社長にも気負わず小さな町工場の主人にも親身で対応できるものだから、年々仕事は増える一方である。
「・・10分前になったら起こしてくれ。帰りは私が運転するから・・・・。」
呟きながらハイネルはシートに埋もれ、眼を閉じた。
その横顔をちらりと横見して、グーデリアンは精一杯揺らさないように高速道路へ滑り込んだ。
実は車に酔いやすい。
正確に言うと、数人を除いて、他人の運転する車ではかなり酔いやすい。
酔う、という現象は、実は神経の問題ではなく、主に「不安」という要素によるところが多い。
自分が運転するシュティールがどれだけ揺れようと飛ぼうと全く問題はないが、多くのドライバーの運転では車の性能と運転技術について不安を感じ、一気に三半規管がぐるぐる回り始めるのだった。
トランスポーターのような大きな乗り物ならまだしも、否応なく視界が広がる乗用車においては、慣れた実家の運転手以外ではほとんどNG。
よって、移動は出来るだけ自分の運転で行う、というのが常になっていた。
シュトロブラムス本社の玄関から出てきたハイネルは携帯電話をのぞきこんだ。時間は12時になろうかとしている。この分だと、13時の約束には余裕を持って到着できるだろう。
ついでにメールを確認していると、目の前に銀色のスポーツカーが滑りこんできた。
「お待たせ。」
「あぁ。」
ハイネルはスーツの上着を脱ぐと、スポーツカーの助手席にするりと体を滑らせた。
「昼は食べたのか?」
シートベルトを締めながらハイネルはかばんを足の間に立てかけ、脚を伸ばした。
狭い乗り口から潜るように乗りこむが、スポーツカーの足元は意外に広い。
上着を座席の後に放り込もうとすると、そこに白い紙袋を見つけた。
「なんだ・・?」
「俺は食べながら来たよ。その袋の中に、車で食べられそうなものをもらってきた。」
ドリンクホルダーにはプラスチックのカップが刺さっており、ピーナツバターを添えたニンジンとセロリのスティックと、ストローの刺さった、なにやらピンクの飲み物が置いてある。
「シェイクか?」
「まさか。ストロベリーとヨーグルトのスムージー。袋の中にハンバーガーあるからちょうだい?」
セロリとニンジンをぽいっと口に放り込み、カップを重ねて場所を開ける。
ハイネルが覗いた紙袋の中には、銀色の包みと、白い紙箱とフルーツの入ったカップ、飲み物が入ったマグボトルと水のボトルが入っていた。
ハイネルのラボには食堂件カフェがあり、24時間、適当な飲み物と軽食、果物や菓子などがつまめるようになっていた。キッチンスタッフがいる昼には温かい料理を出し、忙しいスタッフ向けにランチボックスにも対応してくれる。
夕方には冷蔵庫にスープやサラダ、夜食用のサンドイッチなどを適宜ストックしておいてくれるため、気がつけば3食カフェで食べているスタッフも結構いた。
独身男性ばかりのファクトリーで、食生活は健康管理における重要な問題点だとハイネルは考えていた。
(自分のことは棚に上げて)
肉体労働がメインのスタッフはつい肉肉肉!とシンプルかつ脂っこい食事に偏り、コレステロール値や血圧の新記録を樹立する。一方頭脳労働スタッフたちは甘いものとカフェイン中毒になり、ダストボックスはお菓子の包み紙とコーラのペットボトルで常に山盛りになっている。
そんなことでワールドチャンプが獲れるか!と、福利厚生の一環として、無料で健康的な食事を提供することにしたのである。
もっとも、キッチンスタッフにとって一番ツッコミどころがあるのはハイネル自身の食生活であり、誰よりも偉いはずの若い監督が時々自分の母親ほどの年のパートのマダムにお小言を食らっているのを、皆が目撃していたりする。
銀紙を半分はがし、グーデリアンの手に渡す。パドルシフトで器用にギアを変えながらグーデリアンは大きな口でハンバーガーをほおばり始めた。
ハイネルが白い紙箱を開けると、中身はヌードルのようだった。緑色のハーブとエビ、豚肉などが入っていてピーナツなどが散らしてある。
「ミーゴレン、か?」
「えーと、パッタイ風とか言ってたかな。」
フォークで下から混ぜるとふわっとライムとコリアンダーの香りがたった。ハイネルは一口ほおばると、一瞬首をかしげた。
「どうよ?」
「・・酸味はさっぱりしていていいんだが・・コリアンダーは減らしたほうがいい。青臭い。」
「お前、実は好き嫌い多いよな。またマリアおばちゃんにいつも同じものばかり食べてるって怒られるぞ。」
「うるさい。」
実のところ、ハイネルには出来るなら食べたくないものが結構あった。
ピーマンのほか、生のハーブ類、酵素の多い果物、ねっとりと甘いドライフルーツやマジパン菓子から、殻付き甲殻類まで。
大っぴらにあれが嫌いこれが嫌いと言っているわけではないし、一応常識ある大人なので会食やパーティーで出されればおとなしく口に入れるが、プライベートに近い食事をする際にはそのあたりが大きく露見する。
二人きりの時に至っては、用意した朝食からパセリやチャイブのかけらを丁寧につまみだす姿に、グーデリアンは子供かよと呆れたものだった。
それでもなんとか一食を胃に収め、次にフルーツのカップを開けるとまずピックでキウイを刺し、信号待ちの間にグーデリアンのほうへ差し出す。それが大きな口へ消えたのを確認し、安心したように林檎やオレンジを食べ始めた。
「今日の仕事は何時頃終わるの?」
「一時間程度で終わると思う。ラボに帰るのが15時くらいになる。」
食後にキシリトールのガムを噛みながら、ハイネルは精一杯シートをリクライニングさせた。
たださえ足りていない睡眠時間を補うためなら運転手つきのセダンで仮眠を取りながら移動するのが一番なのだが、不便な体質のためそれも利かず、2シーター車を自分で運転していくのが常になっていた。
(もちろん周囲は止めようとしたが、そのほうが早い、といわれれば反論できない。)
そこで、最近では時間さえあればグーデリアンが送り迎えをすることが増えていた。
「午前中に俺が大体データ取り終わってるから、急がなくていいと思うよ。」
「トレーニングは?」
「待ってる間にそのへん走っとくよ。今日の仕事は何?」
「高級スポーツモデルの部品の一つが、製造がうまく回らず、困っているらしい。小さな町工場の職人技だからばらつきも多いのだろうが、その精度がないと困るんだが・・。」
スポンサーと引き換えに、オフシーズンにはシュトロブラムスの仕事も請け負っているハイネルだが、ハイネルの父は、意外にも地味な仕事を回してくることが多かった。
採算の合わない工場の改善、欲しい精度が上がらない部品の製造方法の改良、リコール原因の調査など。
新車のモデリングやエンジン開発などならほぼ問題なくこなせるはずのハイネルにそんな地味な仕事をと思うが、シュトロブラムスが確実な収益を上げ、従業員を養うための大切な仕事を任せることで父は後継者としての自覚を促しているのかもしれない。
実際、専門的知識がありながら視野が広く、広い人脈と行動力を持ち合わせた息子は父の依頼に迅速に結果を出し、重役たちに対して実力を示すことで自然と発言力を強めて行った。
「車一つに、色々大変だねぇ。」
「彼らのおかげで利益を出せているんだ。もっとも、お前のクラッシュが減ればこんなに働かなくても・・。」
ぼやいてはみるが、頼られたら嫌と言えないのがハイネルであり、大企業の社長にも気負わず小さな町工場の主人にも親身で対応できるものだから、年々仕事は増える一方である。
「・・10分前になったら起こしてくれ。帰りは私が運転するから・・・・。」
呟きながらハイネルはシートに埋もれ、眼を閉じた。
その横顔をちらりと横見して、グーデリアンは精一杯揺らさないように高速道路へ滑り込んだ。
「遅くなってしまったな・・」
昼時を少し過ぎたころ、運営がらみの雑用から、ハイネルは風見ハヤトと歩いていた。
他にも数人のドライバーが呼ばれていたのだが、ピットごとに次々と消え、結局一番奥の二人が残ることになっただけのことだか、珍しい取り合わせではあった。
シュトロゼックのホスピタリティテント前にたどり着いた時、ハイネルが声をかけた。
「私は今から食事なんだが、風見も一緒にどうだ?」
「僕はいいですよ、スゴウで食べます。」
「加賀はしょっちゅうたかりに来ているから遠慮しなくていい。この時間ならどうせ一人だしな。
もっとも終わりがけだからあまり種類はなさそうだが・・。」
ハイネルは目を凝らし、奥にある本日の手書きメニューを見る。
「えーと・・肉じゃがとオムレツのプレート、と、白身魚のトマトパスタ・・だそうだ。」
「肉じゃが!?肉じゃがお願いします!」
ハイネルも同じものを受け取り、テントのテーブルに席をとる。
皿とフォークで多少食べにくそうなものの、ハヤトは少年らしい旺盛な食欲で瞬く間に皿をたいらげた。
にこにこと食後のオレンジジュースを飲むハヤトに、ハイネルは優しく微笑んだ。
「日本料理のオリジナルに近い仕上がりだったか?」
「おいしかったです!肉じゃがが食べられるなんて思わなかったから、びっくりしました。」
「それはよかった。できるだけ家庭料理や地方料理を出すようにしてもらっているんだ。」
「加賀さんも、シュトロゼックの飯が一番うまいって言ってました。ちなみにワーストはスゴウだそうです・・。」
「・・スゴウは一体、普段何食べているんだ・・それは日本流の修行なのか?」
「いやまぁ、・・ケータリングは普通なんですけど、アスカのアレンジが・・。
日本では日の丸って言ってお弁当のご飯の真ん中によく梅干し入れるんですけど、こないだは赤いから同じでしょって、コチュジャンが入ってました。おにぎりにイチゴキャラメルが入っていたときもあったかな・・・」
「好みだが、胃には悪そうな取り合わせだな・・。」
「修さんはおいしいって食べてましたけど・・」
スゴウに勝つにはそこまでストイックにならなくてはいけないのかと、ハイネルは首を軽く横に降った。
「ところで、ひのまるとは、太陽のことなのか?」
「そうですよ。」
「日本では、太陽は赤で表すんだな。ヨーロッパでは黄色が多い。」
「黄色は日本では月の色ですよ。」
「月は・・白か銀かな。」
そういえば、太陽とはどんな色だったろうとハイネルがテントの下から空に眼をやった時、淡い黄色の髪がぬっと視界を占拠した。
「やっほ、風見。ハーイネル、食事中悪いんだけどスタッフが探してた。リサちゃんでもわからなくて困ってるみたいだぜ。」
「そうか、今行く。お前は食事はすんだのか?」
「とっくに食べてるよ。ごめんな風見。」
「いえ、ご馳走様でした!」
「すまないな。」
皿を片づけ、二人並んでテントを出ると、ピットに向かって歩きだす。
直射日光がハイネルの顔を刺し、その眩しさに思わず空を睨みつけた。
「どしたの?」
「・・太陽は、空から何を見ているんだろうと思ってな。」
「んー?」
グーデリアンが同じ方向を見上げる。金髪が光に透けて、太陽と同じ色になる。
地表から見る青い空と黄色い太陽はあまりにも遠くて眩しくて。
自分を地面に縛り付ける強い重力を降りきるためには、人知を超えた大きな力が必要だった。
「そうだなー、地球っていいなって思ってそうだな。森とか土があって、生き物がいてさ。
でも、近付くには空気が邪魔してて、仲良くなれなくて困ってるみたいな?。」
たったの1 Lで1 g。それが縦に数十km。
精一杯の隕石や紫外線でアプローチしても、燃え尽きたりしてなかなか地表には届かない。
「なんつか、片思いなんだろね。」
もうちょっとで手が届くのにと思いながら、緑の森を眺めてるんじゃないかなと思う。
と、グーデリアンはハイネルが自分の顔を覗き込んでいるのに気がついた。
「まさか・・またどこかで人妻とスキャンダルでも起こしてきたんじゃないだろうな。」
至近距離からいぶかしげな緑色の瞳に覗きこまれ、グーデリアンは思わず一歩後ずさった。
「ちょっと!ひっどーいそれ!全然信用されてない俺?!」
「どこをどう信用すればいいのか私にはわからん。」
「ちょっとぉ!」
「まぁ・・リサが困っているだろうからさっさと行くぞ。」
「あ、こら、置いてくなってば!」
二つの影は近くなったり遠くなったりしながら、それでも絶妙な距離を保って歩き始めた。
傍から見ればもどかしくて仕方無くて、果てしない距離。でも、そんなものはなんとでもなるのだ。
距離が長ければロケットを飛ばせばいいし、紫外線が届かなければオゾンホールを開けてしまえばいい。
不可能なんてないんだ。むしろ、難題は多いほうが盛り上がらないか。
人の迷惑?知らないね!。
----------------------------
普通、太陽に対してなら月でいけってね。
昼時を少し過ぎたころ、運営がらみの雑用から、ハイネルは風見ハヤトと歩いていた。
他にも数人のドライバーが呼ばれていたのだが、ピットごとに次々と消え、結局一番奥の二人が残ることになっただけのことだか、珍しい取り合わせではあった。
シュトロゼックのホスピタリティテント前にたどり着いた時、ハイネルが声をかけた。
「私は今から食事なんだが、風見も一緒にどうだ?」
「僕はいいですよ、スゴウで食べます。」
「加賀はしょっちゅうたかりに来ているから遠慮しなくていい。この時間ならどうせ一人だしな。
もっとも終わりがけだからあまり種類はなさそうだが・・。」
ハイネルは目を凝らし、奥にある本日の手書きメニューを見る。
「えーと・・肉じゃがとオムレツのプレート、と、白身魚のトマトパスタ・・だそうだ。」
「肉じゃが!?肉じゃがお願いします!」
ハイネルも同じものを受け取り、テントのテーブルに席をとる。
皿とフォークで多少食べにくそうなものの、ハヤトは少年らしい旺盛な食欲で瞬く間に皿をたいらげた。
にこにこと食後のオレンジジュースを飲むハヤトに、ハイネルは優しく微笑んだ。
「日本料理のオリジナルに近い仕上がりだったか?」
「おいしかったです!肉じゃがが食べられるなんて思わなかったから、びっくりしました。」
「それはよかった。できるだけ家庭料理や地方料理を出すようにしてもらっているんだ。」
「加賀さんも、シュトロゼックの飯が一番うまいって言ってました。ちなみにワーストはスゴウだそうです・・。」
「・・スゴウは一体、普段何食べているんだ・・それは日本流の修行なのか?」
「いやまぁ、・・ケータリングは普通なんですけど、アスカのアレンジが・・。
日本では日の丸って言ってお弁当のご飯の真ん中によく梅干し入れるんですけど、こないだは赤いから同じでしょって、コチュジャンが入ってました。おにぎりにイチゴキャラメルが入っていたときもあったかな・・・」
「好みだが、胃には悪そうな取り合わせだな・・。」
「修さんはおいしいって食べてましたけど・・」
スゴウに勝つにはそこまでストイックにならなくてはいけないのかと、ハイネルは首を軽く横に降った。
「ところで、ひのまるとは、太陽のことなのか?」
「そうですよ。」
「日本では、太陽は赤で表すんだな。ヨーロッパでは黄色が多い。」
「黄色は日本では月の色ですよ。」
「月は・・白か銀かな。」
そういえば、太陽とはどんな色だったろうとハイネルがテントの下から空に眼をやった時、淡い黄色の髪がぬっと視界を占拠した。
「やっほ、風見。ハーイネル、食事中悪いんだけどスタッフが探してた。リサちゃんでもわからなくて困ってるみたいだぜ。」
「そうか、今行く。お前は食事はすんだのか?」
「とっくに食べてるよ。ごめんな風見。」
「いえ、ご馳走様でした!」
「すまないな。」
皿を片づけ、二人並んでテントを出ると、ピットに向かって歩きだす。
直射日光がハイネルの顔を刺し、その眩しさに思わず空を睨みつけた。
「どしたの?」
「・・太陽は、空から何を見ているんだろうと思ってな。」
「んー?」
グーデリアンが同じ方向を見上げる。金髪が光に透けて、太陽と同じ色になる。
地表から見る青い空と黄色い太陽はあまりにも遠くて眩しくて。
自分を地面に縛り付ける強い重力を降りきるためには、人知を超えた大きな力が必要だった。
「そうだなー、地球っていいなって思ってそうだな。森とか土があって、生き物がいてさ。
でも、近付くには空気が邪魔してて、仲良くなれなくて困ってるみたいな?。」
たったの1 Lで1 g。それが縦に数十km。
精一杯の隕石や紫外線でアプローチしても、燃え尽きたりしてなかなか地表には届かない。
「なんつか、片思いなんだろね。」
もうちょっとで手が届くのにと思いながら、緑の森を眺めてるんじゃないかなと思う。
と、グーデリアンはハイネルが自分の顔を覗き込んでいるのに気がついた。
「まさか・・またどこかで人妻とスキャンダルでも起こしてきたんじゃないだろうな。」
至近距離からいぶかしげな緑色の瞳に覗きこまれ、グーデリアンは思わず一歩後ずさった。
「ちょっと!ひっどーいそれ!全然信用されてない俺?!」
「どこをどう信用すればいいのか私にはわからん。」
「ちょっとぉ!」
「まぁ・・リサが困っているだろうからさっさと行くぞ。」
「あ、こら、置いてくなってば!」
二つの影は近くなったり遠くなったりしながら、それでも絶妙な距離を保って歩き始めた。
傍から見ればもどかしくて仕方無くて、果てしない距離。でも、そんなものはなんとでもなるのだ。
距離が長ければロケットを飛ばせばいいし、紫外線が届かなければオゾンホールを開けてしまえばいい。
不可能なんてないんだ。むしろ、難題は多いほうが盛り上がらないか。
人の迷惑?知らないね!。
----------------------------
普通、太陽に対してなら月でいけってね。
「私の車がそろそろ代え時なんだ。ついでに、不便だと思うからそろそろお前用にも一台車を用意しようと思うんだが。」
トレーニングから戻ってきたグーデリアンに、ハイネルは唐突に尋ねかけた。
チーム移籍でドイツに滞在するようになって、グーデリアンは最初、ハイネルやチームクルーに送り迎えをしてもらっていた。
が、生来のカウボーイ。滞在が長くなるとふらっと放浪癖も出てくる。
その時はとりあえず、ハイネルの車を借りて出かけてみたがこの車が激しかった。
加速は妙なGがかかり、ブレーキは効きすぎる。これは、絶対女の子とのドライブには使えないやつだよな。
最近の市販車はすごいねぇと呑気に思いつつ、ちょっと気まぐれにカーブを攻めてみればアタリ幅が非常にシビアで、いつものつもりで曲がったらいきなりスピンして植木に突っ込みそうになった。
さすがに咄嗟のコントロールで激突は回避したが、ひどくタイヤを減らしてしまったため、ものすごい勢いで怒鳴られると恐る恐る報告したら、持ち主は「そろそろ代え時だから壊してもよかったのに」と来たもんだ。
ハイネルは関連会社の、「高くなるほど小さく軽くなる」不思議なラインナップのスポーツシリーズの、とあるモデルを数年ごとに乗りつぶしていた。
小さく軽い車体に呆れる馬力を積んでそのままサーキットに持っていってもそこそこのタイムが叩きだせる、現行販売車の中ではかなりのチートモデルではある。
しかしイタリア車にあるようなギラギラした感じは全くなく、むしろ地味である。それも最新型を狙っているわけでもなく、ある程度距離がきたら乗り換える。
親会社に操をたてているのかとも思ったが、ハイネルは車に関してはグーデリアン以上に手癖が悪いというか恋多き男であり、本宅のガレージには「いつか乗るから!」という理由で1ダースも車が隠してあったりするから、特に、身近でCFや趣味の車に固執する姿を見ているグーデリアンとしてはなにかあっさりしすぎて気味が悪いとすら感じていた。
「俺そんなに乗らないし、もったいないから、ハイネルさえよければ借りものでいいよ。」
ちょっと遠慮して、というか、嫌な予感のするグーデリアンは大げさに要らないそぶりを見せてみた。
「いやそんなに高くない・・確か原価はこれくらいだ。」
端末の端をちょちょっと触りこっそり出されたその金額を見て、一応まだ一般人に近い金銭感覚をもつグーデリアンはくらっと来た。
「段差も道幅もそんなに気にしなくていいし、なにより壊してもすぐ代えがきくぞ?」
坊ちゃんはまるで家族向けコンパクトカーの宣伝でもするようにしれっと、世の中のオーナー達が聞いたら徒党を組んでクレームをつけてきそうな暴言を吐いた。
そして数日後、前の車とほとんど変わっていない新車がラボに届いた。
キーを受け取るなり、ハイネルはエンジンルームを開け、スタッフに声をかける。
「誰かコントロールユニット持ってるか?」
「どうぞ。」
受け取ったタブレットをケーブルに繋ぎ、パスワードを打ち込んでハイネルは何やら入力を始めた。
「何してんの?」
「いや、コンピューターの設定だけちょっと・・さすがにそのままだと、コンピューター制御が効きすぎて気持ちが悪い。」
「精密機械同士が干渉しあってんの?」
軽口をたたきつつ、後から画面を覗き込んだグーデリアンは目を疑った。
「ちょ、何だよこれ!これだとCFレーサーかカウボーイくらいしか運転できないってば!」
「私とお前くらいしか運転しないから、問題ないだろう?手放す時は戻してるぞ?」
いやいやいやいや。こんなのサイバーシステムなしのCFと変わらないよ?。
そもそもRRのライトウエイトって、いくら前にガソリンタンクつけても前のタイヤはお飾りでしょ?
この車で、この設定でハイネルは去年のあの冬の雪道を走っていたわけ?
そして、結構お抱え運転手もやっちゃってる今年は、それは俺の役目なわけ?
いくらレーサーとはいえ、実はあまり雪なんか降らない地方に住んでいる身としてはそれはあまりにも過酷な状況だった。
「知らなかったんですか・・グーデリアンさん・・・」
「さすがハイテクのカウボーイっていうか。」
「それでも乗れてたってすごいよなぁ。」
「うん。俺ならちょっと考える。・・・・野性児?」
スタッフ一同から、憐れみを通り越して称賛の目が向けられる。
さすがお前だよ、俺達どれだけ監督を崇拝してても、絶対そこまで尽くせません。
「で、結局車は本当に要らないのか?」
それでも新車はそれなりに嬉しいのか、機嫌のよいハイネルはエンジンルームをぱたんと閉めながら呆然とするグーデリアンに声をかけた。
「あー・・やっぱり4WDのSUV一台お願いします・・雪道とか乗りやすいやつ・・どノーマルで・・。」
大きな図体をしなっと萎れさせて、まるで燃え尽きたボクサーのようにパイプ椅子に座りこんでしまったグーデリアンが呟いた。
「ふぅん?・・まぁ、手配するが。なんならスタッフに手伝ってもらえば、ターボユニット後付けとかもできるぞ?」
ハイネルが小首を傾げる。
「普通でいいです。つか、普通がいいです。おねがいしまぁす・・・・・」
グーデリアンは力なく笑った。
だから精密機械ってのは!
トレーニングから戻ってきたグーデリアンに、ハイネルは唐突に尋ねかけた。
チーム移籍でドイツに滞在するようになって、グーデリアンは最初、ハイネルやチームクルーに送り迎えをしてもらっていた。
が、生来のカウボーイ。滞在が長くなるとふらっと放浪癖も出てくる。
その時はとりあえず、ハイネルの車を借りて出かけてみたがこの車が激しかった。
加速は妙なGがかかり、ブレーキは効きすぎる。これは、絶対女の子とのドライブには使えないやつだよな。
最近の市販車はすごいねぇと呑気に思いつつ、ちょっと気まぐれにカーブを攻めてみればアタリ幅が非常にシビアで、いつものつもりで曲がったらいきなりスピンして植木に突っ込みそうになった。
さすがに咄嗟のコントロールで激突は回避したが、ひどくタイヤを減らしてしまったため、ものすごい勢いで怒鳴られると恐る恐る報告したら、持ち主は「そろそろ代え時だから壊してもよかったのに」と来たもんだ。
ハイネルは関連会社の、「高くなるほど小さく軽くなる」不思議なラインナップのスポーツシリーズの、とあるモデルを数年ごとに乗りつぶしていた。
小さく軽い車体に呆れる馬力を積んでそのままサーキットに持っていってもそこそこのタイムが叩きだせる、現行販売車の中ではかなりのチートモデルではある。
しかしイタリア車にあるようなギラギラした感じは全くなく、むしろ地味である。それも最新型を狙っているわけでもなく、ある程度距離がきたら乗り換える。
親会社に操をたてているのかとも思ったが、ハイネルは車に関してはグーデリアン以上に手癖が悪いというか恋多き男であり、本宅のガレージには「いつか乗るから!」という理由で1ダースも車が隠してあったりするから、特に、身近でCFや趣味の車に固執する姿を見ているグーデリアンとしてはなにかあっさりしすぎて気味が悪いとすら感じていた。
「俺そんなに乗らないし、もったいないから、ハイネルさえよければ借りものでいいよ。」
ちょっと遠慮して、というか、嫌な予感のするグーデリアンは大げさに要らないそぶりを見せてみた。
「いやそんなに高くない・・確か原価はこれくらいだ。」
端末の端をちょちょっと触りこっそり出されたその金額を見て、一応まだ一般人に近い金銭感覚をもつグーデリアンはくらっと来た。
「段差も道幅もそんなに気にしなくていいし、なにより壊してもすぐ代えがきくぞ?」
坊ちゃんはまるで家族向けコンパクトカーの宣伝でもするようにしれっと、世の中のオーナー達が聞いたら徒党を組んでクレームをつけてきそうな暴言を吐いた。
そして数日後、前の車とほとんど変わっていない新車がラボに届いた。
キーを受け取るなり、ハイネルはエンジンルームを開け、スタッフに声をかける。
「誰かコントロールユニット持ってるか?」
「どうぞ。」
受け取ったタブレットをケーブルに繋ぎ、パスワードを打ち込んでハイネルは何やら入力を始めた。
「何してんの?」
「いや、コンピューターの設定だけちょっと・・さすがにそのままだと、コンピューター制御が効きすぎて気持ちが悪い。」
「精密機械同士が干渉しあってんの?」
軽口をたたきつつ、後から画面を覗き込んだグーデリアンは目を疑った。
「ちょ、何だよこれ!これだとCFレーサーかカウボーイくらいしか運転できないってば!」
「私とお前くらいしか運転しないから、問題ないだろう?手放す時は戻してるぞ?」
いやいやいやいや。こんなのサイバーシステムなしのCFと変わらないよ?。
そもそもRRのライトウエイトって、いくら前にガソリンタンクつけても前のタイヤはお飾りでしょ?
この車で、この設定でハイネルは去年のあの冬の雪道を走っていたわけ?
そして、結構お抱え運転手もやっちゃってる今年は、それは俺の役目なわけ?
いくらレーサーとはいえ、実はあまり雪なんか降らない地方に住んでいる身としてはそれはあまりにも過酷な状況だった。
「知らなかったんですか・・グーデリアンさん・・・」
「さすがハイテクのカウボーイっていうか。」
「それでも乗れてたってすごいよなぁ。」
「うん。俺ならちょっと考える。・・・・野性児?」
スタッフ一同から、憐れみを通り越して称賛の目が向けられる。
さすがお前だよ、俺達どれだけ監督を崇拝してても、絶対そこまで尽くせません。
「で、結局車は本当に要らないのか?」
それでも新車はそれなりに嬉しいのか、機嫌のよいハイネルはエンジンルームをぱたんと閉めながら呆然とするグーデリアンに声をかけた。
「あー・・やっぱり4WDのSUV一台お願いします・・雪道とか乗りやすいやつ・・どノーマルで・・。」
大きな図体をしなっと萎れさせて、まるで燃え尽きたボクサーのようにパイプ椅子に座りこんでしまったグーデリアンが呟いた。
「ふぅん?・・まぁ、手配するが。なんならスタッフに手伝ってもらえば、ターボユニット後付けとかもできるぞ?」
ハイネルが小首を傾げる。
「普通でいいです。つか、普通がいいです。おねがいしまぁす・・・・・」
グーデリアンは力なく笑った。
だから精密機械ってのは!
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ここはいわゆる同人誌といわれるものを扱っているファンサイトです。
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