ぼさぼさ頭をかきまわし、ふぁ・・と大あくびをしながらグーデリアンは朝日のあたる広い廊下を歩いていた。
昨日、というか、数時間前までべったりと過ごした朝は、やや睡眠不足ではあるものの体はすっきりとしている。
可愛い声で啼いていた愛しの君はまだベッドの中で夢と現を彷徨っていた。その姿はグーデリアンにとってこの世で一番の好物ではあるが、今朝はリサにグーデリアン家特製のパンケーキをご馳走する約束があり、枕元に冷たい水とメモを残して名残惜しく抜け出してきたのだった。
「・・・・さーてと。」
「おはよう。」
ベリーがあったから軽く煮てソースにするかなぁなんて思いながらキッチンのドアを開けると、そこには想定外の先客がいた。
「・・・おは・・って・・・・なんでここにいるんですか、社長?」
「私が自宅にいて何がおかしい。」
食事は本宅から運ばせればとりあえず世話はないが、時々気まぐれで本格的な料理をする家主のために作られた別宅のキッチンは、ラボ近くのハイネルのアパートメントのミニキッチンとは雲泥の差だった。
何口ものガスコンロと大きなオーブン、ぴかぴかに磨かれた数々の鍋や調理家電など。
アメリカの実家の雑然と温かいキッチンに比べれば、ここは常にショールームのようではあったが。
ハイネルを縦に一回り。横に二回り(全盛期比)ほど小柄にしたらこんな感じだろうという風体のシュトロブラムス社長は、キッチンの真ん中に置いた大きなテーブルで、洗ったベリーを皿に山盛りにして優雅につまんでいた。
いつものスーツ姿ではなく、綺麗に仕立てた生成りのリネンのシャツの上にざっくりとした淡いグレーのサマーカーディガンを羽織っている。
生活感のないキッチンの、生活感のない美壮年はそのまま何かの広告のショットになりそうだ。
髪もかっちりと固めず前髪をややふわりと細めの眼鏡の上に流した様子は、あまりにも素のフランツ・ハイネルそっくりで。骨格が似ているということは、声すらもよく似ていて。
ハイネル家に頻繁に滞在するようになって最初にこの姿を見た時、グーデリアンは思わずフランツ・ハイネルとこの社長の顔を交互に1分×3セットほど眺めては双方からステレオで気持ち悪い!と叫ばれたのだった。
「おはようグーデリアンさーん。パンケーキできてるー?・・あれ、お父さん?珍しいね!」
「おはよう。・・・・・・・・・・。」
駆け込んできたリサの、生足ホットパンツにふりふりタンクトップの軽装に口を開きかけては、社長はすぐにグラスに注いだペリエを口に運び、何かをまずそうに飲みこんだ。
「・・・・グーデリアン君、次はガスなしの軟水を用意しておいてくれ。」
一瞬、淡いブラウンの眼からいつもの商売用の不敵な微笑みが消えたのを、グーデリアンは面白そうに眺めた。
「土日はベルリンのほうに帰ってるんじゃなかったっすか?」
「今週末は母が旅行中でな。たまの休みに時間が出来たから、久々にフランツのコーヒーが飲みたいと思ったんだが。フランツはまだ寝ているのか?」
「あー、夜遅くまで仕事してたみたいで。」
グーデリアンは発酵済のパンケーキ生地を冷蔵庫から出した。まさか自分の部屋(客間)にいるとは言えない。
「けしからんな。私だって昨夜は3時まで仕事をしていたぞ。」
「お父さんも仕事好きだもんねぇ。こう見えて。」
リサは冷蔵庫から牛乳を取り出しグラスに注いだ。
「・・どういう意味かな、リサ?」
「お兄ちゃんもパパも、カッコつけてないで、仕事大変な時はちょっと投げちゃったほうがいいとリサ思うよ?。」
水面下の白鳥の努力を、要するに見栄っ張りなんでしょの一言で片づけた娘に、社長は綺麗な眉を顰めた。
「ところで、グーデリアンさん、リサお腹すいた。」
「えーと、レーズンとバナナ入りのパンケーキでいいかな?」
あてにしていたベリーが二人によってあらかた食べつくされてしまったのを見て、グーデリアンは冷蔵庫の中から急遽レシピをひねり出した。
「わーい、それリサ大好き。でもお兄ちゃんは嫌いだと思うよ?前チョコバナナパンケーキ作ったら結局ほとんど食べずに処分しちゃったみたい。」
「俺が作っても普通に食べてるよ?もしかして、リサちゃんチョコソースどっぷりかけたろ?」
「えーっ、あたり。なんでわかるの?」
「うちの妹や姉ちゃんはそうやってたからなぁ。女の子は好きなんだろうけど、彼氏に食べさせるなら有塩のバターかクロテッドクリームでも添えるほうがウケると思うよ?」
「ふーん。なるほどね。パパもパンケーキでいいよね?グーデリアンさんのパンケーキおいしいよ。」
「そうだな、クロテッドクリームとメープルシロップがあるなら。」
「・・・・相変わらずケーキが主食っすか?。糖尿になりますよ?」
「頭の回転を維持するには糖分が一番効率がいいんだ。」
いつだったか、取材の予定があるのに一向に戻ってこないハイネルに業を煮やし、本社での二人の極秘ランチミーティングに乱入したグーデリアンは、この親子の食生活のずれ加減をまざまざと見せつけられた。
社長室で親族にも聞かせられない重くてドロドロとしたナイショ話をしながら座るソファの前のローテーブルには、パソコンと書類の山と、色とりどりのケーキののった皿。甘いものがあまり得意ではないハイネル向けか申し訳程度に小鳥の餌のようなサンドイッチも並んではいるが、それらを昼食と称することにこの親子は全く疑問をもたないということらしい。
『・・乙女かよ!』
グーデリアンはスーツ姿の男二人に、心の奥で最大ボリュームでつっこんだ。
「フランツはまだ起きてこないな・・仕方がない。私がコーヒーを淹れよう。」
「あ、俺やりますよ?」
「アメリカ人のコーヒーなんぞ飲めるか。それも男が淹れたものなんて。」
『起こしに行く』と言いださないかとひやひやしていたグーデリアンがいささかほっとして冷蔵庫に向かうと、立ち上がった社長はしっしっと手を振った。
「あたしが淹れてあげる~。」
「・・・・いや、豆が無駄になるだけだ。」
「それ、ひどくない?」
聞かないふりをして、社長はパンケーキを焼くグーデリアンの横でケトルに水をはり、火にかける。
その間に冷凍庫から少量ずつパックした挽いたコーヒーを取り出し、人数分のカップとコーヒーポットを用意し、適度に室温に慣れたコーヒーをドリッパーにセットする。
「社長、意外にマメっすね。」
湧いた湯をドリップケトルに移す。コーヒーポットにも少量注ぎ、温める。
「お前、私をなんだと思ってるんだ?いいか、上に立つものは人一倍働き、なんでも出来るようでなくては話にならんのだ。」
コーヒーポットの湯を今度はカップに注ぎ、ドリッパーをセットして適度に冷めたドリップケトルから滴々と湯を落として蒸らしながら社長はきっかりと時間を計る。横ではバターを溶かしたフライパンで、ふっくらとパンケーキが焼き上がっていく。
「へいへい。そういうとこフランツ・ハイネルそっくりです。」
「当たり前だ。フランツは私がもつ知識や経営技術のすべてを与えて育てたからな。」
「そういうとこ、隠しもしないでざっくざく言っちゃうのがパパらしいよね。聞いたよ?親族会議でおじさんたち相手に『別に、君たちの子供にフランツやリサより優秀な人材がいれば、次期社長を譲ってやってもいいんだがね』とか言っちゃったんだって?。」
「本当のことだろう。うちは実力主義だ。」
三男でありながら、その手腕で社長をもぎ取った男はさらりと言い切る。
「えー・・お兄ちゃんはともかくぅ、リサはよけといて欲しかったなぁ。リサは何も知らない可愛いお嫁さんになって、裏から会社牛耳るってのが夢なんだから。」
「・・そういうのは、何も知らない可愛いお嫁さんは言わないと思うよ?」
「そぉ?」
グーデリアンが呟いた言葉に、リサはまったく底の推し量れない笑顔でにっこりと答えた。
「あ、そうだお父さん、明日オフとれたから、ママ帰ってくるって。2か月ぶり?」
先に焼けた分のパンケーキの皿をグーデリアンからもらい、たっぷりとチョコレートソースをかけながらリサが言う。無心でドリップ作業に集中していた社長が熱いポットを持ったままくるりと振り返り、グーデリアンは一歩後ずさった。
「何?私は知らんぞ!」
「昨日お兄ちゃんからメール来たよ?」
「フランツめ・・・。急用を思い出した。私は帰る!」
ポットを乱暴にコンロに置き、社長は大股で竜巻のようにキッチンから去っていった。後にはもぐもぐとパンケーキを咀嚼するリサと、焼きあがった次の皿を持ち、ぽかんとしたグーデリアンが残された。
「・・リサちゃん。どしたの社長。」
グーデリアンはすっかり落ち切ったドリッパーを外し、温めたカップの湯を切って等分に注ぐ。リサの分はカフェ・オレにして。
「ママが帰ってくるから歓迎の用意をしにいったんだと思うよ。帰ってくるたびに大騒ぎになるからママはますますあんまりこっちに寄りつかないんだけど。」
「・・面白い夫婦関係だね?」
「まぁね?あれでもママが好きで好きで仕方ないみたいだし?」
「・・俺んちも強いのは母ちゃんで父ちゃんは尻に敷かれてるんだけどさ、なんか違う・・・・」
「そ?まぁ本人たちがいいんだからそれでいいんだよ。ごちそうさま。おいしかった!じゃリサ遊びに行ってくる!」
ぐっとカフェ・オレを飲みほし、食べ終わった皿を流しに収めて、リサもあわただしく自分の部屋に戻って行った。
「・・・・・・・・・・・父の車の音がしたが、何かあったのか?」
キッチンのドアが開き、まだ眼が半分とじたままのハイネルが現れた。
眼鏡がないため、目を眇める様子がより寝起きの不機嫌さを物語っていた。
「あ。コーヒー飲む?」
「あぁ。」
ハイネルの前に、バターを添えたパンケーキとコーヒーを置く。
自分の分のパンケーキを焼きつつグーデリアンは立ったままコーヒーを一口飲んで、ハイネルが淹れるのとほぼ同じ味であることに気づく。
「社長、お母さんが来る用意をするとか言ってたけど。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・母には、言うなと言われていたのに・・・。」
さっき廊下で出会ったリサの姿恰好といい、これから届くだろう色々な愚痴と小言の数々を思いながらフランツ・ハイネルは大きくため息をついた。
『・・面白いよなぁ、ここんち。』
至極健康的で真っ当でうざったい家族で育ったグーデリアンから見ればなんというか、歪で面倒で掟破りな家族関係だと思う。
四方八方に自分の好きなことをしているくせに、ド真ん中にあるフランツ・ハイネルというターミナルを介してなんとなくつながっている。だからこそ微妙な立場の自分がキッチンで料理をしていても、深く考えずに受け入れてくれているのだろうが。
グーデリアンは自分のパンケーキを皿にとり、フォークを持ったまま今にもまた眠りそうなハイネルの横に座る。ハイネルの前のパンケーキが一向に減る気配が見えないのを引き取ってやり、自分のフォークで適当な大きさに切って口の前に出すと大人しく口を開けた。
「どう?」
「・・いつもどおり・・・が・・」
「いいから、二度寝してこいよ。」
「・・せっかくの休みなのに・・」
なんとか起きようとするが眼が開かないハイネルの姿に、グーデリアンが苦笑する。
「俺も眠いから、片付けたら行くよ。グダグダ昼過ぎまで寝て、昼は外で食べよう。」
「・・ん。」
眼を閉じたハイネルはグーデリアンの肩にもたれた。その温かさと重さをグーデリアンはそっと大きな手で包みこんだ。
-こんな、なにもない日をつまり人は幸せというのだろう。
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前の逆パターンで。朝のハイネルさんち。
昨日、というか、数時間前までべったりと過ごした朝は、やや睡眠不足ではあるものの体はすっきりとしている。
可愛い声で啼いていた愛しの君はまだベッドの中で夢と現を彷徨っていた。その姿はグーデリアンにとってこの世で一番の好物ではあるが、今朝はリサにグーデリアン家特製のパンケーキをご馳走する約束があり、枕元に冷たい水とメモを残して名残惜しく抜け出してきたのだった。
「・・・・さーてと。」
「おはよう。」
ベリーがあったから軽く煮てソースにするかなぁなんて思いながらキッチンのドアを開けると、そこには想定外の先客がいた。
「・・・おは・・って・・・・なんでここにいるんですか、社長?」
「私が自宅にいて何がおかしい。」
食事は本宅から運ばせればとりあえず世話はないが、時々気まぐれで本格的な料理をする家主のために作られた別宅のキッチンは、ラボ近くのハイネルのアパートメントのミニキッチンとは雲泥の差だった。
何口ものガスコンロと大きなオーブン、ぴかぴかに磨かれた数々の鍋や調理家電など。
アメリカの実家の雑然と温かいキッチンに比べれば、ここは常にショールームのようではあったが。
ハイネルを縦に一回り。横に二回り(全盛期比)ほど小柄にしたらこんな感じだろうという風体のシュトロブラムス社長は、キッチンの真ん中に置いた大きなテーブルで、洗ったベリーを皿に山盛りにして優雅につまんでいた。
いつものスーツ姿ではなく、綺麗に仕立てた生成りのリネンのシャツの上にざっくりとした淡いグレーのサマーカーディガンを羽織っている。
生活感のないキッチンの、生活感のない美壮年はそのまま何かの広告のショットになりそうだ。
髪もかっちりと固めず前髪をややふわりと細めの眼鏡の上に流した様子は、あまりにも素のフランツ・ハイネルそっくりで。骨格が似ているということは、声すらもよく似ていて。
ハイネル家に頻繁に滞在するようになって最初にこの姿を見た時、グーデリアンは思わずフランツ・ハイネルとこの社長の顔を交互に1分×3セットほど眺めては双方からステレオで気持ち悪い!と叫ばれたのだった。
「おはようグーデリアンさーん。パンケーキできてるー?・・あれ、お父さん?珍しいね!」
「おはよう。・・・・・・・・・・。」
駆け込んできたリサの、生足ホットパンツにふりふりタンクトップの軽装に口を開きかけては、社長はすぐにグラスに注いだペリエを口に運び、何かをまずそうに飲みこんだ。
「・・・・グーデリアン君、次はガスなしの軟水を用意しておいてくれ。」
一瞬、淡いブラウンの眼からいつもの商売用の不敵な微笑みが消えたのを、グーデリアンは面白そうに眺めた。
「土日はベルリンのほうに帰ってるんじゃなかったっすか?」
「今週末は母が旅行中でな。たまの休みに時間が出来たから、久々にフランツのコーヒーが飲みたいと思ったんだが。フランツはまだ寝ているのか?」
「あー、夜遅くまで仕事してたみたいで。」
グーデリアンは発酵済のパンケーキ生地を冷蔵庫から出した。まさか自分の部屋(客間)にいるとは言えない。
「けしからんな。私だって昨夜は3時まで仕事をしていたぞ。」
「お父さんも仕事好きだもんねぇ。こう見えて。」
リサは冷蔵庫から牛乳を取り出しグラスに注いだ。
「・・どういう意味かな、リサ?」
「お兄ちゃんもパパも、カッコつけてないで、仕事大変な時はちょっと投げちゃったほうがいいとリサ思うよ?。」
水面下の白鳥の努力を、要するに見栄っ張りなんでしょの一言で片づけた娘に、社長は綺麗な眉を顰めた。
「ところで、グーデリアンさん、リサお腹すいた。」
「えーと、レーズンとバナナ入りのパンケーキでいいかな?」
あてにしていたベリーが二人によってあらかた食べつくされてしまったのを見て、グーデリアンは冷蔵庫の中から急遽レシピをひねり出した。
「わーい、それリサ大好き。でもお兄ちゃんは嫌いだと思うよ?前チョコバナナパンケーキ作ったら結局ほとんど食べずに処分しちゃったみたい。」
「俺が作っても普通に食べてるよ?もしかして、リサちゃんチョコソースどっぷりかけたろ?」
「えーっ、あたり。なんでわかるの?」
「うちの妹や姉ちゃんはそうやってたからなぁ。女の子は好きなんだろうけど、彼氏に食べさせるなら有塩のバターかクロテッドクリームでも添えるほうがウケると思うよ?」
「ふーん。なるほどね。パパもパンケーキでいいよね?グーデリアンさんのパンケーキおいしいよ。」
「そうだな、クロテッドクリームとメープルシロップがあるなら。」
「・・・・相変わらずケーキが主食っすか?。糖尿になりますよ?」
「頭の回転を維持するには糖分が一番効率がいいんだ。」
いつだったか、取材の予定があるのに一向に戻ってこないハイネルに業を煮やし、本社での二人の極秘ランチミーティングに乱入したグーデリアンは、この親子の食生活のずれ加減をまざまざと見せつけられた。
社長室で親族にも聞かせられない重くてドロドロとしたナイショ話をしながら座るソファの前のローテーブルには、パソコンと書類の山と、色とりどりのケーキののった皿。甘いものがあまり得意ではないハイネル向けか申し訳程度に小鳥の餌のようなサンドイッチも並んではいるが、それらを昼食と称することにこの親子は全く疑問をもたないということらしい。
『・・乙女かよ!』
グーデリアンはスーツ姿の男二人に、心の奥で最大ボリュームでつっこんだ。
「フランツはまだ起きてこないな・・仕方がない。私がコーヒーを淹れよう。」
「あ、俺やりますよ?」
「アメリカ人のコーヒーなんぞ飲めるか。それも男が淹れたものなんて。」
『起こしに行く』と言いださないかとひやひやしていたグーデリアンがいささかほっとして冷蔵庫に向かうと、立ち上がった社長はしっしっと手を振った。
「あたしが淹れてあげる~。」
「・・・・いや、豆が無駄になるだけだ。」
「それ、ひどくない?」
聞かないふりをして、社長はパンケーキを焼くグーデリアンの横でケトルに水をはり、火にかける。
その間に冷凍庫から少量ずつパックした挽いたコーヒーを取り出し、人数分のカップとコーヒーポットを用意し、適度に室温に慣れたコーヒーをドリッパーにセットする。
「社長、意外にマメっすね。」
湧いた湯をドリップケトルに移す。コーヒーポットにも少量注ぎ、温める。
「お前、私をなんだと思ってるんだ?いいか、上に立つものは人一倍働き、なんでも出来るようでなくては話にならんのだ。」
コーヒーポットの湯を今度はカップに注ぎ、ドリッパーをセットして適度に冷めたドリップケトルから滴々と湯を落として蒸らしながら社長はきっかりと時間を計る。横ではバターを溶かしたフライパンで、ふっくらとパンケーキが焼き上がっていく。
「へいへい。そういうとこフランツ・ハイネルそっくりです。」
「当たり前だ。フランツは私がもつ知識や経営技術のすべてを与えて育てたからな。」
「そういうとこ、隠しもしないでざっくざく言っちゃうのがパパらしいよね。聞いたよ?親族会議でおじさんたち相手に『別に、君たちの子供にフランツやリサより優秀な人材がいれば、次期社長を譲ってやってもいいんだがね』とか言っちゃったんだって?。」
「本当のことだろう。うちは実力主義だ。」
三男でありながら、その手腕で社長をもぎ取った男はさらりと言い切る。
「えー・・お兄ちゃんはともかくぅ、リサはよけといて欲しかったなぁ。リサは何も知らない可愛いお嫁さんになって、裏から会社牛耳るってのが夢なんだから。」
「・・そういうのは、何も知らない可愛いお嫁さんは言わないと思うよ?」
「そぉ?」
グーデリアンが呟いた言葉に、リサはまったく底の推し量れない笑顔でにっこりと答えた。
「あ、そうだお父さん、明日オフとれたから、ママ帰ってくるって。2か月ぶり?」
先に焼けた分のパンケーキの皿をグーデリアンからもらい、たっぷりとチョコレートソースをかけながらリサが言う。無心でドリップ作業に集中していた社長が熱いポットを持ったままくるりと振り返り、グーデリアンは一歩後ずさった。
「何?私は知らんぞ!」
「昨日お兄ちゃんからメール来たよ?」
「フランツめ・・・。急用を思い出した。私は帰る!」
ポットを乱暴にコンロに置き、社長は大股で竜巻のようにキッチンから去っていった。後にはもぐもぐとパンケーキを咀嚼するリサと、焼きあがった次の皿を持ち、ぽかんとしたグーデリアンが残された。
「・・リサちゃん。どしたの社長。」
グーデリアンはすっかり落ち切ったドリッパーを外し、温めたカップの湯を切って等分に注ぐ。リサの分はカフェ・オレにして。
「ママが帰ってくるから歓迎の用意をしにいったんだと思うよ。帰ってくるたびに大騒ぎになるからママはますますあんまりこっちに寄りつかないんだけど。」
「・・面白い夫婦関係だね?」
「まぁね?あれでもママが好きで好きで仕方ないみたいだし?」
「・・俺んちも強いのは母ちゃんで父ちゃんは尻に敷かれてるんだけどさ、なんか違う・・・・」
「そ?まぁ本人たちがいいんだからそれでいいんだよ。ごちそうさま。おいしかった!じゃリサ遊びに行ってくる!」
ぐっとカフェ・オレを飲みほし、食べ終わった皿を流しに収めて、リサもあわただしく自分の部屋に戻って行った。
「・・・・・・・・・・・父の車の音がしたが、何かあったのか?」
キッチンのドアが開き、まだ眼が半分とじたままのハイネルが現れた。
眼鏡がないため、目を眇める様子がより寝起きの不機嫌さを物語っていた。
「あ。コーヒー飲む?」
「あぁ。」
ハイネルの前に、バターを添えたパンケーキとコーヒーを置く。
自分の分のパンケーキを焼きつつグーデリアンは立ったままコーヒーを一口飲んで、ハイネルが淹れるのとほぼ同じ味であることに気づく。
「社長、お母さんが来る用意をするとか言ってたけど。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・母には、言うなと言われていたのに・・・。」
さっき廊下で出会ったリサの姿恰好といい、これから届くだろう色々な愚痴と小言の数々を思いながらフランツ・ハイネルは大きくため息をついた。
『・・面白いよなぁ、ここんち。』
至極健康的で真っ当でうざったい家族で育ったグーデリアンから見ればなんというか、歪で面倒で掟破りな家族関係だと思う。
四方八方に自分の好きなことをしているくせに、ド真ん中にあるフランツ・ハイネルというターミナルを介してなんとなくつながっている。だからこそ微妙な立場の自分がキッチンで料理をしていても、深く考えずに受け入れてくれているのだろうが。
グーデリアンは自分のパンケーキを皿にとり、フォークを持ったまま今にもまた眠りそうなハイネルの横に座る。ハイネルの前のパンケーキが一向に減る気配が見えないのを引き取ってやり、自分のフォークで適当な大きさに切って口の前に出すと大人しく口を開けた。
「どう?」
「・・いつもどおり・・・が・・」
「いいから、二度寝してこいよ。」
「・・せっかくの休みなのに・・」
なんとか起きようとするが眼が開かないハイネルの姿に、グーデリアンが苦笑する。
「俺も眠いから、片付けたら行くよ。グダグダ昼過ぎまで寝て、昼は外で食べよう。」
「・・ん。」
眼を閉じたハイネルはグーデリアンの肩にもたれた。その温かさと重さをグーデリアンはそっと大きな手で包みこんだ。
-こんな、なにもない日をつまり人は幸せというのだろう。
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前の逆パターンで。朝のハイネルさんち。
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もちろんそれらの作品とはなんら関係はありません。
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