やがて、日が落ちかける頃、どうやって仕事を片づけたのか、滅多にない時刻にハイネルは帰宅した。
早いばかりで恐ろしく窮屈な2シーターの愛車は変わらないものの、以前借りていたラボ近くの最小限のアパートメントよりはそこそこ広い一軒家は、ハイネルの生活が一人から二人を意識したものになったことを意味していた。
グーデリアンはドイツに立ち寄るたびにその中に少しずつ私物を持ち込み、整然とした部屋に少しずつ雑然とした温かさが重ねられていた。
「土産だ。」
キッチンで玉ねぎの皮をむくグーデリアンに差し出されたビニールの袋の中には、淡い緑色のレタスが2株入っていた。
「・・なんでレタス?それも採りたて?」
「私が育てた。レタス好きだろう。」
「好きだけどさ。採りたて限定で。・・えー、その格好で?」
ネクタイを緩めているハイネルの足元はピカピカの革靴で、とても畑帰りとは思えない。
「第一、お前虫とか日光とか苦手だろ?」
ケンタッキーの農場に立ち寄った際のハイネルの『ペザント』状態を思い出し、グーデリアンは首をかしげた。
「海外へ設備移転して工場が空いていてな。何か飯のネタをという話になったので植物プラントを立ち上げた。今は社員食堂で使う分くらいは賄っているし、会社の環境イメージにも貢献しているようだ。」
「・・だから虫も日光もナシってわけね。」
「私が設計したプラントだから、一応私が育てたことになるだろう。」
「お前、毎回うまいこと会社の経費で自分の趣味やるよな。」
「色々こき使われているんだからそれくらい構わないだろう。着替えてくる。」
鞄を小脇に抱え、ハイネルは自室へ去って行った。
「でな、チーフ・・じゃなくて、今は監督か。あの後会ったんだよ。」
「荒れていただろう。最近娘さんが結婚したらしい。」
戻ってきたハイネルがエプロンをかけ、フードプロセッサーで野菜を刻む間に、グーデリアンがロメインレタスと卵でサラダを作り、冷蔵庫に入れる。
さほど広く見えはしないのに大男2人の動線がまったくかぶらない台所はハイネルの設計なのだろう。今度は住宅事業にも乗り出しそうだとグーデリアンは密かに思った。
「あー。『転戦ばかりで俺の知らないうちに成人してて、今度はついにどこかの馬の骨野郎と結婚するってんだぞ!?』って言ってた。」
グーデリアンは大げさな身振りでチーフの仕草を真似る。
「私も聞かされた。」
「『俺の人生設計、お前らに台無しにされたんだ!』はお決まりだよな。・・そもそも、社長にハイネルのお守りを押し付けられたところからあのオッサンの悲劇は始まってんだよなぁ。」
『俺は仕事はそこそこして、休日には目いっぱい家族サービスをするんだ。』
だから給料もそこそこで生活が保障されていれば文句がないと、ささやかな夢を抱いていた現場叩き上げのチーフエンジニアは技術学校を出て迷わずドイツを代表する企業、シュトロブラムスの工員となった。
武骨な外見ゆえやや結婚は遅れたが、家を守る優しい妻と娘二人に恵まれ、その技術と面倒見の良さも買われて着々といい若頭的ポジションを築きつつあった。
それなのに。
『私の息子がレースに興味があるらしくてね。君、休日に時間があったらちょっと手伝ってやってくれないか?』
そんな時、現場にちょくちょく出入りしていた、金色の目をした若造の誘いにのったのが不幸の始まりだった。
どうせ基礎教育低学年のカート程度だろうと、高等教育へ進んでこれから学費がかかるであろう娘のために少しでもと思って二つ返事で引き受けたところ、実際やってきたのは既に自分の胸ほどにも身長のある少年で。
もうカートなどではそこそこの実績を上げていて、目指すカテゴリーはまさかのCF。
話が違うと苦情を言いに行った先で通されたのはまさかの重役室。
へらへらした優男はやり手と噂のまさかの社長の三男で、実は自分よりも年上、かつ大きな息子がいたと知った時はすでに引き返せない状況に追い込まれていた。
「その件に関しては、悪いのは私じゃない。」
「・・魔性だよなぁ。おとーさん・・。でも、本社仕事忙しくなったからってチーム監督押し付けたのはあんただろ?」
「まぁ・・そこにはすこし罪悪感がないわけでもないが。適任者がいなかったから。」
ハイネルが肉をこね、スパイスを炒める。いつも十分に煮込む時間がとれないのはわかっているので、本宅のコックがもたせてくれる冷凍スープや市販の缶詰を使って味を調え、圧力鍋に入れていく。
時々ため息を挟んでは首をかしげる仕草をするのが何か気にかかるが、その間にグーデリアンはダイニングのテーブルに、ワインとチーズとパンを準備した。
ワインは今年の葡萄で作った白。甘さと果汁感がまだ残るがこの時期だけの飲み物だ。
一緒に、オリーブの新漬けも皿に出す。これはグーデリアンがドイツに来た頃、初めて食べて衝撃を受けたものだった。
なんとはなく重い空気の中、いい匂いが漂い始めたが、ハイネルは窓の外を眺めたりして心ここにあらずと言った様子で。葡萄とオリーブをつまみにワインの味見をしはじめたグーデリアンにも小言を飛ばさない。
やがてダイニングで出来上がった温かい皿を前にしても、ハイネルはフォークを持ったまま何事か考え事をしている。
グーデリアンがそろそろどうしたものかと思い始めたころ、ハイネルは独り言のように呟いた。
「グーデリアン。私によく似た青年、のことだが。」
「ん?」
「多分。私の子供、だ。」
「は?」
思いがけない言葉に、グーデリアンは思わずフォークを取り落とした。
------------------------つづく
早いばかりで恐ろしく窮屈な2シーターの愛車は変わらないものの、以前借りていたラボ近くの最小限のアパートメントよりはそこそこ広い一軒家は、ハイネルの生活が一人から二人を意識したものになったことを意味していた。
グーデリアンはドイツに立ち寄るたびにその中に少しずつ私物を持ち込み、整然とした部屋に少しずつ雑然とした温かさが重ねられていた。
「土産だ。」
キッチンで玉ねぎの皮をむくグーデリアンに差し出されたビニールの袋の中には、淡い緑色のレタスが2株入っていた。
「・・なんでレタス?それも採りたて?」
「私が育てた。レタス好きだろう。」
「好きだけどさ。採りたて限定で。・・えー、その格好で?」
ネクタイを緩めているハイネルの足元はピカピカの革靴で、とても畑帰りとは思えない。
「第一、お前虫とか日光とか苦手だろ?」
ケンタッキーの農場に立ち寄った際のハイネルの『ペザント』状態を思い出し、グーデリアンは首をかしげた。
「海外へ設備移転して工場が空いていてな。何か飯のネタをという話になったので植物プラントを立ち上げた。今は社員食堂で使う分くらいは賄っているし、会社の環境イメージにも貢献しているようだ。」
「・・だから虫も日光もナシってわけね。」
「私が設計したプラントだから、一応私が育てたことになるだろう。」
「お前、毎回うまいこと会社の経費で自分の趣味やるよな。」
「色々こき使われているんだからそれくらい構わないだろう。着替えてくる。」
鞄を小脇に抱え、ハイネルは自室へ去って行った。
「でな、チーフ・・じゃなくて、今は監督か。あの後会ったんだよ。」
「荒れていただろう。最近娘さんが結婚したらしい。」
戻ってきたハイネルがエプロンをかけ、フードプロセッサーで野菜を刻む間に、グーデリアンがロメインレタスと卵でサラダを作り、冷蔵庫に入れる。
さほど広く見えはしないのに大男2人の動線がまったくかぶらない台所はハイネルの設計なのだろう。今度は住宅事業にも乗り出しそうだとグーデリアンは密かに思った。
「あー。『転戦ばかりで俺の知らないうちに成人してて、今度はついにどこかの馬の骨野郎と結婚するってんだぞ!?』って言ってた。」
グーデリアンは大げさな身振りでチーフの仕草を真似る。
「私も聞かされた。」
「『俺の人生設計、お前らに台無しにされたんだ!』はお決まりだよな。・・そもそも、社長にハイネルのお守りを押し付けられたところからあのオッサンの悲劇は始まってんだよなぁ。」
『俺は仕事はそこそこして、休日には目いっぱい家族サービスをするんだ。』
だから給料もそこそこで生活が保障されていれば文句がないと、ささやかな夢を抱いていた現場叩き上げのチーフエンジニアは技術学校を出て迷わずドイツを代表する企業、シュトロブラムスの工員となった。
武骨な外見ゆえやや結婚は遅れたが、家を守る優しい妻と娘二人に恵まれ、その技術と面倒見の良さも買われて着々といい若頭的ポジションを築きつつあった。
それなのに。
『私の息子がレースに興味があるらしくてね。君、休日に時間があったらちょっと手伝ってやってくれないか?』
そんな時、現場にちょくちょく出入りしていた、金色の目をした若造の誘いにのったのが不幸の始まりだった。
どうせ基礎教育低学年のカート程度だろうと、高等教育へ進んでこれから学費がかかるであろう娘のために少しでもと思って二つ返事で引き受けたところ、実際やってきたのは既に自分の胸ほどにも身長のある少年で。
もうカートなどではそこそこの実績を上げていて、目指すカテゴリーはまさかのCF。
話が違うと苦情を言いに行った先で通されたのはまさかの重役室。
へらへらした優男はやり手と噂のまさかの社長の三男で、実は自分よりも年上、かつ大きな息子がいたと知った時はすでに引き返せない状況に追い込まれていた。
「その件に関しては、悪いのは私じゃない。」
「・・魔性だよなぁ。おとーさん・・。でも、本社仕事忙しくなったからってチーム監督押し付けたのはあんただろ?」
「まぁ・・そこにはすこし罪悪感がないわけでもないが。適任者がいなかったから。」
ハイネルが肉をこね、スパイスを炒める。いつも十分に煮込む時間がとれないのはわかっているので、本宅のコックがもたせてくれる冷凍スープや市販の缶詰を使って味を調え、圧力鍋に入れていく。
時々ため息を挟んでは首をかしげる仕草をするのが何か気にかかるが、その間にグーデリアンはダイニングのテーブルに、ワインとチーズとパンを準備した。
ワインは今年の葡萄で作った白。甘さと果汁感がまだ残るがこの時期だけの飲み物だ。
一緒に、オリーブの新漬けも皿に出す。これはグーデリアンがドイツに来た頃、初めて食べて衝撃を受けたものだった。
なんとはなく重い空気の中、いい匂いが漂い始めたが、ハイネルは窓の外を眺めたりして心ここにあらずと言った様子で。葡萄とオリーブをつまみにワインの味見をしはじめたグーデリアンにも小言を飛ばさない。
やがてダイニングで出来上がった温かい皿を前にしても、ハイネルはフォークを持ったまま何事か考え事をしている。
グーデリアンがそろそろどうしたものかと思い始めたころ、ハイネルは独り言のように呟いた。
「グーデリアン。私によく似た青年、のことだが。」
「ん?」
「多分。私の子供、だ。」
「は?」
思いがけない言葉に、グーデリアンは思わずフォークを取り落とした。
------------------------つづく
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ここはいわゆる同人誌といわれるものを扱っているファンサイトです。
もちろんそれらの作品とはなんら関係はありません。
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