朝からハイネルは機嫌が悪かった。
朝、洗面所で取ったワックスはいつものハードタイプではなく、うっかりグーデリアンのものだった。
『だから、ころころと銘柄を変えるなと言っているんだ!』
気楽なひとり暮らしに大きな邪魔ものが転がり込んで数カ月。今まで自分の好きにしていた色々な部分に、ところどころ不協和音が響くことがあった。いずれも些細なものではあったけれど、ハイネルは自分のペースを乱される気がしてイライラとすることが多かった。
今回は、グーデリアンが買ったワックスがたまたまハイネルのワックスと似たジャーに入っていたため、うっかり髪につけるところまでいってしまったのだ。
一度つけてしまったワックスは、上からハードタイプをつけてもしつこく髪を下ろそうとする。
時計を確認し、洗う時間はないと判断したハイネルは、憮然とした表情で出社したのだった。
覚悟はしていたものの、廊下で会う人間はことごとくハイネルを二度見する。
いつもツンツンとした頭が柔らかく頬の横に流されているだけで、たとえ愛想のない銀縁メガネをかけていても恐ろしいほどの色気が後にたなびく様子に、広報部長は後ずさり、開発事務嬢は思わず写真を取ろうとした。
しかしハイネル自身は窓ガラスに、トイレの鏡に映る覇気のない自分を見るたびに、出来ることなら石でも投げつけてやりたい気分になっていた。
そんな心身共にハリネズミ状態(髪を除く)で臨んだ午後の重役会議。
いつも末席で姿勢正しく座っているはずのハイネルが今日に限ってはテーブルに肘をついて顎を載せ、さも退屈げに画面の資料を眺めている。
長引く会議に時たま上品なあくびまで挟む様子に、さすがに父が焦り始めた。
「・・あー、フランツ、体の調子がよくないようだが。」
「いいえ、特に?でもそろそろうまい言い回しばかりじゃなくて、核心をついた話をしていただけるとうれしいですね。高給取りが雁首そろえて、多大なる経費の無駄遣いですよ。」
親の気遣いもなんのその、花のような美貌から紡ぎだされる毒蛇のような言葉に父は、結婚数十年、決して自分の思い通りにならない妻の気性を思わず重ね合わせた。
「過剰電流が流れているようですね」
「そうか・・どこへ逃がすかな・・」
なぜかいつもより早々に開放された重役会議の次は、ラボのピットでテストデータの検証をする。
会議のせいでイライラは更に募り、そこにプレス向け撮影は終わったはずなのに帰社予定時刻を大幅に過ぎても帰ってこないドライバーが輪をかけた。
「たっだいまー。」
「遅いぞグーデリアン。どうせまたカメラアシスタントと遊んでいたんだろう。」
「失っつ礼ねー。ちょっとばかり息抜きしてただけじゃないのー。」
「いい身分だな。電気系統にエラーが出ていてな。データが取りたい。走ってこい。」
「えー、俺帰ってきたばっかりよ?少し休ませてくれない?」
「今、データが欲しいと言ってるんだ。」
「じゃーあー、ハイネルがキスしてくれたら考えてもいいよ?」
おどけたグーデリアンに、『馬鹿もの』のどなり声が出るはずだとスタッフが身を縮こまらせた。
「キスでいいんだな。」
『へ?』グーデリアン以下がまとめて思った瞬間。ハイネルが椅子から立ち上がり、眼鏡を外した。
グーデリアンの顎に手を添えて引き寄せると、ぽかんとあいた口にいきなり唇を寄せた。傍で見ていても、明らかに舌がからみあっているのがわかるディープキス。薄く開いた長いまつげの陰から、緑の瞳がグーデリアンの視線をねっちりと絡め取る。
大勢がいるはずのピットの中に、恐ろしい静寂が流れた。
しばらくして気が済んだのか、ハイネルはぽかんとするグーデリアンの胸板を軽く押した。グーデリアンは腰がぬけ、そのまま尻もちをついた。
「さぁ、さっさとデータ取ってこい。」
再び椅子に座り、ハイネルは何事もなかったのように端末をいじりはじめる。
「ちょ・・・・・・・・何今のーーー!」
まだ腰が抜けたまま、サーキットの色事師はあり得ない叫びをあげたのだった。
結局、スタッフは「俺、なんかレイプされた気分」とめそめそするグーデリアンを無理やりシュティールにのせ、コースに送りだす。
ハイネルは端末の中の部品構成をちょいちょいいじり、何事か考えてはまた直すを繰り返している。
白い顔に髪がかかり、細い指が時々かき上げるしぐさはまるで絵画を見ているようだった。
そう、見ているだけなら。
その姿を横目に、グーデリアンから送られてくるデータを見るふりをしながら、スタッフはぼそぼそと呟きあう。
「あれ・・いつもは放電してるんだろうな・・・・・帯電がひどくなって回路に異常が起きるんだよな・・・」
「電圧異常かよ・・誰かアースつけてこいよ・・」
「お前が行けよ・・高圧電気技師の資格持ってるだろ。」
「俺新婚だぜ!?」
「俺だって死にたくないよ、まだ・・」
たとえ見た目が絵画でも、人間決して触れてはいけないものがあるのだ。
完全に特別高圧電流扱いされているとは知らず、ハイネルは一人心に決めていた。
-家に帰ったら、まずあのいまいまいしいワックスを捨ててやろう!。
朝、洗面所で取ったワックスはいつものハードタイプではなく、うっかりグーデリアンのものだった。
『だから、ころころと銘柄を変えるなと言っているんだ!』
気楽なひとり暮らしに大きな邪魔ものが転がり込んで数カ月。今まで自分の好きにしていた色々な部分に、ところどころ不協和音が響くことがあった。いずれも些細なものではあったけれど、ハイネルは自分のペースを乱される気がしてイライラとすることが多かった。
今回は、グーデリアンが買ったワックスがたまたまハイネルのワックスと似たジャーに入っていたため、うっかり髪につけるところまでいってしまったのだ。
一度つけてしまったワックスは、上からハードタイプをつけてもしつこく髪を下ろそうとする。
時計を確認し、洗う時間はないと判断したハイネルは、憮然とした表情で出社したのだった。
覚悟はしていたものの、廊下で会う人間はことごとくハイネルを二度見する。
いつもツンツンとした頭が柔らかく頬の横に流されているだけで、たとえ愛想のない銀縁メガネをかけていても恐ろしいほどの色気が後にたなびく様子に、広報部長は後ずさり、開発事務嬢は思わず写真を取ろうとした。
しかしハイネル自身は窓ガラスに、トイレの鏡に映る覇気のない自分を見るたびに、出来ることなら石でも投げつけてやりたい気分になっていた。
そんな心身共にハリネズミ状態(髪を除く)で臨んだ午後の重役会議。
いつも末席で姿勢正しく座っているはずのハイネルが今日に限ってはテーブルに肘をついて顎を載せ、さも退屈げに画面の資料を眺めている。
長引く会議に時たま上品なあくびまで挟む様子に、さすがに父が焦り始めた。
「・・あー、フランツ、体の調子がよくないようだが。」
「いいえ、特に?でもそろそろうまい言い回しばかりじゃなくて、核心をついた話をしていただけるとうれしいですね。高給取りが雁首そろえて、多大なる経費の無駄遣いですよ。」
親の気遣いもなんのその、花のような美貌から紡ぎだされる毒蛇のような言葉に父は、結婚数十年、決して自分の思い通りにならない妻の気性を思わず重ね合わせた。
「過剰電流が流れているようですね」
「そうか・・どこへ逃がすかな・・」
なぜかいつもより早々に開放された重役会議の次は、ラボのピットでテストデータの検証をする。
会議のせいでイライラは更に募り、そこにプレス向け撮影は終わったはずなのに帰社予定時刻を大幅に過ぎても帰ってこないドライバーが輪をかけた。
「たっだいまー。」
「遅いぞグーデリアン。どうせまたカメラアシスタントと遊んでいたんだろう。」
「失っつ礼ねー。ちょっとばかり息抜きしてただけじゃないのー。」
「いい身分だな。電気系統にエラーが出ていてな。データが取りたい。走ってこい。」
「えー、俺帰ってきたばっかりよ?少し休ませてくれない?」
「今、データが欲しいと言ってるんだ。」
「じゃーあー、ハイネルがキスしてくれたら考えてもいいよ?」
おどけたグーデリアンに、『馬鹿もの』のどなり声が出るはずだとスタッフが身を縮こまらせた。
「キスでいいんだな。」
『へ?』グーデリアン以下がまとめて思った瞬間。ハイネルが椅子から立ち上がり、眼鏡を外した。
グーデリアンの顎に手を添えて引き寄せると、ぽかんとあいた口にいきなり唇を寄せた。傍で見ていても、明らかに舌がからみあっているのがわかるディープキス。薄く開いた長いまつげの陰から、緑の瞳がグーデリアンの視線をねっちりと絡め取る。
大勢がいるはずのピットの中に、恐ろしい静寂が流れた。
しばらくして気が済んだのか、ハイネルはぽかんとするグーデリアンの胸板を軽く押した。グーデリアンは腰がぬけ、そのまま尻もちをついた。
「さぁ、さっさとデータ取ってこい。」
再び椅子に座り、ハイネルは何事もなかったのように端末をいじりはじめる。
「ちょ・・・・・・・・何今のーーー!」
まだ腰が抜けたまま、サーキットの色事師はあり得ない叫びをあげたのだった。
結局、スタッフは「俺、なんかレイプされた気分」とめそめそするグーデリアンを無理やりシュティールにのせ、コースに送りだす。
ハイネルは端末の中の部品構成をちょいちょいいじり、何事か考えてはまた直すを繰り返している。
白い顔に髪がかかり、細い指が時々かき上げるしぐさはまるで絵画を見ているようだった。
そう、見ているだけなら。
その姿を横目に、グーデリアンから送られてくるデータを見るふりをしながら、スタッフはぼそぼそと呟きあう。
「あれ・・いつもは放電してるんだろうな・・・・・帯電がひどくなって回路に異常が起きるんだよな・・・」
「電圧異常かよ・・誰かアースつけてこいよ・・」
「お前が行けよ・・高圧電気技師の資格持ってるだろ。」
「俺新婚だぜ!?」
「俺だって死にたくないよ、まだ・・」
たとえ見た目が絵画でも、人間決して触れてはいけないものがあるのだ。
完全に特別高圧電流扱いされているとは知らず、ハイネルは一人心に決めていた。
-家に帰ったら、まずあのいまいまいしいワックスを捨ててやろう!。
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ここはいわゆる同人誌といわれるものを扱っているファンサイトです。
もちろんそれらの作品とはなんら関係はありません。
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