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『・・ここはどこだ。俺はどうした?』

-ここは深い海の底か、それとも棺桶の中なのか。

暗闇の中に横たわるグーデリアンは呻き声を上げようとしたが、喉はからからに枯れていて、口から出たものは虚しく吹き荒ぶ風のようで。
腕を動かそうとしたが、体全体にのしかかっているじっとりと冷たい何かが重すぎて指先一本すら動かない。

『誰か・・助けてくれ!』
完全な無音と闇の中で、グーデリアンは声にならない叫びを上げ続けた。


「・グ・・・デリアン・・・・・グーデリアン?」
「う・・・・・・・・・?」
「・・うなされていたぞ。」
乱暴に揺り動かされて、グーデリアンは薄く目を開けた。
ぼんやりする視界に入ってきたものは、薄暗がりの中で自分を覗きこむ緑色の眼だった。
「あー・・・夢、か。」
震える指を動かし、腕を動かして感触を確かめる。いつも通りの動きに、グーデリアンは大きく息を吐いた。
「・・フラッシュバックか?」
「・・そんなとこ?」
細い指が絡みつく金髪をかきわけ、グーデリアンの首筋に触れる。脈や熱を計っているのだろうか。体温がじわりと凍りついた体に染みてくる。
「汗をかいているな。シャツは代えたほうがいい。あと、医師から安定剤を預かっている。飲むか?」
「・・欲しい。」
「少し待っていろ。」
ほぼ無意識にグーデリアンの頭を軽く叩き、ハイネルはドアを開けて出ていった。

程なくして、ハイネルが水と錠剤を持って戻ってきた。ルームライトが白い肌を浮き上がらせる。
「ありがと。起こしちまったよな・・悪い。」
「いや、今から寝るところだったんだ。バスを使って出てきたら声が聞こえた。」
「・・・そっか。」
なんとか体を起こし、着替えを済ませたグーデリアンは錠剤をのみ込んだ。


-魔のクラッシュから1カ月ほど。
驚異的な回復力によって体は日常生活には支障のない程度には戻っていた。
しかし、心に深く残る傷は前触れもなく時折水面に顔を出し、グーデリアンの精神に爪を立てていた。


「じゃあ、明日朝にカウンセリングを手配しておく。」
「・・へい。」
水のグラスを受け取って、ハイネルはグーデリアンの上掛けを直してやった。几帳面に動く手がグーデリアンの頬に当たる。その温もりがとても気持ちよくて。
「じゃ、おやすみ。」
立ち上がろうとしたハイネルの腕を、グーデリアンは思わず掴んでいた。
「・・っ、あ。」
「・・どうした?」
振り返った緑色の瞳と同様に、グーデリアン自身も混乱していたのかもしれない。
「・・一人に、なりたくない。」
口から出た言葉は、意外なほど弱くて。
一番弱みを見せたくない相手のはずなのに、どうしてこういう時に限って一緒にいたいと思うのだろう。
さすがに気持ち悪がられるか嘲笑われるだろうと、あわててグーデリアンは掴んでいた腕を離した。
しかし、一度ゆっくり大きく瞬いたハイネルの緑色の瞳には意外にも、優しい色が含まれていた。

「・・まったく。」
グーデリアンがもちこんだ業者泣かせの馬鹿デカいベッドをため息交じりに眺めると、ハイネルは反対側からさっさと上掛けの中にもぐりこんだ。
「・・・・いいの?」
「・・仕事もひと段落したしな。隣の部屋から呼ばれるよりは効率がよい。」
メガネをチェストに置きながら、枕の具合を直す。横向きに寝転んでグーデリアンはその様子をじっと見ていた。
「なぁ、ハイネルは派手にクラッシュした時とか、眠れなくなったりしねぇの?」
「冷静に分析し、次に起こさなければいいだけの話だ。第一、私はお前と違ってクラッシュそのものが少ないからな。」
「・・オリコーさんだこと。」
「レーサーなら当然だろう。大体、お前はクラッシュするたびに誰かに慰めてもらっているのか?なんなら特例としてコールガールを手配してやろうか。」
呆れた顔がグーデリアンのほうを向く。
「・・勘弁してよ・・今そんな元気ねぇから。」
「重症だな。」
「いや、やっぱオンナノコ相手だと少々は期待に添わなきゃって結構変な気、使うわけよ。実家だったらさ、馬とか牛とかいるじゃん。特に子供産んだばっかのジャージー。あの腹、暖かくてミルクのにおいして、最強。」
「・・だから、シーズンも終わったんだから、さっさとアメリカに帰ってしまえと言っているのに。」
激務続きのハイネルにも、横になったことで徐々に睡魔の手が伸びる。しかしグーデリアンが寝付くまではと、他愛のない話を続ける。
「はーい、って帰ったら、ちょっとは困るくせに・・」
薬が効いてきたのか、グーデリアンの語尾が怪しくなり始める。
「お前なんぞ、いてもいなくても変わらん。」
「・・んー・・ひでぇ・・」
本格的に瞼が下り始めたグーデリアンの、両腕がハイネルのほうに向かってのっそりと差しのべられた。
「え・・!?」
思わず後ずさりしかけたハイネルの腰にグーデリアンの腕が回り、がっちり抱きしめられる。
「グ・・グー・・デリアン?」
「・・・・・いい匂・・・・・・・・・・・」
柔らかいガーゼのパジャマ越しに熱い息を感じて、くすぐったさにハイネルがあわてて逃げようとすると、さらに体が弓なりになるまで腕ごとしっかり抱きしめられ、肩口にますます深く顔をうずめるグーデリアンの寝息が深くなる。
「・・人を、乳牛扱いしおって・・」
起きたら怒ってやろうと固く決意しながらも、やや自由の利く肘を曲げて肩口の金髪頭に手をやる。PC操作で疲れきった目を閉じると、グーデリアンの鼓動が柔らかく伝わってきた。
「・・お休み。グーデリアン。」

明日になればまたお互い、過酷な戦いの日々が待っているのだろう。
しかし、しんとした暗闇は、今は傷ついた心と体を暖かく柔らかく包んでいた。

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朝からハイネルは機嫌が悪かった。

朝、洗面所で取ったワックスはいつものハードタイプではなく、うっかりグーデリアンのものだった。
『だから、ころころと銘柄を変えるなと言っているんだ!』
気楽なひとり暮らしに大きな邪魔ものが転がり込んで数カ月。今まで自分の好きにしていた色々な部分に、ところどころ不協和音が響くことがあった。いずれも些細なものではあったけれど、ハイネルは自分のペースを乱される気がしてイライラとすることが多かった。
今回は、グーデリアンが買ったワックスがたまたまハイネルのワックスと似たジャーに入っていたため、うっかり髪につけるところまでいってしまったのだ。
一度つけてしまったワックスは、上からハードタイプをつけてもしつこく髪を下ろそうとする。
時計を確認し、洗う時間はないと判断したハイネルは、憮然とした表情で出社したのだった。

覚悟はしていたものの、廊下で会う人間はことごとくハイネルを二度見する。
いつもツンツンとした頭が柔らかく頬の横に流されているだけで、たとえ愛想のない銀縁メガネをかけていても恐ろしいほどの色気が後にたなびく様子に、広報部長は後ずさり、開発事務嬢は思わず写真を取ろうとした。
しかしハイネル自身は窓ガラスに、トイレの鏡に映る覇気のない自分を見るたびに、出来ることなら石でも投げつけてやりたい気分になっていた。

そんな心身共にハリネズミ状態(髪を除く)で臨んだ午後の重役会議。
いつも末席で姿勢正しく座っているはずのハイネルが今日に限ってはテーブルに肘をついて顎を載せ、さも退屈げに画面の資料を眺めている。
長引く会議に時たま上品なあくびまで挟む様子に、さすがに父が焦り始めた。
「・・あー、フランツ、体の調子がよくないようだが。」
「いいえ、特に?でもそろそろうまい言い回しばかりじゃなくて、核心をついた話をしていただけるとうれしいですね。高給取りが雁首そろえて、多大なる経費の無駄遣いですよ。」
親の気遣いもなんのその、花のような美貌から紡ぎだされる毒蛇のような言葉に父は、結婚数十年、決して自分の思い通りにならない妻の気性を思わず重ね合わせた。

「過剰電流が流れているようですね」
「そうか・・どこへ逃がすかな・・」
なぜかいつもより早々に開放された重役会議の次は、ラボのピットでテストデータの検証をする。
会議のせいでイライラは更に募り、そこにプレス向け撮影は終わったはずなのに帰社予定時刻を大幅に過ぎても帰ってこないドライバーが輪をかけた。

「たっだいまー。」
「遅いぞグーデリアン。どうせまたカメラアシスタントと遊んでいたんだろう。」
「失っつ礼ねー。ちょっとばかり息抜きしてただけじゃないのー。」
「いい身分だな。電気系統にエラーが出ていてな。データが取りたい。走ってこい。」
「えー、俺帰ってきたばっかりよ?少し休ませてくれない?」
「今、データが欲しいと言ってるんだ。」
「じゃーあー、ハイネルがキスしてくれたら考えてもいいよ?」
おどけたグーデリアンに、『馬鹿もの』のどなり声が出るはずだとスタッフが身を縮こまらせた。

「キスでいいんだな。」

『へ?』グーデリアン以下がまとめて思った瞬間。ハイネルが椅子から立ち上がり、眼鏡を外した。
グーデリアンの顎に手を添えて引き寄せると、ぽかんとあいた口にいきなり唇を寄せた。傍で見ていても、明らかに舌がからみあっているのがわかるディープキス。薄く開いた長いまつげの陰から、緑の瞳がグーデリアンの視線をねっちりと絡め取る。
大勢がいるはずのピットの中に、恐ろしい静寂が流れた。

しばらくして気が済んだのか、ハイネルはぽかんとするグーデリアンの胸板を軽く押した。グーデリアンは腰がぬけ、そのまま尻もちをついた。
「さぁ、さっさとデータ取ってこい。」
再び椅子に座り、ハイネルは何事もなかったのように端末をいじりはじめる。
「ちょ・・・・・・・・何今のーーー!」
まだ腰が抜けたまま、サーキットの色事師はあり得ない叫びをあげたのだった。

結局、スタッフは「俺、なんかレイプされた気分」とめそめそするグーデリアンを無理やりシュティールにのせ、コースに送りだす。
ハイネルは端末の中の部品構成をちょいちょいいじり、何事か考えてはまた直すを繰り返している。
白い顔に髪がかかり、細い指が時々かき上げるしぐさはまるで絵画を見ているようだった。
そう、見ているだけなら。

その姿を横目に、グーデリアンから送られてくるデータを見るふりをしながら、スタッフはぼそぼそと呟きあう。
「あれ・・いつもは放電してるんだろうな・・・・・帯電がひどくなって回路に異常が起きるんだよな・・・」
「電圧異常かよ・・誰かアースつけてこいよ・・」
「お前が行けよ・・高圧電気技師の資格持ってるだろ。」
「俺新婚だぜ!?」
「俺だって死にたくないよ、まだ・・」
たとえ見た目が絵画でも、人間決して触れてはいけないものがあるのだ。

完全に特別高圧電流扱いされているとは知らず、ハイネルは一人心に決めていた。

-家に帰ったら、まずあのいまいまいしいワックスを捨ててやろう!。

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「誕生日、何か欲しいもの、・・ある?」
年末差し迫った12月、グーデリアンはとうとう神妙な面持ちで口に出してしまった。

「そういうものは、当人に聞かないものなんじゃないか?」
聞かれた本人はパソコンの画面から眼も上げず、口先で答えた。
近くの椅子に逆に腰かけ、背もたれに顎を載せてふてくされる。
「そうだよね。俺もそういうの得意なほうなんだけど。・・すんません、今年はギブアップ・・。」
「・・そうだな・・・今欲しいもの・・・」
「あ、来期の予算とかはなしね。」
「わかってるじゃないか。」


グーデリアンは、ハイネルは本当に物欲がない、とたびたび思う。
当たり前のように一級品に囲まれて育ってきたから、食べるものも着るものも品質に対してのこだわりはおおいにあるはずなのに、あれが欲しいこれが欲しいという欲がほぼない。
グーデリアンは、ハイネル本人の収入がシュトロブラムスの役員報酬程度だと聞いた時はびっくりした。
(それだって一般的にはかなりの額だけど、CFレーサーの報酬とはいくつか桁が違う)
レーサーとしての寿命が短いことを知っているハイネルは、グーデリアンには少々多めに積んでくれてはいるのだが、ハイネル自身、もうちょっととっとけよと提言してみたこともある。
そうしたら、ハイネルは眼鏡を直してちょっとだけ考え、こう答えたのだ。
「税金払うのもめんどくさいしな。」
興味のなさそうな、あっさりとした口調で。

もちろん、色々と金のかかる生活はしているわけだが、住居は頼まなくてもあちこちにあるし、もれなく使用人もついてくる。
車は本社から供給できるし、本やOA機器は大体経費で買える。ホテル住まいももちろん経費だ。
旅行は嫌いではないが、年の半分はレースで世界を回っているからあえて出かける気もしない。
服や靴は仕立てるが、そう年に何度も作るものでもない。
高級レストランでディナーも食べるには食べるが、日頃はそういえば最後の食事はいつ食べたかなんて状態で、ラボのカフェでなんとか栄養を補っている体たらくだった。
そんな状態で、自分の支給額がどれだけなのかもよくわからないがとりあえず残高は増えていくし、興味本位でやった株はそこそこの利益を上げていくし、忙しいしまぁいいかという、グーデリアンをして「意外にズボラ」と言われる性格がそこに如実に表れていた。


「せっかくだからなんか贈りたいのに、時計もアクセサリーもいらないって言うし。」
「金属アレルギーだからな。チタンなら大丈夫だぞ?夏場以外は。」
銀色の眼鏡をはずしてひらひらと振って見せる。
「・・それ、基本的にレースシーズンはダメってことじゃん。」
「お前の鋲だらけの衣服は見ているだけでかゆくなる。」
「あーもう。・・旅行とかどう?それともいっそテーマパーク貸し切り、とか。」
「あぁ、それは昔ランドルがユーロの某所でやった。5年ほど遅かったな。」
「へ?!」
意外な言葉が出てきてグーデリアンが椅子から顎を落とした。
「何それ、ハイネルも一緒に?」
「そうだ。男二人で貸し切りテーマパーク。それも、12/23にな。寒かったぞ。」
「ちょっと!冗談に聞こえないしそれ!」
思い出してくすくす笑うハイネルに、今にもつかみかかる勢いでグーデリアンが身を乗り出す。
「いや、ランドルと私が昔からの知り合いなのは知ってるだろう?。で、クリスマス直前にたまたま話をしていた時に、そういえば二人してそのテーマパークに行ったことがないな、という話になったんだ。」
画面の数字が少し読みづらいのか、唇に指をあてて覗きこむ。
「そこで私が、興味はあるが人がたくさんいるから嫌だと言ったら、ランドルはじゃあ貸し切りにしてやると言ってな。たまたま予定が空いていたのが私の誕生日で、二人して思う存分アトラクションに乗った。」
「クリスマス前デート真っ最中のカップル閉めだして、普通、そこまでされたら後は花火でプロポーズなんだけどね?」
「花火は見たが、残念ながら愛の告白はなかったな。後でリサにばれて、置いてかれたと大泣きされた。」
「あってたまるかよ。あーもう、大金持ちの坊ちゃん連中の金の使い方っておかしいよ!」
頭をぐしゃぐしゃとかきむしり、グーデリアンは立ち上がった。
「ま、そういうわけで、何か欲しいもの考えといて。」
デスクの前に寄って軽いキスだけを交わし、グーデリアンはドアから出て行った。


「・・欲しいもの・・な・・」
一区切りがついたのか、椅子の背にもたれてハイネルが呟いた。
何気に手に取った細身の螺鈿細工の万年筆は去年グーデリアンがプレゼントしたものだった。簡単なものだけど、と言われつつも、世界のどこまでも持って歩ける筆記用具は意外と役に立ち、シュトルムツェンダー風の美しい羽根模様の細工は見るたびに気持ちを和ませた。
デスクの上の車のキーには、一昨年のプレゼントの5cmほどのスイス製アーミーナイフがついていた。これはどこで覚えたのか、日本式に「つまらないものですが」、と渡された。
特注したというその色は深い緑のマーブルで、銀でシュトロゼックの印が入っている。うっかり空港で没収されると困るのでドイツ国内の車のキー専用にしているが、小さいながらも切れ味のいいナイフやハサミ、ライトまでついているのが気にいっていた。
どれも、高価ではないが相手のことを思って丁寧に作られたことがよくわかる。
ただし、どちらもギリギリに青い顔でぐったりしながら渡されたあたり、毎年迷っては困って苦し紛れに選んでいるものなんだろうが。

むしろこういう、身近で小さなものがいいんだが・・と思うのに、なぜあいつは気付かないんだろう。
恋人が自分のために真剣に悩んでいるのはちょっと嬉しいけれど。

「・・鈍い奴め。」
にやりと笑い、ハイネルは今年は何か二人で楽しめるものをねだってみようかとネットサーフィンを始めた。

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「ジャッキー、お前実家寄ってから帰るんだよな?」
「一泊二日だけどね。」
「じゃあ、監督も連れて行ってくれ。」
「はぁ?」

アメリカでの初戦が終わった後、撤収作業をしているチーフエンジニアからグーデリアンは唐突な提案をされた。

しかしそれは監督としても初耳だったらしく、パソコンをパッキングする手をとめてこちらに向かってくる。
「待て。なんだそれは!私の都合はどうなるんだ!」
「あなたが帰ってくるのが2-3日遅くなくてもまったく問題ありません。それより、田舎で気晴らしでもしてきてください。」
「どういうことだ?」
「つまりな・・・」
SGM時代からの付き合いであり、多忙すぎる監督に代わって諸業務を取り仕切るチーフエンジニアは、ハイネルに向き直ると胸倉に指を付きつけた。
「たまには休めって言ってるんだ。フランツ!。レースは走りだしたし、とりあえずは微調整だけで済む。お前、本社業務と新車開発でオフシーズンほとんど休んでないだろう?」
「う・・」
日頃はチームメンバーの手前上、ハイネルに対しては敬語で話してくれるチーフのいきなりの友人モードにハイネルがたじろいでいる間に、チーフは有無を言わせずハイネルのパソコンを取り上げた。
「ということで、ジャッキー、監督を連れてってくれ。」
「なんで俺なんだよ!」
「そうだ!こんなやつと一緒にいても気が休まらない。休むなら自宅で休む!」
「ジャッキー、お前が今一番暇だからだ。そして、フランツ、お前は自宅で休むと結局ぐだぐたと仕事をするからだ。ママ・マート本部とシュトロブラムス本社には連絡して、双方から了解をもらっている。」
「なんでもうママ・マートまで手が回ってんだよ、どんなホットラインだよ!」
「本社・・・父にまで連絡したのか・・・?!」
「絶対仕事させるんじゃねぇぞ。電話の電波も届かない場所でしっかり24時間静養させてこい。」
呆然とする二人に、事務スタッフがにこにこと声をかける。
「チケットとれました。明日の朝ニューヨーク6時発、ケンタッキー昼前着です。いってらっしゃい。」

「どういう・・・」
朝一番の飛行機に乗り、ハイネルはいまだに途方に暮れていた。いつも持ち歩くパソコンがない分、荷物が恐ろしく軽く感じる。電子書籍をくるくると読むでもなくめくりながらも、まったく頭に入ってこない。
「ま・・みんな心配してるってことなんだろな?」
苦笑しながらグーデリアンは映画を物色している。
「それより、急に邪魔することになって、実家にはお邪魔じゃないのか?」
「それはないんだけど、えーと・・本当はもっといい時期に来てほしかったんだけどね。」
「何か都合がよくないのか?」
「んー、実は、この時期はあんまり・・ま、なんとかなるよ。」
グーデリアンはイヤホンを耳にはめた。

「いらっしゃいハイネルさん!ごめんジャッキー!馬が難産で今から厩舎行ってくるから夕飯の支度お願い!冷蔵庫に昨日つぶしたてのリブあるから焼いといて!」
空港からレンタカーを飛ばした二人が着くなり現れたグーデリアンの母は挨拶をする暇もなく、一息で用件をまくしたて、赤いジープで疾風のように去って行った。
唖然とする二人の男性は、手土産を差し出す暇もなく砂煙に消える母の姿を見送るしかなかった。

「あー・・このあわただしさ、うち帰ってきたって感じ・・。」
ハイネルを客間に通し、グーデリアンはソファにどかっと腰を下ろした。
ハイネルはカーテンと窓を開けながら外を眺めた。大きな牧草地が広がり、丘の向こうに牧場らしきものが見えていた。
「だからこの時期はあんまし連れてきたくなかったんだよ。春は農場も牧場も大騒ぎでさ。この時期の俺はむしろ労働力。」
長い脚を放り出し、大きなため息とともに金髪頭をぐしゃぐしゃとかきむしる。
「まぁ、日頃の素行で迷惑かけている分たまには尽くさないとな。」
ますます凹むグーデリアンを見下ろし、ハイネルは喉の奥で笑った。

「で、なんで私も手伝うはめになるんだ?」
グーデリアンの部屋で着替えを物色しながら、ハイネルは不機嫌そうにつぶやいた。
アンダーシャツの上にグーデリアンのダンガリーシャツの中から比較的細身のものを羽織ってみるが、まだ余る肩幅のせいで妙にぶかぶかしているのが落ち着かない。
「だって俺一人であんたの相手と料理一緒にできないもん。一生のお願い!」
「何回目の一生のお願いだ。」
クローゼットから放り投げられたジーンズは数年前のサイズ。今度はウエストはどうにかなるが丈が足りない。仕方がないので裾を細くロールアップし、ブーツの外にかぶせてみる。
「しかし、どうして着替えなんだ?」
「ハイネルの服、薄手の高級品ばっかだから日焼けするし汚すと大変だしね。」
「汚すって・・夕食の支度ならスーパーか市場に行くくらいだろう?」
仕上げに日焼け防止用に大きな麦藁の帽子と薄い色のサングラス、手袋を渡されて、ハイネルは首をかしげた。
「いや、食材は畑に取りに行くんだぜ。」
「は?」
「んー、結構似合うよ?」
鏡に映る自分の姿に戸惑うハイネルに、グーデリアンはにんまりと笑った。

「じゃ、まずサラダの材料な。」
家の横の畑に行き、ビニールハウスからレタスをもぎ取り、わきのアスパラもぽきぽきと収穫する。
「白いアスパラガスもあるのか?」
「あれは遮光栽培で手間かかるから、片手間じゃ難しいぜ。」
多くのフランス・ドイツ人の例にもれず、白アスパラのバターソースがこの時期一番の好物だったりするハイネルが心底残念そうな顔をする。
次に畑に移り、スナップエンドウをざるにとる。一つ一つしげしげしと眺めながら収穫するハイネルに何だと聞くと、「4つに1つはしわしわの遺伝子があると聞いたが・・」と答え、グーデリアンは爆笑した。
「この草、セロリのにおいがする。」
「・・・いや、それセロリだし。」
「うわ!変な色の虫がいる!」
「アゲハの幼虫だし・・・。つか、ハイネル、普段無農薬とかオーガニックとかこだわるくせに、畑仕事したことないの?」
「あるわけなかろう。」
藪をかきわけて味見しながらブルーベリーを収穫し、玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモ、カブなども少しずつ掘り、地中深くからボーリングした井戸水で泥を流す。

「こんなに種類があるとは思わなかった。」
土の香りと頬をなでる風が気持ちよく、ハイネルは思わず帽子を取った。風が汗で湿った髪の間を通り抜けていく。ドイツのラボから見る空とは、同じ空のはずなのに透明度が違う気がする。
「ここはうちで食べるぶんだけだけどね。向こうの農場だともっと大規模にイモとかコーンとか作ってる。ここは田舎だから買い物に行くのも面倒だからって、母ちゃんが暇にまかせて作ってる畑なんだよ。牧場もあるから堆肥使い放題。」
「循環してるんだな。」
「風向きによっては時々臭いけどなぁ。」
収穫物をかごに入れながら、グーデリアンは笑った。

「で、冷蔵庫にスペアリブとか言ってたな・・・後はチーズとハムとソーセージと・・・」
広い台所で、グーデリアンは業務用の大きな冷蔵庫を覗きこんだ。
台所のテーブルで、ハイネルは空港や機内のいまいちな軽食で不満を唱えていた胃を冷たい牛乳と自家製ドーナツで抑えていた。
「この牛乳、美味しいな。」
「あー、それ朝絞った無加熱。一日しかもたないから商品にはならないけどね。」
もう一杯ついでやりながら、自分もドーナツ二つ目をほおばる。
「太るぞ。」
「農家は肉体労働なんでだいじょーぶ。さて、まずはエンドウのスジ取りしようか。」
もごもごとドーナツを牛乳で流し込んで、グーデリアンは太い指で器用にエンドウのスジをとりはじめた。

つまらない話をしながらボールいっぱいのエンドウを片づけてしまうと、次はやたらと大きなバックリブの塊が出てきた。チームのバーベキューくらいでしかお目にかからないサイズである。
ハイネルがどうしたものかと眺めていると、グーデリアンは牛刀をふるい、慣れた手つきでばらしていった。
「味付けはどうするんだ?」
「市販のバーベキューソースがあるよ?」
アメリカでおなじみの甘酸っぱいソースの味を思い出し、ハイネルはちょっとひるんだ。
「・・半分は、私が味付けする。」
ポリエチレンの手袋をはめてボールに半量程度のリブをとり、少々のワインビネガーでマリネした後、塩と棚にあったスパイスを適宜なじませ、最後にオイルと隠し味の醤油、はちみつなどをふりかけてよくもみ込む。
もう一つのボールはバーベキューソースと、マスタード少々を加えてマリネする。

ハイネルが肉をラップで密封し、冷蔵庫にしまってしまう間に、グーデリアンはエンドウをゆでていた。
ジャッキー・グーデリアンという生き物は、実はかなり大量に野菜を食べている。
同居した当初、発見したその意外さをハイネルは、「ライオンがレタスを食べているよう」だと表現した。
マルシェから買ってきたばかりで、ろくに味もつけない生のニンジンやセロリをぽりぽりと齧る。
洗っただけの山盛りのレタスも、水をよく切ってディップをつけてぱりぱりといつの間にか減らしてしまう。
どうしても肉食のイメージがあっただけに最初は驚いたが、本人は野菜があればあまり意識せずに口に運んでいるらしい。

今も、さっと茹でただけのエンドウを塩もふらずに次々と口に運んでいる。
さすがに、野菜はしかるべきソースで味をつけて食べるものだと思っているハイネルが不思議な顔をしているのを見て、グーデリアンがボールを差し出す。
「うまいよ?」
「・・本当か?」
白い指で恐る恐るつまみ食いする。
「・・意外と甘い。」
「だろ?すぐゆでるとそのままでも結構いける。」
「ここまで知っていてなぜ普段、ジャンクフードばかりつまんでいるんだお前は。」
「んー、都会の誘惑とか?プレス向けイメージとか?まぁ、野菜がそもそもうまくないからねー。」
「贅沢ものが。」
言いながら、ハイネルはこのエンドウはベーコンと玉ねぎと一緒にソテーし、最後にバルサミコ少々で味を引き締めようかと思いを巡らせる。

「デザートも欲しいな。」
グーデリアンは冷蔵庫からヨーグルト、カッテージチーズと生クリームを出し、適量の砂糖と少量の小麦粉を一緒に混ぜた。最後にブルーベリーを混ぜてベイク皿に入れ、オーブンに突っ込む。

次に山盛りのレタスを見て、ハイネルはドレッシングも作っておこうかと思い立つ。
ミキサーに新鮮な玉ねぎ、ニンジン、ニンニク、ビネガー、ブラウンシュガー、塩などを入れ、味を見ながら回すときれいなピンク色のドレッシングが出来上がる。

ここまで一気にやってしまって、ハイネルはめまいを覚え、椅子に座りこんだ。
「ハイネル、なんか、調子悪い?」
「・・疲れが出てきたみたいだ。」
昨日は結局「絶対朝には荷物に入れておくから!」と頼みこんで返してもらったパソコンでの仕事の片づけが長引き、移動中に寝るつもりでほぼ徹夜で朝6時の飛行機に飛び乗ったのはいいが、妙に頭が冴えてうとうとするだけで全く熟睡できなかった。軽く頭痛すら始まっている。
「夕飯までちょっと寝とく?後は俺がやっとくから。」
「すまん。肉は食事の60分前にオーブンに入れて、エンドウのサラダは食べる直前に炒めたベーコンを混ぜて・・」
「はいはい、いいから客間行こう。」
ふらつく足で、抱きかかえられるようにハイネルは客間に向かった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」
ハイネルが目を覚ました時、窓の外はすでに真っ暗だった。
ちらちらと動く光を追ってドアのほうを見ると、グーデリアンがイヤホンをつけながらテレビで映画を見ている。
「グーデリアン・・」
「あ、おきた?」
声をかけるとこちらを向き、ベッドの脇に寄ってきた。

「・・今、何時だ?」
「10時半。起こしにきたけど、よく寝てたからそのままにしといた。」
「すまない、ご家族に挨拶もしていない。」
「いや、せっかく夕飯作ってもらったのにごめんな。気分どう?薬いる?」
「大分よくなった。」
「夕飯、一応取ってあるけど、食べる?こんな時間にリブ・・」
バカかと言いかけて、普段ならそのまま寝てしまうところが、胃が何かを欲しているのに気付いた。
あまりない事態にハイネルは少し混乱した。
「・・いや、しかし何か、軽いものを。」
「オーケィ、シャワー浴びてる間になんか作ってくるよ。」
グーデリアンはキッチンへ向かった。

「久しぶりに、良く寝た気がする。」
言いながら、パジャマ姿のハイネルは自家製ハムの薄切りとレタスとセロリのサンドイッチにかじりついた。たっぷり塗られた新鮮なバターが口の中でふわりと広がる。
「いいことなんじゃない?」
グーデリアンは、たびたび食事や睡眠をないがしろにしやすい恋人に、お前は体の悲鳴を無視しすぎなんだよと一言付け加えたいのをぐっとホットミルクで飲みこむ。
「ここにいたら、お前もきちんと3食食べて寝てスタッフに迷惑がかからないかもな。」
「お前はぶくぶく太って大変なことになるだろうが。」
ハイネルもホットミルクのカップをゆっくり飲みほした。体に甘さと温かさが染みわたった。

「じゃ、俺は自分の部屋に帰るから。残念だけど。」
「あぁ。」
答えながら、ハイネルの目はまた睡魔に負けようとしていた。いつもなら飛んでくる罵声もげんこつもないことにグーデリアンは苦笑しながら軽くキスをする。
トレイにカップと皿を載せ、電気を消してグーデリアンが出ていくと同時に、ハイネルはまた自然と気持ちのいい眠りに入っていった。

キッチンでカップと皿を片づけながら、グーデリアンは一人物思いに沈んだ。
こんなに穏やかに過ごすハイネルを見るのは初めてだった。スタッフがハイネルをここに寄こした理由も今ならよくわかる。多分、色々と掛け持ちする仕事で肉体的にも精神的にも限界が来ていたのだろう。
周囲のだれもがハイネルの身を心配していた。
楽しそうにマメを摘むハイネルを見て、ドイツの郊外に農場でも買って、仕事は会社だけにしてレースからは身を引く生活なんてどうだろうとちょっと考えた。
しかしハイネルの寝顔を見ながら、こいつの居場所はここではないと痛感した。畑にいながら貴婦人のような所作は、まるでマリー・アントワネットのペザントだ。毒と覇気が抜けたハイネルはただ儚くて壊れそうで、するりとどこかへ行ってしまいそうになる。
一体、自分はどうしたいのだろう。大切な人間が自分のために命を削っている姿を見るのは辛い。でも、その姿でなければここまで強く惹かれていただろうか。
-俺は、どうしたいんだ?
深夜のキッチンに、水滴が落ちる音が響いた。


「ハイネルさん、体どう?なんかごめんね、お客さんに夕飯の支度手伝わせたんだって?」
明るい陽のさすキッチンのテーブルの上には、パンやドーナツから、卵・チーズ・ハム・ジャム・ベーコンなどが所狭しと並んでいる。横には食べかけの皿とコーヒーの入ったカップ。朝はダイニングでなくキッチンでささっと済ませてしまうのがどうやらこの家の流儀らしかった。
「なんかジャッキーの料理にしては妙においしいから、何事かと思ったわよ。」
席についたハイネルの前に大きなマグカップが置かれ、炒りの浅いコーヒーと牛乳がなみなみと注がれる。答える暇もなく次々と質問が浴びせかけられ、ハイネルは完全にしゃべる機会を奪われていた。
「一言多いよ。ハイネル、卵どうする?スクランブル?フライドエッグ?茹で卵もあるぜ。」
「あー・・じゃあスクランブルドで。ご心配おかけしました。久しぶりによく休みました。」
「この子バカだから、色々世話かけてるでしょ。ほんっとごめんね。」
「ちょ、ひどいね母ちゃん。俺朝飯とか結構作ってるんだぜ?って、母ちゃんが朝いるって珍しいよね?」
「今日はお客さん来てるからって、ミリーが代わりに牧場行ってくれたのよ。」
「父ちゃんとばあちゃんは?」
「パパは朝からカリフォルニアにワインの仕入れ。おばあちゃんは昨日の夜、大おじさんがそろそろ危ないかもって電話があって、今朝からアニーが連れて行ってくれてるわ。」
グーデリアンはバターを溶かしたフライパンに手際よく卵を流し入れ、最後に茹でたアスパラとカッテージチーズを混ぜて二枚の皿に盛る。脇にサラダと自家製ケチャップを添える。同時に母は厚切りのパン数枚をこんがりとよく焼いて、バターとジャムの皿と一緒にハイネルの前にどんと置いた。
「ジャッキーの料理じゃ、お口にあわないかと思うけど。」
「意外に、彼が料理ができるのには驚きましたよ。」
「俺は、あんたの生活が意外にぐたぐたなのにびっくりしたよ。」
「ジャッキー。あんた来年契約解除されるわよ。」
「それは困るけど、まぁ、うちは朝なんか自分で食ってけって感じだったしなぁ。ちっちゃい頃はばあちゃんが面倒みてくれたけど。ランチも適当に自分で作ってってたしな。」
グーデリアンがハイネルの前の皿から一枚トーストを失敬し、卵を載せて大きくかじりつくのを見て、ハイネルも普段はまず自分では用意しないほど厚切りのトーストに、珍しくジャムを載せて口に運んだ。
「あー、ジャッキースペシャルはひどかったわね。トーストに、ベーコンにピーナツバターって聞いてるだけで胸やけしそうじゃない?なのにまだドーナツにさらにジャムつけてとかやってんのこの子。」
「成長期はそれでも満腹って言葉、理解できなかったよ。」
「今でも山ほど食べるじゃないの。こら、ハイネルさんの分がなくなるでしょ。」
2枚平らげ、さらにトーストに手を出した大きな息子に母はあきれた声をだした。
「いや、私はもう・・」
「遠慮しないで?まだあるから。」
「母ちゃん、俺らもうティーンじゃないんだぜ?。」
「3枚も平らげといてよく言うわね。」
ハイネルの食事量が日本人並みだとは知らない母がすぐにでもパンを切りにいきそうなのを、グーデリアンがあわてて押しとどめているのをハイネルは大量のコーヒーを少々持てあましつつ笑顔で眺めていた。

「昨日生まれた子馬、見てきなさいよ。それくらいの時間あるでしょ?ミリーもいるし。」
乗り継ぎの関係で昼の飛行機でニューヨークへたち、夕方のドイツ行きへ乗り換えるといった予定を話すと、母は丘の向こうを指さした。

赤いジープを借りて牧草地を駆け抜け、厩舎に付くと茶色い子馬が待っていた。
敷き藁を交換していた牧場のスタッフは、グーデリアンを見かけると声をかけてきた。
「ようジャッキー、ついに彼女連れてきたんだな。年貢の納め時か?」
「こいつ上司!男!」
「え?!」
180cmの自分まで女性に見えるなんて、こいつはどれだけモデルを連れ歩いていたのかと思いつつ、ハイネルは苦笑した。
「ところでさ、ベスも元気?」
「元気だよ。のってくか?。」
ベスはグーデリアンが一番最近気にいっている馬である。本名は豪華にクイーンエリザベス。素晴らしい血統の牝馬だが、気に入らない人間を振り落とす気性の激しさで持て余されていたのをグーデリアンが引き取ったのだった。
「うん。ハイネル、馬乗れる?」
「学校の授業でやったっきりだが・・・」
「乗馬の授業なんてあるの?」
「他にも、ゴルフとかヨット合宿とか?」
「普通、バスケットとか野球じゃないの?おぼっちゃまのスポーツってのはよくわかんないねぇ。とりあえずミリーのいる牛舎まで歩くの大変だから、馬で回ろう。」
ベスともう一頭、比較的おとなしい馬に手際よく鞍をつけ、ハイネルを押し上げる。
サラブレッドの高い背中から見える景色は解放感にあふれていた。
「俺が前歩いたら馬はついてくるから、手綱だけしっかり持ってて。あ、そうか、ヨーロッパはブリティッシュだよな。この子たちはウエスタンで育ってるから手綱は緩ませて、体も楽に乗ってて大丈夫。困ったら手綱にしがみついて、とりあえず俺を呼ぶ。」
ポイントだけを簡単に説明して、グーデリアンは軽々と馬に飛び乗った。

グーデリアン家の牧場は、厩舎、牛舎、豚舎と、平飼いの鶏舎などが並んでいた。観光牧場なのか、ソーセージやチーズ作り体験コーナーなどの看板もある。タンポポやキンポウゲの咲く小道をこつこつと進む馬の背は温かく、時々はみを咥えなおす仕草をするのを、グーデリアンが時々首筋をなでてやっている。ぶるるといななくベスは、久しくのせていない主人を背に、走りたがっているのがよくわかるが、ハイネルの馬が同じ速度で走るのは危険なので遠慮しているようだった。

「ミリー!」
「おかえり!」
馬を下りて声をかけると、牛舎で生乳の管理をしていた金髪の若い女性が振り返った。
「ハイネルさん、こんにちは。昨日のご飯ごちそうさまでした。ミリアムです。」
「すみません、寝込んでいて。」
駆け付けてきた女性は意外にも小柄で、化粧っけのない顔に散ったそばかすが可愛らしい。
以前、ニューヨークで会った姉のアリシアが黒髪長身で派手な印象だっただけに、ハイネルは不思議な面持ちで眺めていた。
「いいえ、あのドレッシングどうやって作るんですか?うちの材料だけでできてるなんて信じられない。」
「あー・・味を見ながら適当、に?。アメリカでは甘みが好まれるので、ニンジンの甘みを前面に出すほうがいいかもしれません。」
「なぁミリー、獣医の資格はとれたの?」
「ばっちりよ。これで色々急な病気にも対応できるわ。最近アニーには会った?」
「こないだ、栄養学のセミナーとかでニューヨークで会ったよ。アニー、父ちゃんの仕事手伝ってんの?」
「そうそう。流通とか広報とか商品開発とか、私はそういうのわかんないから。」
「いや、俺どっちも全然わかんねぇよ。」
二人で笑う様子がよく似ているとハイネルは思った。

厩舎に帰ってきた時、グーデリアンはハイネルの馬をつないだ後、再びベスに乗った。
「ちょっと走ってくる。」
「あぁ。」
駈け出して行ったベスはキャンターであぜ道を駆けていった。ハイネルが見ていると、グーデリアンはベスを制御するでもなく、ただ好きなように走らせているようだった。はしゃぐベスが速度を上げても全く動じず、道を逸れようとした時だけ軽く手綱を引っ張り、首筋にむかって何かをささやいている。するとベスは怒って立ち上がるでもなく、おとなしくこちらに向かって体をむけるのだった。
「相変わらずうまいな。ジャッキーだけなんですよ、ここまでベスに乗れるのは。」
ハイネルが乗っていた馬から鞍をはずしていたスタッフが声をかける。
「特に牝馬に関しては、どんな難しい馬もうまいこと動かせます。」
ハイネルは、(それは、サーキットでも種馬だから)と呟きかけて、一応やめておく。
「・・まぁ車に関しても、似たようなものです。」
シュティールという、時として自身も手におえない跳ね馬を本能だけでやすやすと乗りこなす姿を思い出し、ハイネルは少し笑顔を見せた。

昼前に帰り支度を始めると、飛行機の中で食べるようにと出来たてのハンバーガーと、ピクルスやフルーツカスタードなどの入ったボックスを持たされた。車に乗る前にはさらについでにミートパイとバターケーキとクッキー。そのほかジャムの小瓶まで持たされた。
ずしりと重い袋を手に、二人は果たしてドイツの検疫までに食べきれるだろうかと顔を見合わせた。

またの来訪を約束し、車が走り出すと、慣れない乗馬で疲れたのか、ハイネルはまた助手席でうとうととし始めた。
「どうだった?」
「・・なかなか楽しかった。」
「そ。」
ハイネルなりの最大級の賛辞に、グーデリアンは苦笑した。
「ただ、ちょっと・・家畜の匂いは好きにはなれない。」
「ひでぇ。あれでも普通の牧場よりはかなりマシだぜ?」
よその牧場に比べてかなりの手入れはしているが、多少は匂いがする。まぁ、慣れていないことには無理もないのだが。
「・・・・私の居場所は多分、家畜ではなくて金属とオイルの匂いの漂う世界だ。」
ハイネルは寝入りそうな声で細く、しかしきっぱりと断言した。
まるで昨夜の物思いを見透かされた気がして、グーデリアンは助手席のハイネルを思わず見た。
「前を見て運転しろ。事故る気か。」
あわてて前を向いてハンドルを握り直す。

『あぁ、これがハイネルだ。』
グーデリアンは納得した。
魚が水に生きるように、ハイネルの居場所はレースの中なんだ。
女の子にするような要らぬ気遣いは要らない。無理して一緒の道をすすむ必要もない。一人の男なんだ。
今は並走している道がいつかは分たれても、それがハイネル自身の意思ならば俺は喜んで送り出そう。

「・・でも、あの子馬が大きくなるころにまた来てみたい。」
「うん、また連れてくるよ。今度はばあちゃん達にも会えるように。」
「・・・できれば春以外でな。」
「確かにね。冬はもうちょっと静かだよ。」
ますます沈みそうになる声に笑いながら、農地を走っていく。

-帰ろう、金属とオイルと栄光の世界へ。

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ひたすら食べ続ける話

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ハイネルになにかアクセサリーを送りたい。

グーデリアンはずっと考えていた。
今まで付き合った女の子には、節目節目にたびたびプレゼントにアクセサリーを送るのが習慣だった。
テンプレすぎるとは思うが見た瞬間に歓声を上げる姿も可愛らしかったし、自分のつけたアクセサリーを身につけている姿はちょっと支配欲が満たされる気もして、悪い気はしなかった。

指輪でもいいし、カフスでも時計でもいい。もっとも、指輪なんか贈ったところで「どこでつけろというんだ」と罵声を浴びせられることはわかっているんだけど。
それ以前に本人は金属アレルギーで、唯一身につけている眼鏡すらチタンで作らせている。
リネンとシルクに包まれて暮らしている恋人に何を送ればいいのか、世界の恋人のくせに思いつかないグーデリアンは今までの記念日にはうまくアクセサリーは避けるようにしていた。

「っかしぃなぁ・・・」
いつも通っているはずなのに、何度通ってもこの保安ゲートはピコピコと嫌な音を立て続ける。
グーデリアンは今、ゲートの前でポケットからがっちゃがっちゃと色々なものを放り投げていた。
隣では空港スタッフが、遅れかけの飛行機の時間をハラハラしながら見守っている。
鋲のついたブーツやらゴテゴテした財布やら、銀の塊のようなバックル、指にはゴツい銀の指輪。
おまけにバッグはほぼ持たず、携帯電話やら車のキーやら、すべての物品を厚いジャンパーのそこかしこに突っ込んで、水に入れたら沈むんじゃないかとハイネルがあきれるくらいの重量を担いで歩いている。

「いい加減にしないか。置いていくぞ。」
「ちょ、ちょっと待ってよ・・・あ。」
もう、こいつをエックス線に通せば早いのにとハイネルが思い始めたころ、その存在すら忘れかけていたいくつ目かのポケットから、グーデリアンは銀色の塊を探し当てた。

「・・・忘れてたー・・・・これ、持ち込んじゃ駄目だよね?。」
出てきたのは何の変哲もないジッポのオイルライター。
可燃物で危険物なわけで、もちろん空港の保安係は手で大きくバッテンを作った。
「うわー、どうしよう・・・」
「そんなもの、放棄していけばいいだろう。第一タバコはやめたくせに、何故そんなものを持っているんだ。」
「ずっと入れっぱなしで忘れてたんだよ。」
ということは、今までの飛行機は忘れっぱなしで乗っていたということか。保安検査員は、他国のセキリュティの甘さにため息をついた。
「アンティーク、もしくは誰かの形見か?」
「いや、16歳のときにそのへんの店で買った普通のジッポ。」
「そんなもの、私がまた買ってやる。飛行機はこれ以上待たせられん。行くぞ。」
「えー・・・」
ジッポはいとも簡単にハイネルにつままれて、保安員の手に渡された。
もっと抵抗するかと思われたグーデリアンは、ハイネルとジッポを見比べるように首を振り、ジッポにばいばいと手を振って搭乗口へと走り出した。

「なぜ、あんなジッポにこだわったんだ。」
乗客のいささか冷たい目線をかいくぐるように滑り込んだ夜便のファーストクラスで、ハイネルはグーデリアンに問いかけた。
「・・いやー、まぁ。あのさ、アレは俺が初めてお前に怒られた記念。」
「は?」
「アスリートなんだからタバコはやめろって。たまに吸うくらいだったけど、お前その時すごく怒ってたんだぜ。」
「・・覚えていない。」
「それまでも喧嘩してたけど、あぁやって面と向かって怒られたのは初めてでさー。」
どうやらその時使っていたジッポを、預け荷物に入れたりうっかりポケットに忘れたりしながら後生大事に持っていたということらしい。
「馬鹿だろうお前。」
「ひどいなぁ。でもいいよ、別に。毎日怒る本人がいるわけだしさ。」
「わかっているなら、怒らせるな。」
「わはは。ごーめーん。」
「まぁ、約束だからジッポは買ってやる。タバコは吸うなよ。」
「んーーー、それ、俺が選んでいい?なんかきれいな彫刻のついた奴とか。」
「構わない。わけのわからないアンティークなんかでなければ。」
「ありがと。」
注意アナウンスが終わり、照明も暗くなり始めた機内で、グーデリアンは遠く離れた隣席へキスをよこした。

グーデリアンは気付いていた。最近ハイネルのラボデスクの一番上に、苦いチョコレートや緑色のミントキャンディと一緒に細巻きのライトなメントールが入っているのを。
喫煙習慣はなかったはずなのに、度重なるストレスに耐えきれない時こっそり一本ずつ火をつけているのは、本人は誰にも気づかれていないつもりなんだろうけど。
深いキスをするとかすかにタバコの香りがするよなんて言ったら、顔を真っ赤にして怒るんだろうな。

-そうだ、思いっきり可愛いジッポを贈ろう。きれいな花の彫刻なんかしてあるやつ。
-っても、ハイネルに買ってもらってだけどな。怒るかな?

低く優しい声で毛布を配り始めるスタッフに、早速仕事をはじめたハイネルの分まで笑顔を返しつつ、グーデリアンは、今度の休みに早速専門店に行こうと決めた。

後日、案の定なぜ自分が送ったものをと怒るハイネルに、引退するまで預かっといてよとジッポを手渡した。誰かによく似たユリの花の彫刻のジッポ。
それと同じころ、なぜかシュトロゼック宛てに先日の空港から小さな荷物が届いた。中身は放棄したはずのあのジッポ。振り返るグーデリアンの姿を偶然CFファンの職員が気にとめ、わざわざ分解して非危険物にまでしてこっそり自前で送ってくれたということらしい。

今、二つのジッポはデスクの一番上の引き出しで、二つ仲良く並んでいる。
いつか引退して、二人でタバコを吸えたらいいよななんて甘い夢を語りながら。

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